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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
535/677

三百七十五時限目 まっしろなほん


 その後も楓ちゃんに連れられて、服屋、アクセサリーショップに寄った。


 今日の買い物だけで、およそ一〇万以上のお金が動いたのではないか、と思うほどの豪遊っぷりに、私は苦笑いしかできずにいる。


 とはいえ、私も下着だけでなく、服まで買ってもらってしまった手前、文句は言えない。


 いまでは楓ちゃんの付き人みたいに、両手に買い物袋を持って歩いていた。


「掘り出し物が多くて目移りしてしまいますね」


 次はどこの店に入ろうかしら? みたいに、通り過ぎる店を左見右見する楓ちゃんは、とても楽しそうに思えた。こんな風に計画性のない買い物をする楓ちゃんは珍しい。


 そう思う私だったが、楓ちゃんだって女子高生だ。いつも張り詰めた空気に当てられている分、こうやってストレスを発散しているのかもしれない。


 私が知らないところで楓ちゃんは、〈なにか〉と闘っているのだ。戦士の休息ではないけれど、たまの休みくらい好き勝手にしたいはず。口を挟む権利なんて私にはないし、楽しそうにショッピングする姿を見て、私も楽しい気分を味わわせてもらっていた。


「優梨さん。次はあちらの店に寄っていきませんか?」


 指す方向を見遣ると、そこは本屋だった。


「いいけど……その前に荷物をどこかに預けたいなあ」


 さすがに、両手がぷるぷるしてきた。私の筋力は、一般的な男子の平均を遥かに下回る。女子の平均ぎりぎり、というところだ。


 長年の自転車通学で足は多少鍛えられてはいるものの、腕周りはからっきしで。楓ちゃんがどうして私を荷物持ちに選んだのか甚だ疑問ではあったけれど、これまでのルートを思い返せば、佐竹君よりも私のほうが都合がいい。──それは理解できた。


「では、コインロッカーを利用しましょうか。たしか、この階のトイレの近くにあったはずです」


「ありがと。じゃあ、ちょっと置いてくるね。楓ちゃんは先に本屋にいって待ってて」


「わかりました。では、ロッカー代を」


「それくらい出せるから、ね?」


 一〇〇円や二〇〇円くらい出しても、私の財布にダメージはない。それに、こういう場所にあるコインロッカーは、使用後にお金が返金される仕組みだ。──楓ちゃんは、それを知らない?


「そうですか……では、よろしくお願いします」


 楓ちゃんの元を離れて、目印になるトイレを探した。





 トイレは本屋の正反対にある、雑貨屋の奥だった。雑貨屋を通り過ぎて角を左折すると、そこはちょっとした休憩スペースにもなっている。


 私は目的であるコインロッカーに荷物を預けて、隣にあった黒い皮張りの長椅子に腰掛けた。


 クッション性はあまりないが、しっとりした座り心地はいい感じ。


 近くにある自販機で飲み物でも……と手に持っていた財布を開けようとしたとき、長居するのは楓ちゃんに悪いと考えを改めて、ほどほどに疲労が回復したら楓ちゃんが待っている本屋に戻ることにした。


 ショッピングモール内は、常に爽やかな音楽が流れていた。ぼーっとしていると眠気を誘うような、夏なのに春風を思わせるようなヒーリングミュージック。壁に背中を預けてリラックスモードになりかけ、はと我に返った。


「いけない。危うく寝るところだった……」


 急いで本屋まで戻り、楓ちゃんの姿を探す。楓ちゃんのことだから経済学の本が並ぶコーナーにいるはずだ、と思った私は、本屋に入ると真っ先に経済学の本棚を目指した。


「……いない?」


 楓ちゃんだったら絶対ここだ、と思っていた読みが外れ、次にいそうな場所を……と周囲を見渡していると、腰まである長い髪をした少女の後ろ姿が目に留まった。──けれどそこは、楓ちゃんが読むにはまだ早い雑誌が並ぶ本棚で。私の目に映っている少女が本当に楓ちゃんなのか半信半疑のまま、「楓ちゃん?」と声をかけた。


