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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
561/677

三百九〇時限目 プラネタリウム 1/7


「本日はどうもありがとうございました」


「うん。──それじゃ」


 右手を軽く振ると、月ノ宮さんは微笑んだ。


 無理して笑ったわけではない、と思いたいところだが。


 これからの行く末に思念を巡らせると、まるで自分のことのようにきりきり胃が痛む。偉大な父親を前にして啖呵を切ろうというのだ。其れ相応のプレッシャーを感じているに違いない。都内行きの上り電車が到着するホームの階段を下りていく月ノ宮さんの背中に、僕は心のなかで健闘を祈るしかできなかった。


 カミングアウトはいつ行うのか、その日取りについて詳しい情報を最後まで語ることはなかった。「いつするの?」と訪ねてもよかったのだが、気軽に訊ける内容でもない。


 訊いたとしても、答えてもらえるかどうか怪しいところだ。僕が月ノ宮さんの立場だとしたら、言を濁してその場を切り抜けようとするだろう。上手く言葉で説明するのが難しいし、「しつこいヤツだな」と思わるのも癪だ。やるべきことが自分のなかで明確になっているならば、あとは本人次第。


 下り電車の到着を知らせるアナウンスが、軽快なメロディの後を追って流れた。この時間は仕事帰りのサラリーマンも搭乗する帰宅ラッシュでもある。警笛を鳴らして滑り込んできた電車に、空席は見当たらなかった。ドアが開いて中の人数が減ったとしても、入れ違いで乗り込む人々が空いたスペースを埋める。


 乗客のだれもが退屈そうな顔をして携帯端末や本などの紙媒体を見たり、吊革に掴まりながら船を漕いでいる。大袈裟なヘッドホンを付けているフリーター風の女性は、パンクな格好をしているにも拘らず漏れ出している音楽はロックではなかった。


 好みは人それぞれだし、僕にそれを指摘する権限もないわけだが、その格好で女性声優が歌う萌え萌えアニソンというのも如何なものか……まあ、電車内で音漏れさせながらアニソンを聴くという行為自体は、たしかにロックかもしれない。


 ドアの隣にある隙間に体を捻じ込んで、左肩を壁に預けた。周囲をワイシャツ姿の中年男性が取り囲んでいる。身動きがとれないこの状況ではバッグからイヤホンを取り出すことも叶わずで、暇潰しといえば見知らぬ男性の頭部の隙間から夜の風景を見るくらいだ。──僕もアニソンを聴いて対抗しようと思ったのに、ざーんねーんだー。


 風景を傍観するのも飽き飽きしてきた頃、ようやっと馴染み駅に電車が到着した。ぷはあ、と溜息を吐き出すようにドアが開き、一番乗りで外に出た。


 改札を抜けて出口を目指す。ふと甘しょっぱい匂いが鼻を擽り、お腹の虫をぐうと鳴らせた。緊張と、少しばかり知恵を絞ったせいで頭痛がしているが、こういうときでも腹は減る。然し、帰宅して夕飯を作る気力はなさそうだ。コンビニ弁当で済ませてもいいけれど、どうせなら温かいご飯が食べたい。


 駅前にある牛丼店の匂いに釣られたのだから、ここは正直に釣られてやろう……そうだな、ねぎ玉牛丼が食べたい気分だ。





 * * *





 帰宅後にシャワーを浴びて、そのままベッドインを決め込んだ。最近は寝る前に動画サイトで〈日本の秘境〉か〈世界の絶景〉を見ながら寝落ちするのがマイブームだったけれど、昨日はさすがに疲労が限界値を迎えたようで、アプリを立ち上げることなく就寝となった。──そこまでは記憶に残っている。


「朝が……早い」


 早朝、ではない。ついさっき寝たばかりなのに、という感想だ。重たい瞼をごしごしとシャツの袖で擦り、無理矢理にでも目を開ける。


 本日はお日柄もよく、小鳥たちが庭でちゅんちゅん歌っている。これが軽井沢の別荘での起床であれば、それはもう清々しい気分で朝を迎えられたことだろう。然し、ここは軽井沢などではなく埼玉県のド田舎である。風情もあったものではない。


 エアコンをつけっぱなしで寝てしまったようで、部屋の温度は快適に保たれていた。寝苦しさがなかったのはそのためだろう。いつもはタイマーをセットして寝ているのだが、やはり、エアコンが切れて数時間すると部屋の温度が上昇する。この『隙間時間』が厄介で、どうすれば安眠できるか、が夏休み中の課題なのだ。


 再び惰眠を貪ってもいいが……念のため。


 携帯端末に記入したスケジュールを確認する。


 待ち合わせ:池袋東口

 時間:十四時

 目的地:サンシャイニングビル屋上プラネタリウム

 備考:女装してこいとのこと。見届け人になる。


「見届け人って」


 この書き方だと切腹の介錯をするみたいで候──。


 朝に放送している時代劇、お殿様が貧乏旗本の三男坊と偽って江戸の町で悪事を働く者を成敗していく物語を見た影響かもしれない。


 予定は午後からということもあり、僕の脳が睡眠を欲し始めた。だけど、ここで寝たら確実に待ち合わせに遅刻するだろう。


 女装というのは、ぱっとできるようなものではない。いくら手慣れているとはいっても時間があっというまに過ぎるのだ。


 普段からしっかりと無駄毛の処理をしていれば、体をささっと確認する程度で済む。だが、体毛が濃い男性が無駄毛の処理をするとなると、それだけで一時間は潰えてしまう。


 更にそこから肌の手入れ、服選び、化粧諸々を考慮すると、どこかで妥協しない限りいつまでも終わらない。女性はその作業を普段から行っていると考えると、帽子を脱ぐ思いだ。


 そういえば──。


 今日、月ノ宮さんは天野さんに告白するのだろうか? カミングアウト作戦が成功した、という旨を書いたメッセージはまだ届いていない。昨日は決行日を言明せずに別れたが、月ノ宮さんは「自宅に戻る」と言っていたので、帰宅後、すぐに実行するものとばかり思っていた。


 口出しした以上は僕にも知る権利があるはず──時計を確認する。月ノ宮さんだったら起きている時間だろう。そう思い、メッセージアプリの通話機能を使って電話してみた。


 コール音が五回しても、応答がない。朝食の時間なのか、たまたま携帯端末から遠い場所にいるのか。それとも、通話に応答できないような事情が発生しているのか……そっちのほうが可能性は高そうだ。


 喩えば、昨夜の話し合いが拗れてしまい、月ノ宮さんのメンタルがやられているとか。──懸念材料がぽんぽん頭に浮かぶ。


 その後も祈るような気持ちでコールし続けていると、三度目のトライで本人が出た。


『おはようございます』


 第一声は、いつもどおりはきはきしていた。



 

【修正報告】

・2021年7月6日……誤字報告箇所の修正。

 報告ありがとうございました!

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