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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
579/677

三百九十六時限目 異性装パーティー 2/6


 待ち合わせ時刻よりも二時間早く到着したはいいのが、やることがない。ローレンスさんに挨拶をして軽いミーティングをと考えていたのにどれもできず、僕は出された珈琲を座って飲んでいるだけの有り難みも欠片もない偶像のようだ。カトリーヌさんは事務所で作業があると言って出ていったきり戻らないし、バックヤードを清掃しにきた男性執事スタッフには「だれだこいつ」みたいな目を向けられるしで、僕は「どうも」と決まり悪く苦笑いするしかできなかった。


 清掃を終えた男性執事が僕に一礼をしてバックヤードから退出すると、事務所のドアが開いた。


 彼と入れ替わるようにして登場したのは、難しい顔をしながら呪文を詠唱するかのようにぶつぶつ呟き続けるローレンスさんだった。どうやら自分の世界に入り込んでいるらしい。僕のことなど眼中にないといった様子で珈琲マシンにカップを置き、スイッチをオン。


 コンビニやファミリーレストランに置いてあるような豆を上部にセットするタイプの珈琲マシンは、以前バックヤードに通されたときにはなかった代物だ。忙しい時間帯に厨房の人に珈琲を頼むのを申し訳なく思ったのか、はたまたカトリーヌさんが淹れる珈琲にうんざりしたのかまでの事情はわからないけれど、安定した味を提供してくれるマシンは重宝しているみたいだ。


 珈琲を淹れ終えたローレンスさんは、カップをマシンの下部から取り出し、その場で一口飲もうとした際にようやく僕の存在に気がついたようだ。ちらと目が合って、「おや」と声を出す。飲もうとしていた珈琲をテーブルまで運び、僕の前に座った。


「これはこれは、挨拶が遅れて申し訳御座いません」


「あ、いえ。カトリーヌさんからお忙しいと伺っていたので」


 実際は「いまは気が立っているからやめておけ」と言われたのだけれど、物は言いようである。


「朝の時間はどうもビジーなものですからね」


 妙に発音がいい『ビズィー』だった。それには触れず、


「カトリーヌさんに伝言を頼んだのですが」


「伝言? ……ああ、そういえば」


 絶対に右から左に流して訊いてたな。


 と思いつつも噯には出さないようにして、


「今日の流れというか、ミーティングのよなものができればと思って早く来たんですけど、ご迷惑でしたらすみません」


「いやいや、そんなことはないですよ。むしろ、こちらとしてもミーティングをしたいと思っていましたし」


 そう言って、珈琲を一口飲んだ。


「しかしながら、カトリーヌはいま手を離せない状況なもので……話を進めても?」


 はい、と首肯すると、ローレンスさんは満足そうに微笑んだ。


「では、ミーティングを始めましょうか」





「……という流れになりますが、どうでしょうか?」


「問題ないと思います」


「結構」


 今日の流れは事前に打ち合わせした通りの内容で、問題はないだろう。


 だが、それよりも──。


「ローレンスさん」


「はい?」


「僕はまだ衣装を見ていないのですが、大丈夫なんですか?」


 こちらで用意しますと豪語していただけに、とんでも衣装が飛び出すのではないかと(ゆう)(しょく)を漂わせてみる。それに勘付いたローレンスさんは、「では、一足先にご覧になりますか?」と立ち上がった。


 二階に上がり、ローレンスさんが更衣室のドアを開く。すると、部屋の中央には衣装ラックにかけられた真新しい男物の洋服が二着、女性物が一着、ビニールを被せた状態で用意されていた。


「この男性服は!」


「ええ。──男装というからには、外せませんよね」


 奇を衒うデザインの服を用意するに違いないとばかり思っていたのにまさかのド直球。ナックルボールのような性格のローレンスさんが王道を選ぶとは。カーブボールがくると思って斜に構えていただけに、僕の予想は空を切る結果となった。


「でもローレンスさん……アレが足りないですよね」


 この衣装を着用するとならば、欠かしてはいけない物がある。猫型ロボットにはポケットが必要であるように、勇者の肩にはスライムのような弾力性のあるアドバイザーロボットが必要なのだ。どちらが欠けても成立しない。祈るようにローレンスさんの動向を見ていると、ちっちっち、と指を振る。なにが起こるかランダムではあるその効果だが、果たして──。


