二十四時限目 それぞれの思惑[天野恋莉・前]
海月の水槽は本館二階にある。
「さあ、海月が待っていますよ!」
と、いまにも走り出しそうな月ノ宮さんの一歩後ろを、苦笑いしながら歩いた。
彼女はどうして海月にご執心なんだろう? そんな疑問が頭に浮かんで、私の前をスキップしそうな勢いで進む月ノ宮さんを呼び止めた。
「月ノ宮さんは海月が好きなの?」
月ノ宮さんは足を止めて、くるりと半回転した。直黒のスカートと長髪がひらりと舞うように開いて、その姿は黒い花弁を纏う花のようだ。純白のブラウスの首元に、蝶々結びされている真紅の紐ネクタイが、蜜を探す蝶々のように揺らめく。
「ええ、好きです」
その言葉は海月に向けられた言葉なのに、彼女の瞳が真っ直ぐ私を見つめるから、思わず「え?」と口を滑らせてしまった。
「海の月と書いて〝くらげ〟と当てる。……素敵な当て字だとは思いませんか?」
「そうね、私もそう思う」
そして、たたたっと私の隣へ駆け寄ると、純粋無垢な笑顔を湛えて、片手に持っているパンフレットを広げた。
「海月の他にも珍しい生物が沢山います。早く参りましょう♪」
普段は大人しくて礼儀正しい彼女が、興奮を抑えきれずにはしゃぐ姿は、やっぱり同い年の女の子だなあと思わずにはいられない。
こんなに可愛いらしい一面があるなら、教室でも見せてくれたらいいのに。そうすれば、彼女の雰囲気も大分違って、近寄り難そうにしている子たちも話しかけ易い。
あー、でもな……。
これ以上、月ノ宮さんが人気になると、休み時間に他クラスの男子や女子が、お近づきになろうと教室が溢れかえるとも限らない。それ程に、彼女の美貌は一線を画しているのだけれど……唯一勝てるとしたら胸のサイズかしら? って、胸の大きさで女の優劣が決するわけでもあるまいし、自分が惨めになるだけだった。
「どうかしましたか?」
「……ううん。なんでもないわ」
彼女と並列して歩くのは、どうも落ち着かない。
徐々に歩く速度を落として、月ノ宮さんと距離を取ろうとしたけれど、私の浅知恵なんてお見通しだと言わんばかりに歩幅を合わせてくる。
「あの階段を上がった先ですね」
進行方向を指した先には、横幅の広い階段があった。危なくないように、フロアの照明よりも明るくなっていて、中央には手摺りが設置されている。矢印通りに進めば左が上りで右が下りだけど、階段の踊り場に柵が無いから、矢印の意味をあまり為していなかった。
階段から意識を逸らすと、大型水槽の前に佐竹らしき人物の後頭部が見えた。
人混みに紛れてはいるけれど、あのツンツン茶髪は佐竹以外にあり得ない。その隣には、ユウちゃんがいるはずだ。
二人は水槽の中を泳ぐ鮫を見て、和気藹々としているのかと思うと、胸がぐっと締め付けられるような感覚に襲われた。
でも、邪魔はできない。
今日は、佐竹とユウちゃんのデートに無理矢理同行させてもらった身分だ。終始付き纏っていたら迷惑千万な話であり、私だったら『空気読んで』と文句を言いたくなる。
二人きりになれる時間を奪っては、ユウちゃんが可哀想だし、佐竹にも申し訳ないと思う。それゆえに、月ノ宮さんと行動をともにしているわけだけれど……しょうがないと諦めて、階段に足を掛けた。
海月が展示されているフロア内は、全体的に薄暗く、周囲に水があるせいか、ちょっとだけ肌寒く感じるとはいえ、我慢できないほどじゃない。冬場に履くスカートと比べれば、こんな寒さはどうってことないわね、と思いながら、海月のブースで足を止める。
「綺麗です」
「そうね」
空中を漂うように泳ぐ海月は、とても退屈そうに見えた。でも、パッと開いて咲く花火、を見ている気分にはならなかった。
蟬羽月とも呼べる時期ではあるけど、初夏の面影はまだ遠く、花火と連想できなかっただけかも知れない。
「海月って、骨が無いのよね」
あまり興味もない海月をぼんやりと眺めながら、ふと思ったことを口に出していた。
「ええ。海月は無脊椎動物ですから」
私の記憶が正しければ、無顎類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類以外の生物は『無脊椎動物』と言ってもよい、と教科書に書いてあった気がする。
「骨が無いって、どんな感じなのかしら」
「そうですね……。水に浮かんでいるときが、それに近い感覚ではないでしょうか」
両手を軽く握るようにして立っている月ノ宮さんの親指が、まるで太陽と月の軌道に似た動きをしている。
「落ち着かない?」
「え? ええ、まあ……」
それもそうよね、と思った。
私と彼女は、そこまで親交が深いわけじゃない。教室ですれ違えば挨拶を交わすし、授業で同じ班になったら話す程度で、今日みたいに二人きりで過ごすような時間はなかった。だから、友だちというよりも挨拶フレンドみたいな関係だ。
容姿端麗、才色兼備、こんな四字熟語が自然と思い浮かんでしまうような彼女を前にすると、自分がどうしようもなく下らない人間であると突きつけられる気がして苦手だった。
あと、いつも私をちらちらと窺う視線も気になって仕方がない。そんな彼女と一緒に、水族館で海月を見る日が来るなんて思いもしなかった。
教室でもそうだけど、どうして月ノ宮さんは私を見るのかしら? 気に触るような言動をした覚えはないし、男子からチヤホヤされている彼女が、私を目の敵にする理由もない。
「ねえ、月ノ宮さん」
隣で海月を見ていた彼女は、虚を衝かれたとばかりに固まって、恐る恐る顔をこちらに向けた。
そんなに怖がることないじゃない……。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
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「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
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完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
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を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し