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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
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三百九十六時限目 異性装パーティー 1/6


 駅の改札を抜け、メイド喫茶〈らぶらどぉる〉を目指して歩く。夏休みを抜けたからといっても土日はそれなりに人口密度がある。特に見受けるのは学生たちだ。全く知らないアニメの絵が描いてある紙袋を持ったオタク風の男女や、ギターケースを背負ったバンドマン風の男たちが平然と歩いている。


 一見するとそれが当然だと言わんばかりだが、僕のような田舎者には異常な光景だ。メイドさんが駅近くでポケットティッシュやチラシを配布する光景なんて、川越でもなかなか見ない。たまに川越でも見かけるが、都会と田舎ではメイドの質が違うのだろうか。僕の傍で懸命に職務を全うしている彼女たちのほうが声を張り上げているし、笑顔も振り撒いているように思う。


「よろしくお願いしまーす」


 と、よろしくされて受け取ったポケットティッシュの裏側には、彼女たちが働いているであろうメイド喫茶の店名と、会計から一〇パーセントオフになるサービスチケットが一緒くたになっているビラが付いていた。


 どうやら新店舗のようだ。駅近くに新たなメイド喫茶が誕生し、顧客奪い合い合戦は更に白熱すること間違いなし。そのバトルに〈らぶらどぉる〉は含まれているのだろうか……眼中になさそうではあるけれど。


 道なりに進む。デパート一階にある宝くじ売り場の近くにある赤信号に阻まれて足を止めた。目の前の横断歩道を渡れば、想像しい駅前の風景とは一線を画す静けさがある。


 ホテル街なんてそんなものだろうけれど、この静けさは嵐の前兆なのでは。いやいや、まだ始まってもいないのに弱気になってどうする。不安材料は多々あるけれど、準備は整っているはずだ。と、切り替わった青信号を勇み足で進んだ。


 メイド喫茶〈らぶらどぉる〉は、大人なホテルに囲まれている。突如として現れる古風な外観、そして、イメージキャラクターが描かれたガラス窓に面食らっていたあの頃とはもう違う。いまでは常連と言い張ってもいいくらい通っているが、そんなことをだれに自慢できようか。メンバーズカードだって保険証のケースに裏返しで入れているくらい、秘密裏にしておきたい事実だ。


 こういう隠し方をするならば、病院にいくときは本当に注意するんだぞ? 鶴賀()優志()との約束だ。──だれかさんみたいに恥をかくことになるからね。


「別にお前が恥をかこうが知ったことじゃない」


 店の前で棒立ちしていると自動ドアが開き、店内からメイド姿の流星、元いエリスたんが、営業スマイルなんてしてやらないぞってくらいの渋面をして登場。


「今日も〝きゃわたん〟だね、エリスたん」


「うるさい、黙れ、そして死ね」


 なんだか訊いたことのある台詞なのだが、どこで訊いたっけ……ああそうだ。有名な格ゲーのキャラクターの必殺技に、似たような台詞があったな。つい最近その彼も無事に異世界転移を果たしたわけだが、モテモテハーレム無双しているのかちょっと気になるところではある。


 もう〈らぶらどぉる〉の店の前でエリスと一戦交えるのが恒例過ぎて、毎度お馴染みちり紙交換です、の毎度お馴染み感が僕のなかで定例になってしまっているのだが、これってエリスが単にサボりたいだけなのでは? とも思ってみたり。


「やらせてるのはお前だろ」


「たしかに」


 このやり取りをしないと〈らぶらどぉる〉にきたって感じがしないまであるので、付き合わせているのはむしろ僕のほうだった。


「今日は裏口から入るんだろ。そういう段取りだったはずだ」


 そう。いつもなら正面から入店するが、今日は『とある事情』があって裏口から入店する段取りになっている。僕の不安の種、それが『とある事情』なのだが──。


「どうしてそれをエリスが知ってるの?」


「そういう仕事だからだ」


 なんやかんや言いながらも、やっぱりサポートしてくれるようだ。威嚇するようなその目つきも愛嬌があるように思えてくるじゃあないですか。もう、エリスたんはいつもツンデレなんだから♪


