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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
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三百八十六時限目 天野恋莉からは逃げられない 4/4


 帰宅した両親に天野さんを紹介した。父さんと母さんは最初こそ戸惑いを見せたけど、母さんは話しているうちに意気投合した様子で。「彼女さんかしら?」と訊かれたときは、どう返せばいいものか悩んだが、長考しているうちに、「違いますよ」と天野さんが答えた。両親以上に僕が安堵している。また一つ、罪悪感が増えてしまった。


 父さんは二人の話を訊きながらビールを飲み、たまに「へえ」とか「ほう」とか相槌を打っていた。中年男性が女性同士の会話についていくのは難しいようで、ビールとつまみの減りが尋常じゃない。こんなにハイペースでお酒を飲む父さんを見るのは、中学一年の夏休みに母さんの実家を訪れた日以来だ。


 母さんのお父さん……おじいちゃんは、豪快にお酒を飲む人だった。四リットルペットボトル焼酎を割らずに飲む、言わば酒豪と呼ばれる人種で、肩身が狭そうにしている父さんに、「まあ飲め」と酒を注いでは飲ませていた。あの日のペースよりは劣るけれど、すでに(サン)()()(カン)を二缶空けている。きっと女子高生相手に、どう接していいのかわからないのだろう。


 頃合いを見て、僕らは部屋に戻った。





「お風呂ありがと。うちよりも広いから驚いちゃった」


 天野さんは、僕が間違えて購入したオーバーサイズの白いティーシャツを着ている。それで丁度いいサイズだというものだから、胸囲が驚異的(オーバーサイズ)だ、と思った。寒々しい親父ギャグでも考えてないと、やっていけそうにない。


「優志君、ちょっと見過ぎ」


「あ……ご、ごめんなさい」


 ここは素直に謝罪するべきだろうと思い、深々と頭を下げる。とはいえ、多次元的に膨らんだそれを見てしまうのは、男女共通意識ではないだろうか、とも思う。──それだけ立派だし。


「優志君が女の子だったら、ちょっと触ってみる? ってできるけど」


「女子同士ってお互いの胸を触りあったりするの?」


「まさか」


 と、天野さんは苦笑いを浮かべた。


「そういうのは、アニメや漫画だけなんだね」


 なにがとは言明しないけれど、残念ではあった。


「女子にとってコンプレックスでもあるからね。無闇矢鱈に触らせたりしないわよ」


 現実と非現実はこうも違うものなのか。リアルな反応に、僕はたじたじになった。でも、言われてみればたしかにその通りではある。逆の立場で考えてみた。男性が男性の男性を触らせるとか、そんな光景は見たことがない。いや、僕が知らないだけでそういったことはあるのかもしれないが、野次馬目線で踏み込んではいけない世界だとも思う。──琴美さんは好きそうだけど。


「それじゃ、僕もお風呂に入ってくるね。適当に寛いでていいから」


 そういって、部屋を出た。


 お風呂、か──否が応でもあの日を思い浮かべてしまう。


 日光旅行の最終日、天野さんは大胆過ぎる行動に出た……忘れたほうがいいのだろう。でも、あまりにも強烈な出来事過ぎて、僕の脳にはあの情景が鮮烈に刻まれている。肩の丸み、鎖骨の窪み、肌のきめ細やかさまでも。これは不貞行為に該当するのだろうか? いやいや、僕はある意味、天野さんに騙されたのだ。だからセーフ。かなりアウト寄りではあるけれど、一応はセーフだ。と、何度も言い訳してきたが、ここにきてその記憶が甦るのはさすがにアウトだろう。


 脱衣所で服を脱ぐ。鏡に映った自分の姿は、やはり男らしい体格ではない。女装する上では得体でも、コンプレックスは拭えない。


「どうして僕はこの体で、男として生まれてきたんだろう……」


 その疑問は、自分のアイデンティティを否定することでもあった。頭を振る。僕は結局、僕以外の何者にもなれないのだから、この姿を受け入れて、自分という個性を磨くしかない。その方法のひとつとして〈女装〉があるだけ。自分を探る手段が他人よりもひとつ分多いだけ得だ、とも言える。


 シャワーで汗を流し、体を洗う。腕には産毛のような細い毛があるだけで、黒々とした毛は生えていない。それも普段、専用の剃刀で処理をしている。だから余計に、僕の体は女性らしさが色濃くなっていた。


 全身を洗い終えて、湯船に浸かった。両膝を抱えて座ったのは、僕の男性部分を隠すためだった。この際だから髪も伸ばしてみようかとも思うけれど、自分の性が女性一色になるのは怖くもある。男性としての鶴賀優志を捨てることが僕にとっての幸せに繋がるのか、その判断はとても難しい。


