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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
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三百八十三時限目 幸福論


 帰宅して早々に自室のクローゼットを開けた。七割が男性服で、三割が女性服を占める衣類専用クローゼット。両親の理解を得てから隠す必要がなくなったのもあり、衣類だけは堂々としたものだ……さすがに下着は隠しているけれど。


 初めてドレスを着てみて思ったことがある。着飾る、という意味の真髄を垣間見たような気持ちだった。美意識を高めるなんて偉そうなことを考えたわけじゃない。もっと単純で、だけど言葉にすれば軽過ぎてしまう。そうだな……ふわっとした感じ。ほらね? やっぱり全てを言葉で表現するのは不可能なんだ、と僕は思った。


 クローゼットを閉めて、財布から抜き取ったカードを勉強卓の上に置いた。ハートのエース、と思う。表面に書いてある文字に女性っぽさはない。英語で書いてある名前は芸能人のサインみたいで格好いい、と月並みに思ってしまった。


「貴女がしあわせとともにあらんことを」


 口に出してみた。とっても恥ずかしい。大声で「殺せよ! 殺してくれ!」と叫びながら床をごろごろ転がりたい気分になる。


 このカードには〈貴女〉という言葉が選ばれていた。〈アナタ〉ではなく、〈貴方〉でもない。高貴な女性という意味で〈貴女〉。とどのつまり、客であるお嬢様に送る言葉として〈貴女〉を選んだということであり、僕に宛てられたメッセージではないのだ。だからこそ、余計に考えてしまう。──幸せってなんだ?


 幸せは歩いてこないらしい。だから歩いていくとある。でも、幸せの定義なんて人それぞれだろう。美味しい物を食べられたら幸せだという人もいれば、アイドルを追っかけているときが至福だという人もいる。世界平和は人類共通か。それを夢と言っていいのかその判断は、世界各国のリーダーに任せるとして。


 僕は身近にいる人々が幸せに暮らせればそれでいいんじゃないかな、と思っている。身近にいる人々が幸せであれば、降りかかる火の粉は最小限に抑えられるからだ。自分が幸せであれば他人に関与するのは無意味だなんてエゴっぽいけれど、実際そんなものだ。そうじゃなければとっくの昔に貧民階級はなくなっている。が、然し実際のところ貧富の差は歴然としているのが実状である。だから僕は国を救えない。お釣りの小銭を募金する程度でしか力になれない。


 勉強卓の引き出しに、カードをしまった。


 他人の幸せを願うことは、傲慢な気がしてきた。きっと人間は、幸せについて本気出して考えたりしないのだろう。それこそ他人と自分を比べて惨めな気分になるから。──劣等感ともいう。


 月ノ宮さんにとっての幸せとはなんだろう、と思ったが、その答えはわかりきっていた。「恋莉さんと結婚して家庭を築くことです」と力説される未来しか見えない。けど、その果てしなく気高い目標は、敬愛する父親によって閉ざされようとしている。こんな不幸ってない。


 照史さんは、「あの人と戦って勝てる見込みがあるのは楓だけだ」と、それに近いニュアンスのことを言っていた。僕のやり方を理解しているからこそ、敢えて強い言葉を選んだに違いない。一見すると妹を見放しているような言い分だが、信頼しているとも受け取れる。


 兄妹とは確固たる絆で結ばれた存在なのだろうか。そうじゃない、と僕は思った。愛情はある。然れど、その先は不明瞭だ。相手を信頼することが悪いとはいわない──結末だ。大切なのは相手を信頼することではなく、結末を見届けることにあるのではないだろうか。それこそが信頼という言葉の意味になるのではないか、と。そういう意味では、照史さんの判断は冷静だったといえる。


「冷静を欠いていたのは僕のほうだ」


 唖然としたまま、窓の外を見つめる。夜の帳が降りた空に無数の星が煌めいている。近所の家には明かりが点り、夕飯の支度が済んだことを知らせる母親の声が訊こえてきそうだった。それでも閑寂としていることに変わりはない。


 夜空を見ていた僕は唐突に、どうして月ノ宮さんは「プラネタリウムにいきたい」と申し出たのかが気になった。見識を深めるという理由だったが、それは口実に過ぎない……星に願いを叶えてもらうため、だとしたらどうだろう。人工的に作られた星も数があれば或いはだ、とでも思ったのだろうか。願掛け。縁起担ぎ。言い方は様々あるけれど、どれを取っても月ノ宮さんらしい行動ではないと断言できてしまう。


「少女趣味過ぎてる……」


 これはちょっと言い方が悪いな、と反省。


 占星術とか風水とか、御百度参りは時代錯誤が過ぎるけれど、不可思議なものに重きをおくのは女子らしい。でも、月ノ宮さんにそんな非現実的な趣味はあっただろうか……ないだろう。そんなの、僕が知っている月ノ宮楓ではない。寧ろ、それらを否定して我を通しそうだ。そういう強さが月ノ宮楓にはあった。百獣の王ライオンでも、気が弱れば鬣を垂らすものなのか。子どもを崖から突き落とすなんて、いつ頃から言われ始めた迷信だろう。普通に危ない。というか、その状況が普通じゃない。はっきり言って異常だ。常軌を逸している。


「常軌を逸している……?」


 月ノ宮さんは常にあった軌道から逸れているのか。ならばその道を元に戻すことができれば僅かな光が見えてくるけれど、そんなことを僕ができるだろうか。


 ──私なら、できる。


 そう自信満々に、彼女が僕に囁いた気がした。



 

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