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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
541/677

三百八〇時限目 薔薇の花園への招待 2/2


〈らぶらどぉる〉の二階にある〈衣装室〉に連れてこられた僕は、部屋の片隅に並ぶ予備のメイド服や、イベントで着用するであろうアイドル風の衣装を、エリスが用意したドレッサーの椅子に座ってぽつんと眺めている。


「ここで待ってろ」


 と言われて、かれこれ数十五分は待たされているけれど。


 ホールで流れているポップな音楽が壁を伝って漏れ訊こえるこの部屋で、ひとりぼっちというのはどうにも居心地が悪い。嫌な予感がする……そう思えてならなかった。取り調べを受ける犯人のような心境で、エリスが戻ってくるのをじと待った。


 背後からコンコンと、硬いドアをノックする音が出し抜けに飛び込んできて、僕はびくと体を震わせた。


「どうぞ」


 と応答する。


「失礼します」


 この声はエリスではない。生真面目な鋭い声は訊き覚えがあった……カトリーヌさんだ、と僕は思う。衣装室に入ってきたカトリーヌさんは、薄紅色のフィッシュテールドレスが飾られているマネキンを僕の隣に置いて、


「エリスさんからお話は訊きました」


 なんの話だ? と状況が掴めず首を傾げる僕に対し、カトリーヌさんは少々語気を強めて、「手早く始めましょう」と僕を椅子から立ち上がらせた。


「服を脱いでください」


「え」


「恥ずかしいことはないでしょう。私もアナタと〝似たようなもの〟なのですから」


 カトリーヌさんは、体と心が一致していない。戸籍上は〈男性〉で、心は〈女性〉だ。『似たようなもの』と言い表したのは、僕の羞恥心を弛緩させようというカトリーヌさんなりの心遣いだってことは理解できる。しかしいっかなこれまたどうして、見た目が完璧にキャリアウーマンなもので、抵抗感を覚えるのはしょうがないことだった。


「あの」


「はい」


「どうして僕は服を脱がなければいけないのでしょうか……」


 今度はカトリーヌさんが、「はて」と首を傾げた。


「このドレスに着替えるのですから、服を脱ぐのは当然かと」


「いやいや、僕はドレスに着替えるなんて一言も」


「では、その格好で〝薔薇の花園〟へ?」


「薔薇の花園?」


 訊き慣れない単語が出てきて、僕はその単語をおうむ返しする。


「男装の麗人たちが集う場所……それが薔薇の花園です」


「もしかして、執事ブースのことですか?」


「その呼び方は好ましくありませんが。──そういうことなのでは?」


 執事ブース=執事ブスってこと? それならば店側としても好ましくはないよな、と思う。


「僕は〝薔薇の花園へいきたい〟なんて、ひとことも言ってません。どうしてそういう流れになってるんですか?」


「エリスさんから訊いたのは、鶴賀様が〝夏の素敵な思い出を作りたい〟と。それならば、女性の立場になってちやほやされるのもいいのではないか? というローレンスの粋な計らいです」


 やっぱり、と僕は思った。諸悪の根源は店長のローレンスさんだ。おそらくエリスは、その計画を事前に訊いていたのだろう。当時は『軽い冗談』だったものが、こうして実行の機会を得た、と。そういうことに違いない。僕を揶揄うだけに、お金をかけ過ぎじゃない?


「百歩譲ってドレスを着たとして、その後はどうするんですか。化粧やウィッグは?」


「問題ありません」


 そういってカトリーヌさんは、勢いよく収納棚を開け放った。


「見ての通り、化粧道具、下着、ウィッグなど。それらの準備はございます。無論これらは、〝不測の事態が起きたとき〟のために用意した物です」


「ああそうですか……」


 下着や化粧道具はまだわかる。が、ウィッグを使わなければならないような不測の事態ってなんだ。しかも割と種類豊富なのが腹立たしい。一見すると獄門首のようで薄気味悪いマネキンたちの首には、ショートからロングまで、幅広い髪型のウィッグが被せられていた。


「カトリーヌさんは、悪ふざけにもほどがあると思いませんか?」


 そう訊ねた僕に、カトリーヌさんは腕を組んで答えた。


「そうですね、やり過ぎだとは思います。──ですが、女性としての喜びを知るのは鶴賀様にとってもよい経験になるのではないか、とも考えます」


「どういうことですか?」


「当店では、私たちと似た境遇の方々にも気兼ねなく楽しんでいただけるよう、従業員教育を行なっています。偏見や差別は致しません。なので、鶴賀様もご安心して〝優梨様〟となり、当店のサービスを楽しんでいただければ幸いです」


 その経験が僕のためになり得るかは、受け取り方次第ではある。眉目秀麗な男装執事にちやほやされることが、僕にどういった影響を与えるのかは兎も角として、ここまで用意されては断るのも心苦しいところだ。


 どこから持ち運んだのかわからない薄紅色のフィッシュテールドレスを着てみたい、という心情がないわけでもない。──ドレス、と僕は思う。


「わかりました。よろしくお願いします」


「かしこまりました」


 僕は意を決して服を脱いだ。





 * * *





 薄暗い廊下を、外で待機していたエリスに手を引かれて歩く。エリスは私を見るなり、「お綺麗です、お嬢様」と言った。カトリーヌさんが近くにいれば、流星の顔はできないってことみたいだ。


 メイドロールプレイをする流星の姿は、プロの顔をしている。楓ちゃんのお屋敷に紛れ込んでいても、風景に溶け込んでわからないかもしれない。


 メイド喫茶〈らぶらどぉる〉のナンバーワンメイド・エリスの横顔を改めて見る。長いまつ毛は付けまつ毛だとしても、キリッとした横顔は綺麗だと思った。でも、エリスは自分の人生を〈流星〉として生きると決めている。いつまでもうじうじしている私とは覚悟が違う。エリスの横顔から気高い意思のようなものを感じた私は、劣等感によく似た感情を唇で噛み締めた。


 ドアの前で、エリスが立ち止まった。


「心の準備は」


 エリスが流星の声で小さく訊ねる。優梨としての心構えは化粧を終えた時点で決していた。だから、


「大丈夫」


 特別なことが起こるわけでもない。私は優梨として、ひとりの女性としての立ち振る舞いを演じるだけ。これまで通りだ。自分の中に存在している〝彼女〟を解き放つような感覚で、ホールへ続くドアを開いた。



 

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