三百九〇時限目 プラネタリウム 4/7
夏休み学割というシステムが鉄道機関にもあればいいのに、と考えていた。私が知らないだけで実は存在しているのかもしれないけれど、目に見えないサービスなんて、あってないような物だ。
どこでも〈ネット割引き〉が主流になりつつあるこのご時世に、私は異議を唱えたい。客と対面しないネットサービスだからこそ、通常よりも割引率が高いのはわかる。でも、ネット環境が整っていない家庭だってあるはずなのだ。
隣で四割引き処理をされているのを羨ましく眺めながら二割引きで我慢しろと? 情報が物を制すというけれど、情弱にも救いの手を差し伸べてくれたっていいじゃん。──なんて。
満員電車に揺られる私。
本日発売の週刊誌の中吊り広告の見出しは、『大物俳優Sと人気若手女優Mの密会を激写!』だった。SとM……なにかの因果関係を思い浮かべかけて、やめた。
俳優や女優だって人間だし、そういうこともある。たまたまマニアックな行為が二人にとって最適だっただけの話でしょ? それをわざわざ大袈裟に囃し立てるのは、あまり行儀がいい行いとはいえない……この二人が本当にそういう行為をしていたかは、本誌を読んで審議しなければわからないけど。単純にお茶してただけ、という場合も有り得るのが週刊誌なのだ。エンターテインメント、なんて訊こえのいい言葉を盾にしているのが、とても狡いと思う。
夏休みも残すところ数日になったというのに、都会に出る田舎者──私も含めて──が多い。いや、残り少ない休みだからこそぱっと都会で遊ぼうとしているのかも。電車内にいる若者の比率が高いのは、そういう理由としか考えられなかった。
池袋に到着した。
待ち合わせ場所は東口だったよね、と思い出す。だが、東口といっても一つじゃないところが都会駅の罠だ。構内案内板を見て、「どちらで待ってようかな」とその場で足を止めた。手前にあるのが西武百貨店付近の東口、奥にあるのが〈いけふくろう前〉にある東口。楓ちゃんとレンちゃんは、西武側の東口が近いだろう。そう思い、手前にある東口の階段を進んだ。
階段付近の適当な場所を陣取り、バッグから携帯端末を取り出した。時刻は待ち合わせ時間よりも一時間ほど早い。心配性なもので、待ち合わせ時間ぴったりに到着するように出発できないのだ。待たせるよりも待っているほうが気楽だし、というのもある。
ただ、こうも早く到着してしまうと手持ち無沙汰で……。
ほとんどといっていいほど使わない──使わなくなったというほうが正しい──SNSのタイムラインをチェックしていると、佐竹君のつぶやきが大量に投稿されていた。どうして彼はネット上で〈サタケマン〉と名乗るのだろうか。──それはどうでもいいとして。
本日の佐竹君の投稿は、『おはよーっす』から始まり、『宿題やっと終わったわー。やべー』と続く。そして、『つか、俺もリウムに誘えよ!』で締め括られていた。
どうして佐竹君が今日のことを知っているのかはわからないけど……レンちゃんか楓ちゃんに訊いたのかな。リプを返したのはおそらく宇治原君だ。名前が〈玉露〉になっているのは、抹茶リスペクトに違いない──宇治だけに。
宇治原君は『草』とコメントしていた。
うん。キミは草じゃなくて〈葉っぱ〉なんだけどね。茶葉生える。
そうコメントしてやろうとも考えたけれど、それで茶柱を立てられても面倒なので心の内側に秘めておいた。
興味本位でメイド喫茶〈らぶらどぉる〉のアカウントを覗いてみると、今日出勤のメイド、男性執事、男装執事の名前が記載されていた。
エリスちゃんは不在で、レインさんは出勤らしい。ここで出勤を確認できると知れたのはラッキーだった。もっと早く知っていれば、流星の筒慳貪な態度を弄る必要もなかったのに。
他にも、柴犬──柴田健のあだ名──、凛花ちゃん、泉ちゃんのアカウントを見たけれど、一番地獄だったは琴美さんのアカウントだった。これは公共の場で見ちゃいけないアカウントだ。でも、メイキング動画はちょっと興味を惹かれる。
えちえちで繊細な絵がどのようにして描かれていくのかを二分くらいに纏めた動画の再生数は、軽く一万を超えていた。さすがはあっちの界隈で有名なコトミックス先生──あれ? コトミックスとサタケマンって、どこか似たものを感じてならない。
ネーミングセンスが絶妙にダサいのは、佐竹家の血がそうさせるのかな。
宇治原君のアカウントだけをブロックして、携帯端末をバッグにしまった。座れない状況での暇潰しにはちょうどいい。文庫も持ってきていたけれど、ついに読むことはなく。
楓ちゃんとレンちゃんがお揃いで、私の元にやってきた。
「待たせちゃったかしら?」
「ううん。私もいまきたところだよ」
いまきた、というのは、相手に変な気遣いをさせないための建前だ。それに、待ち合わせ時刻一〇分前に到着した二人を責めるのも、お門違いと言える。
レンちゃんは、青磁色の半袖パーカーにデニムショートパンツという装い。靴は白のキャンパススニーカーで、靴紐はシェルピンクの物に取り替えたようだ。どこかボーイッシュな雰囲気があるけれど、足元でガーリッシュ感を出している。東雲色のかぶせショルダーバッグは革製で、使い込まれた質感があった。
「本日はよろしくお願い致します」
と、頭を下げる楓ちゃん。
「う、うん……よろしくね」
楓ちゃんはシチリア海を観光するマダムが着ていそうな、ワインレッドのサマードレス姿で。この前ショッピングモールで購入していた涼しげな一着だ……値段が高そう、と思う。それに二本の紐が交差した、透明感のある白いサンダルを合わせている。セレブでリッチなVIP感。ひさしの広い麦わら帽子は、あの日被っていた物と同じだった。両の手で持っているバッグも白色で、赤と白のツートンカラーがよく似合っていた。
【修正報告】
・報告無し。