「なんだその笑顔。気色悪い」


 ……前言撤回。





 流星に案内されて店の裏手に回り、無骨なステンレス製のドアを開ける。店は営業を開始していて、バックヤードにいるのはカトリーヌさんひとりだった。カトリーヌさんは中央に置かれている会議テーブルに備えられたパイプ椅子に座り、珈琲を飲んでいた。ふう、と息を吹きかける度に眼鏡が曇る。


「連れてきました」


 エリスが言うと、カトリーヌさんは懐から取り出した眼鏡拭きで眼鏡を拭き、何事もなかったように掛け直す。ちょっと頬が赤くなっているのは、カトリーヌさんのためにも見なかったことにしておこう。


「おはようございます。本日はよろしくお願いします」


 と、頭を下げて挨拶する。


 カトリーヌさんは立ち上がり、「こちらこそよろしくお願い致します」と会釈をした。


「今日は従業員の一人としてお迎えするわけですので、優梨さんと呼ばせていただきますね」


「はい」


 今回〈らぶらどぉる〉の一角を間借りするにあたって、『僕がメイドとして食事を運ぶ』という条件が追加された。


 当初はレインさんだけが僕らのテーブルに着くはずだったのだが、『それでしたら、鶴賀様はお食事をしながらメイドの仕事もするのは如何でしょうか』という提案にローレンスさんが面白がって乗っかり、僕とレインさんの二人体制で行うことになったのだ。


「優梨さんにはお食事を楽しんでもらいつつ、空いた皿や飲み物のオーダーを取っていただきます。今日はエリスもいますので、店の心配をする必要はございません。なにか問題が発生した場合はレインに一任しております。遠慮なく申し付けてください」


「わかりました」


 それはいいのだが──。


「あの、レインさんは?」


「お時間までホールに出しています」


「そうですか……」


 顔合わせくらいしておきたかったのだが、レインさんは薔薇の花園でも人気が高い男装執事の一人だ。暇にさせる時間はないのだろう。


「ローレンスさんにも挨拶をしておきたいのですが」


 というと、カトリーヌさんは渋い顔をして、


「いまはその……やめておいたほうがいいかもしれません」


「何故ですか?」


「ああ見えてもローレンスはこの店の長なので、営業開始から数時間はぴりぴりしています。大胆なのか小心者なのかわかりませんね」


 いつも僕を揶揄うように接してくるあのローレンスさんに、そういう面があるなんて意外だ。けれど、仕事というのはそういうものなのかもしれない。


 昨日は無事に終われても、明日は問題が起こる可能性がある。緊急事態に備えてぴりぴりするのは準備不足だからではなく、平和慣れした状態では緊急時に動けないってことだ。


「時間を見計らってご挨拶に伺いますね。ローレンスさんにはそうお伝えください」


 すると、カトリーヌさんは感心するに、


「いつも思いますが、優梨さんと接していると大人と接しているいるような感覚になります。礼儀正しいのはご両親の教育がよいからでしょうか」


「そう、ですね」


 両親から礼儀を説かれたことは一度足りともない。相手にへり下ることの必要性を充分に理解しているだけだ。僕を評価してくれるのは嬉しいけれど、申し訳ない気持ちになる。


「カトリーヌ様。私はそろそろ仕事に戻ろうと思いますが、よろしいでしょうか?」


 いまの声はエリスなのか!? 驚いて振り返る。エリスは涼しい顔をしてカトリーヌさんを見ていた。バックヤードとはいえ、カトリーヌさんやローレンスさんは上司。口の利き方もそれなりになる。僕の前ではいつも『ローレンス』、『カトリーヌ』と呼び捨てにしていても、ここではそれが許されない……メイドらしくなったじゃあないか、流星。と親心満載で見ていたところ、スカートの裾で隠した中指をちらりと僕に突き立てた。「見てんじゃねえぞ」と言いたいらしい。


「ええ。いきなさい」


「あ、待ってりゅ……エリス!」


 踵を返したエリスを呼び止める。


「よろしく」


 エリスはその場で数秒ほど足を止めたが、すぐにバックヤードのドアを開いて出ていった。かちゃり、と静かに閉まるドアの音。僕はそれを返事と捉えた。



 

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