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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
552/677

三百八十六時限目 天野恋莉からは逃げられない 3/4


「本を沢山持っているからといっても、読書家だとは言えないわ」


 天野さんは両手を後ろにして姿勢を斜めにし、天井を仰ぎながら熱っぽく語り始めた。


「だって、本を買うのはだれにでもできることよ? 古本屋で安い本を片っ端から買っていくだけでいい。大切なのは本の所持数ではなく、読んだ本から知識を得てそれを生かすことにあるんじゃないか──と、私は思うけど」


 正論である。


 過去の僕に言ってやりたいくらいだが、過去の僕はいま以上に色々と拗らせているので、他人の意見に耳を貸したりしないだろう。とどのつまり、黒歴史だ。人に歴史あり、というけれど、黒歴史なんてないほうがいいに決まってる。


 勉強卓にしまった椅子を引き、どさっと座った。そして、体を天野さんに向ける。目が合うと、天野さんは視線は外した。


「天野さんの言い分は、その通りだと思うよ。でも、僕の読書は趣味の域を出ないし、知識を生かせているかどうかはわからないな」


 無駄な知識だけは豊富だが、その知識が日常に使えるかと言われると疑問である。


 喩えば、レモンがビタミンCの王様のように扱われる理由は疲労回復効果があるクエン酸も同時に摂取できるから、とか、相撲の『はっけよい』の掛け声の意味は、『発気揚々(気を盛んに出す)』であり、『のこった』は『まだ勝負がついてない』ことを指す、とか。ほとんど(うん)(ちく)で、知っていたとしても生活の役に立たないものばっかりだ。──レモンに関しては僕の私見でしかない。


「優志君はその知識を使って、私たちを救ってきたじゃない」


「救うなんて……大袈裟だよ」


 誤謬を正すように言う。


 天野さんは、「ううん」と頭を振った。


「それができる優志君を、私は尊敬してるわ」


「尊敬なんて、そんな」


 僕は、だれかを救うという大義名分を持って動いているわけじゃない。結果として相手が満足してくれるだけだ。満足という言い方も正確ではない。「そうする他になかった」や「口車に乗せられた」が正解だろう。正しく()()を救おうとするならば、口先論だけで済ませるべきではないからだ。


 もっとも、正しさなんてだれにもわからない。自分で考えて行動しても、間違いは起こる。「やって損したほうがいい」なんてのは()(まん)でしかない。そのほうが精神的な苦痛が少ないという研究成果が出ていたとしても、「やって得したほうがいい」に決まってる。


 僕が提示するのは、「やって得したほうがいい」の最底辺回答だ。やっても得しないし、やらなくても得はしない。だったらやってもいいんじゃないか? と相手に思わせるような詐欺商法に近いものがある。だから僕は、だれかに尊敬されるような立派な人間ではない。──常に自己嫌悪の日々だ。


 それでもすきでいてくれている佐竹と天野さんこそ、僕は尊敬に値すると思う。


「そうだ」


 なにかを思い出したのか、天野さんは手を叩いた。クラップ音が耳に響く。耳の奥で鼓膜が振動する音がした。必要以上に大きい音を訊くとなる現象で、いつか耳鼻科にいかなきゃなと思っているが、そう思うだけで行動には移していない。


「前に、本を貸してほしいってお願いしたじゃない?」


 そんな約束したっけ? と首を傾げていると、天野さんは呆れ顔をした。


「忘れてたの?」


「ごめん」


「まあいいわ。この本棚の中から一冊選んで貸してよ。私、優志君がおすすめする本が読みたいな……いいでしょ?」


 そんな笑顔を向けられたら、「駄目だ」と断ることもできない。


「いいけど……そうだなあ」


 と立ち上がり、本棚の前へ。右端から順々に、タイトルを目で追っていく。最近読んだもので天野さんが気に入りそうな本といえば、宗玄膳譲の〈コーヒーカップと午後のカケラ〉だけど……ちょっとした悪戯心で〈ハロルド・アンダーソン〉を渡してみようか、とも考えた。ハマる人はとことんハマり、苦手な人はとことん苦手、で有名なハロルド作品を読んで、天野さんがどういう反応を示すのか興味がある。


 さて、どれダーソンにしようかな? とにやにやしながら選んでいると、背後のベッドに座る天野さんが、僕の意図を気配で感じ取ったようで、「いじわるはしないでね?」と。


 そう言われたら、この一冊しかない──。


 本棚から一冊を取り出して天野さんに渡した。その本を両手で受け取り、怪訝そうな顔で洋書独特の紙装幀をじと見つめる。かなり古い本なもので、保存状態は決していいものではない。所々に汚れも目立つ。だけど、ハロルド作品の中では一番取っ付き易い作品でもあった。


「中身は英語……ではないわね」


 ぺらぺらと流すように捲り、言語を確認する天野さん。僕が大の英語嫌いであることを知らないのか。英文をすらすら解読できるほどの英語力はない。テストで赤点を取らないのは、予習と復習を欠かさないからである。


 やることがなくて勉強しているわけだが、英語に限っては苦痛が伴う作業だった。ああもう本当に、日本語が世界共語にならないかなあ!? そんな日はやってこないので、僕は日本に留まるわけだ。


 天野さんの手元にある本を見ながら、


「この本は、敢えてこういう装幀にしたんだって。この作品は悲恋モノだけど、全体的に描写が綺麗だからいいかなって思ったんだ。苦手だったら別のにするよ?」


 ハロルド史上最高傑作と言われているタイトルもいいけれど、読みやすさで言えばこちらだろう。ハロルドらしさは少ないが、入門書には丁度いい。ランキングでは〈星三、五〉と低い評価ではあるものの、決して内容が悪いわけではないし、寧ろ大衆娯楽という点においては、映画化されてもいい。と、僕は太鼓判を押せる。そうだな、俳優はイケメンではなくちょっとブサイクな感じがいい。相手の女優はオードリーのような色気がある女性が演じてくれると華がある。


「ううん。せっかく選んでもらったから読んでみる……けど、感想は期待しないでね?」


 そういって、床に置いていたバッグに本を丁寧にしまい込んだ。



  

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