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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
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三百九十二時限目 寄る辺ない星は月に沈む 3/4


「俄かには受け入れ難いですが、理解しました」


 怒りとも悲しみとも取れない低い声でぼそりと呟いた楓ちゃんは、被っている麦わら帽子を深く被り直した。公園の街灯が影を作り、口元だけしか見えなくなる。私は、楓ちゃんが持っているバッグでいつ打たれてもおかしくないと身構えていたけれど、その気配はなかった。


 暴力で解決できるのであればそうしていただろう。寧ろ、平手打ちの一発くらいされたほうがマシに思える。直接的な痛みは一番わかりやすい罰だ。しくしくと痛む頬の感覚に、自分の罪がどれほどの物かを知ることができる。暴力を肯定しているわけじゃない。暴力行為自体には一銭の価値もないと思う。忌むべき行為、それが暴力だ。


 そうはいっても、『殴られたほうがマシだ』と思うときもある。心に受ける痛みはあやふやだから、具体的な痛みのほうがわかりやすいと言える。──でもそれは。


 罪の意識から逃げるための方法でしかない。相手を傷つけた痛み理解するには、暴力での解決を望んではいけない。心臓を握り潰されそうな痛みと真摯に向き合って、初めて罪となるのだから。


 私は楓ちゃんを深く傷つけた。


 それは事実だ。


 然し、謝罪するべきなのだろうか──。


 自分が一方的に悪いのならば、それは謝罪するべきだろう。やれと言われれば地に頭を擦り付けての土下座も辞さないし、それで相手が満足するならば安いプライドなんて棄てる覚悟がある……だけど、今回の場合は私が一方的に悪いと言い切れないのでは?


 私は誘いを受けただけであって、選んだのはレンちゃんだ。選ばれなかったほうが後になって、「どうして誘いに乗ったんだ」と文句を言うのはどうなのだろう、と。


 そう考えたら、段々と腹が立ってきた。たしかに、楓ちゃんの告白を台無しにしたのは悪いと思ってる。でも、それ以外については、選ばれなかった楓ちゃんの力不足だとしか思えなかった。


 とはいえ、それを言っても埒が明かないわけで──。


 謝罪はする。


 でも、過去のことは謝らない。


 私と過ごすことを選んだレンちゃんを、否定したくない。


 私が見せられる誠意はそこまでだ。


「もう伝えるべきことは御座いませんんか?」


「楓ちゃんの告白を邪魔したことは、本当にごめんなさいって思ってる」


「そうですね。そこに関してだけは謝罪が欲しいと思っていました」


 口元だけしか見えない状態では、許されたのか、許せないのか、真意を測りかねる。ただ、先程までの低い声ではなく、いつも通りの清らかさを取り戻していて、私は胸中で安堵していた。


「じゃあ、他のことについては……?」


 細心の注意を払いながら訊ねる。


 楓ちゃんは帽子の鍔を右手で捲るようにして、ちらりと私の顔を覗き見た。


「きっと、こう思っているのでしょう? 私の力不足だ、と」


 声には出さず、顎を引く程度の頷きで返す。 


「やっぱり」


 落胆するような、溜息混じりの声。とぼとぼと歩き出し、私の目の前で立ち止まった楓ちゃんは、ずっと握り締めていた左手の拳を弱々しく突き出した。ぽすんという効果音が鳴りそうなほどか弱い正拳突きは、意外性という効果を発揮して私の鳩尾部分を抉る。それはまるで、最後の抵抗のようだった。


「狡いじゃないですか」


「楓ちゃんだって、レンちゃんとショッピングに出かけたりしていたんでしょう?」


 それなのに、「狡い」と言われるのは釈然としない。


「でも私は、恋莉さんとプライベートで裸の付き合いはしたことがありません!」


「それは」


 普段の行いが悪かった、としか言いようがないのだけれど……。


「プールや温泉などの施設に誘えばよかったんじゃ」


「私がその手のプランを考えなかったとでも?」


 ああ、断られたんだね。だって、楓ちゃんと二人きりでそういう施設に入ったら、なにをされるかわからないもんね。誘いを断ったレンちゃんの気持ちが、手に取るようにわかってしまう。


「それに、なんなのですか」


「うん?」


「恋莉さんの男装姿までも、生で見たというじゃないですか!」


 その姿を見たのは私だけではない。然し、楓ちゃんは脳内で奏翔君の存在をデリートしたらしい。いや、その部分どうでもいいと、訊いていなかったのかもしれない。


「写真は」


「え」


「写真は残っていないのですか!?」


「残ってません……すみません」


 メイド喫茶〈らぶらどぉる〉のホームページにあった写真は、既に差し替えられている。手に入れられるかどうかは、管理しているローレンスさんか、カトリーヌさんに訊かないとわからない。でも、望みは薄いだろう。


 男装をするのに難色を示していたレンちゃんの写真を保存してあるとなると、今度は二人の沽券に関わる問題だ。そういうことに対して特に拘るカトリーヌさんのことだから、差し替えた時点で処分したに違いない。


 楓ちゃんはいまにも膝から崩れそうな勢いで、ふらりと体を揺らす。意識を保っているのが精一杯、という様子だ。


「そこまで〝いい思い〟をしながら私の邪魔までするとなると……これはもう許すわけには参りませんね」


 なにか言おうと口を開いたが、声は出なかった。


「どう責任を取るおつもりでしょうか」


 責任と書いて〈落とし前〉と読みそうなほど、楓ちゃんの言葉は重く肩にのしかかった。その重みで、地面がぐらぐらとする。まるで私が立っている場所だけ地震が発生しているのか、と勘違いするほどに。


「指一本で、どうにかなりますか……」


「恋莉さんの指なら家宝にしますが、アナタの指を貰ったところで捨てるだけです」


 なるべくごみ収集業者の方が驚かないように新聞かなにかで包み、外から見えなくする工夫を施してから捨ててね……じゃなくて、レンちゃんの指なら欲しいっていう心境は、かなり危険な気がする。


「どうすればいい?」


「私も鬼ではありませんので、できないことをさせるつもりはありません」


 どちらかといえば〈龍〉の印象なんですけど……げふんげふん。


「アナタが私に誠意を見せるとならば、やれることはひとつだけです」


 私が楓ちゃんにできることってなんだろう?


 毎日お弁当を作ってくるとか──それは高津さんがしてる。


 楓ちゃんが望む物を休み時間に買ってくるとか──それはファンクラブのだれかが自発的にしている。勿論、代金は払ってる。


 月ノ宮邸に奉仕しにいく──大河さんが嫌がるというか、拒否しそう。


 勉強を教える──学年トップになにを教えろと?


 趣味を共有する──これが一番可能性ありそうだ。けれど私はビジネス関連の本が苦手だったりする。読めないというほどではない。ただ、面白さを感じないので、数行読んだら眠くなってしまう。


 それでも何度か挑戦した時期もあった。大手携帯端末企業の社長が掲げる経営理念とか、世界的に有名なレコード会社の成り立ちとか、メンタリストが教える日常会話のあれやそれとか……なにを言ってるのかさっぱりわからなくて投げた。


 ──そういうことを言いたわけじゃないだろう。



 

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