 ぼうとしながら湯船に浸かっていると、脱衣所から「大丈夫?」と心配する声が訊こえた。天野さんの声だった。


「あまりにも遅いから様子を見にきたんだけど……()()せてない?」


「あ、うん。大丈夫だよ」


「そう? ならいいんだけど……」


 モザイク加工された強化プラスチックのドアに、天野さんの姿が映っていた。


「他人の部屋に一人でいるのはやっぱり寂しいから、できるだけ早く出てきてほしい……かも」


「そうだよね。──もう出るから、部屋で待ってて」


 天野さんは「わかった」と言い残し、脱衣所から出ていく。ドアが閉まる音を確認して、湯船から出た。





 部屋に戻ると天野さんは、僕の勉強卓にだらんと突っ伏していた。


「なにをしてるの?」


「優志君が遅いから、優志君成分を吸収してたの」


「えっと……机で?」


「枕でするのは、ちょっと刺激が強過ぎるって思って」


 だから勉強卓……? 天野さんの感性も、他人と少しずれているところがあるんだな、と僕は噯にも出さずに思った。天野さんの目がとろんとしてる。勉強卓に突っ伏しているうちに、眠気が訪れたらしい。「もう寝ようか」と提案すると「そうね」って、眠たそうに返してきた。


「ところで、私はどこに寝ればいいのかしら」


「嫌じゃなければ僕のベッドを使ってよ」


「優志君はどこで寝るの?」


「同じ部屋ということにもいかないし、僕は下のソファで寝るよ」


 ──やだ。


 ──はい?


「やだって言ったの」


「そう申されましてもですね……? 両親もいる手前、同じ部屋で寝るのはどうなのだろうと」


 高校生という身分でもあるし、僕は仮にも男なのである。間違いを起こすなんて絶対にしないが、断言もできない。


「傍にいてほしいって言ったら……怒る?」


 なんだ……なんだこの甘えかたは!? 甲斐性のない僕でも、くらくら眩暈がしそうになる。いや、実際にくらくらしてきたぞ? なんだこれ、目がまわ、る──。





 * * * 





 朝日が眩しくて目を覚ました。僕はいつベッドの上で眠ったのだろうか? 思い出そうとしても記憶が曖昧だった。僅かに思い出せるのは、視界がぐらぐら歪んでいたということだけで、それ以降の記憶がない。混濁している意識のまま、「もう少し寝よう」と寝返りを打った。そして、隣で窮屈そうに寝ている美少女を発見した。がつん、と脳に衝撃が走り、僕は現実に叩き起こされた。


「なんてことだ……」


 酔った勢いで女上司と一夜を共にしてしまった既婚男性の気持ちというのは、まさしくこういう感覚なのだろう。ずどーん、って感じで、どかーん、と思った。昭和的な擬音をつけるならば、ガビーン、である。しーん、とした部屋では、天野さんの寝息が殊更に訊こえる。


 女の子の寝顔をまじまじと見た経験はない。僕と天野さんとの顔の距離は目と鼻の先で、唇に触れようと思えば届いてしまう距離だ。が、ここで間違いを犯してしまえば、僕らの関係にひびが生じる。我慢だ。我慢だぞ鶴賀優志! と自分を鼓舞して、起こさないようにベッドから起き上がろうとした。


「あ、おはよう。優志君」


「お、おはようございます。天野さん」


 ふにゃあって感じで欠伸をして、涙目を擦る。まるで寝起きの猫みたいだ。


「昨日はお楽しみだったんでしょうか……?」


 恐る恐る訊ねる。天野さんは寝ぼけ眼のまま、「お楽しみ? それよりも大変だったんだから」と苦言を呈した。


「きっと湯あたりしたんでしょうね。優志君、あの後ばたんって倒れちゃって、私がベッドに運んだのよ? 予想以上に軽かったからよかったものの、そうじゃなかったらおじさんたちを呼ぶ羽目になってたんだからね」


 いくら体重が軽くても、脱力している人間を運ぶのは困難を極める。天野さんは思いの外、力持ちだったのだろうか。そんなことを天野さんに訊けるはずもなく、


「ごめんなさい」


 平謝りする他になかった。


「もういいわ。──一応、目的は達成できたし」


「目的って?」


「教えないわよ、ばか」


「ですよねえ……」


 カーテンが開け放たれた窓の外を見た。晴れ渡る青空が僕の目には眩しくて、つい目を細めてしまう。昨日の雨雲は、どこか遠くに消えていった模様だ。夏のいい思い出は、やってしまった感しか残らなそう……そんな気がして堪らない空だった。



 

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