「そこは抜かりありませんよ。ご覧下さい」


「そ、それは!?」


 戸棚を開けたローレンスさんは、()()が入った箱を二つ、僕に見せつけるようにして取り出した。お子様は購入時に保護者の許可が必要になるアレが、ローレンスさんの手元で輝きを放っているように見えた。ビカビカーって感じに。


「この衣装には必須かと、手配致しました」


 ──滾りますね。


 ──浪漫ですからね。


 ふふふ、と二人で怪しくほくそ笑みながら一頻り楽しんだところで、更衣室のドアのノックする音が飛び込んできた。


「優梨さん。そろそろお着替えを」


 ドア越しに、カトリーヌさんの声。


「それではお先に失礼致します。──グッドラック」


 ドアを開いたローレンスさんはカトリーヌさんの肩を叩いて、「頼んだよ」と囁いた。カトリーヌさんは表情を変えず、「畏まりました」と一礼した。


「それでは優梨さん。──脱いで下さい」





 * * *





「──まあ、こんなところでしょうか」


 琴美さんのメイクが絵を描くようだと比喩すると、カトリーヌさんは設計図の通りに組み立てる基本に忠実なタイプだ。おそらく、難しい技術は使っていないように思える。それでは化粧道具が一級品なのか、とも考えるけれど、そうとも言い切れない。匠の業がそこにはあった。


「ありがとうございます」


「あとはアナタが〝優梨〟という女性を如何に輝かせることができるかに尽きます。心と気持ちを切り替えてくださいね」


 心と気持ちを切り替える、か。


「あの」


「なんでしょう?」


「上手く切り替えられない場合はどうしたらいいんでしょうか」


 最近、というかずっとそうなのだが、上手く〈優梨〉を演じることが難しい、と思い始めていた。同席している二つの性が、ぐちゃぐちゃと混ざってしまっているような感覚。最終的には黒になってしまうんじゃないか、と臆病になりそうで、優梨の思考回路を引き出せないでいる、と不安を打ち明けると、カトリーヌさんは一度だけ頷いた。


「そういうときは鏡を見るといいでしょう。そして、自分を確認することです。鏡に映っている自分が本当の自分なのか、たしかめてみてください」


 そう言われて、鏡に映る自分の姿をじっくりと観察した。〈らぶらどぉる〉の制服を着た少女がそこにいる。鏡の向こう側にいる自分はじと椅子に座って私を睨みつけているようだった。見た目は可愛いと思うけれど、愛嬌がない。初めて女装したあの日のきらきらした感覚は、とうに忘れてしまっていた。


「優梨さん。アナタはとても繊細で、意地っ張りですよね」


「どうしてそれを」 


 見ていればわかりますよ、とカトリーヌさんは笑った。


「大丈夫。アナタは可愛いです。可愛いというのはそれだけで最強なんですよ。──もっと自信を持って」


 と、私の両肩を優しく叩くその手は温もりに溢れていた。優しい手だな、と思う。きっとこの温もりに、ローレンスさんも(とろ)けてしまうのだろう。


「そろそろご予約のご主人様とお嬢様方がいらっしゃいます。浮かない顔をするのはここまでにしてくださいね? 優梨さん」


「はい!」


「よろしい」


 今日はもてなされる側でなはなく、もてなす側なんだ。と、覚悟を決めて立ち上がった。振り返り、カトリーヌさんと向き合う。さっきまでの穏やかな笑みは殺し、仕事モードのきりっとした顔をしていた。


「お出迎えはレインと二人でしてもらいます。その後、この部屋にお通しして、お召し物の着替え。着替えが終わり次第、ご予約席までご案内を。最初のオーダーはレインが取りますが、あとのオーダーは全て優梨さんにお任せします。オーダー表にメニューを記載し、それをレインに渡す。──難しいことはなにもありません」


「か、畏まりました……カトリーヌさ、様」


「まだぎこちないですが、まあいいでしょう。──グッドラック」


 ローレンスさんも言っていたけれど、『グッドラック』という言葉が従業員を送り出す決め言葉にでもなっているのだろうか。メイド喫茶で『グッドラック』というのも、なんだか不思議な感覚だ。



 

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・報告無し。

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