「え? あ、優梨さんでしたか。お疲れ様です」


「どうして結婚に関する雑誌を?」


「ああ、えっと……」


 楓ちゃんは刹那、しまった、という顔をした。でも、次の瞬間にはころっと表情を戻す。


「恋莉さんとの挙式はどこで挙げるべきかなと考えていたのです。ハワイもいいですがドバイも捨て難い。遊園地を借りて、というのもありですが、大自然をバックにしてというのも……」


「いつもながら思うけど、気が早過ぎるよ」


 それが決定事項であるかのように話すのは、楓ちゃんらしいけれど──。


「……そうです、ね」


 とても寂しそうな笑顔をする楓ちゃんに、「どうかした?」と訊ねた。が、頭を振るだけでその理由を話してはくれなかった。


 暫くして、


「私は目当ての本を見てしまったのですが、優梨さんは欲しい本などありますか?」


 重たい空気を一蹴したい、とばかりに話を振る。


「うーん……」


 欲しい本といわれると、そろそろハロルド本のストックが切れるので補充したいし、宗玄膳譲の作品も気になっているけれど、この本屋にあるとは思えなかった。


「いまのところ欲しい本はないかな。──あ、そうだ。楓ちゃんが私におすすめしたい本があったら教えて欲しい、かも? あの、できれば難しくない本を」


「となると……優梨さんのお好きなジャンルは?」


「最近は雑食だよ。ラブロマンスも、ミステリも読む……CDのジャケ買いみたいな感じ?」


 はて? と首を傾げる楓ちゃんに、〈ジャケ買い〉の意味を教えた。


「なるほど。表紙を見て、面白そうな本を買うことを〝ジャケ買い〟と呼ぶのですね」


「そうそう。決して〝鮭を買う〟じゃないから」


 鮭を『じゃけ』と読んで、鮭買い。


「佐竹さんじゃあるまいし、そんな間違え方はしませんよ」


「多分、佐竹君だったらちゃんと意味を理解すると思う。こういうワードは、ノリのいい男子のほうが得意だし」


 佐竹軍団の会話は、私でも理解出来ない単語が飛び交う。


「〝マジ卍〟、みたいな造語ですね?」


「う、うん。そう……だね」


『マジ卍』というワードがここまで似合わない人もそう多くないが、ただそのワードも死語になりつつあるわけで、楓ちゃんはもっと若者文化に触れたほうがいいと思った……思っただけで口には出さないけど。


 楓ちゃんが立ち止まったのは、児童書のコーナーだった。


「楓ちゃん。私のレベルが低いのは自負しているところではるけれど、さすがにここまで落とさなくても……」


「いえ、そういう意図でここに立ち寄ったわけではありません」


 ええっと、どこにあるでしょうか……と指でなぞりながら中腰の姿勢でタイトルを確認している。宝探しをしているような、真剣な眼差しで。


「ありました、この絵本です」


 そういって、本に人差し指を引っ掛けるように棚から取り出した一冊の絵本は、〈まっしろなほん〉というタイトル以外、なにも描かれていない。文字通り、真っ白な装丁だった。


「この本はたしかに児童書ではあるのですが、この本は哲学書だと思っています。そして、この本の著者は、ヘーゲルの思想を研究している学者様でもあります」


 と、得意げに語る。


 ヘーゲルは、ドイツを代表する哲学者の一人。


 私が知っている情報は、それくらいだった。


「幼い頃の私は、弱気になりそうなとき、いつもこの本を読んで励みにしていたものです」


「どんな内容なの?」


「それは、読んでからのお楽しみということで」


 あの楓ちゃんがここまで推している本だし、買って損はない。


 楓ちゃんから〈まっしろなほん〉を受け取り、裏表紙に書かれている値段を見た。税抜き価格、一〇〇〇円。絵本にしては、良心的な値段設定だ。


 タイトルの通りイラストがない真っ白な本であれば、一〇〇〇円という値段は強気に思えるけれど。それよりもいまは「早く読んでみたい」という好奇心が勝り、童心に返ったような、わくわくした心持ちでレジの列に並んだ。



 

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