三百七十三時限目 とある策士の暗黒微笑 2/2
「現地集合はいいけど、どこにいけばいいの?」
『それはですね』
目的地と待ち合わせ場所を訊き、「それじゃあ」と通話を切ろうとしたときだった。月ノ宮さんが焦るように、「あの! お待ちください」と僕を呼び止める。
「まだなにかあるの?」
僕の問いに暫く黙考した月ノ宮さんだったが、やがて訥々と語り始めた。
『できれば、の話なのですが……優梨さんの姿でお願いできますか?』
うん? と首を傾げた。
佐竹や天野さんに『優梨の姿で』とお願いされるならまだしも、月ノ宮さんに女装を頼まれるのは珍しい。男と二人きりで買い物をする、というシチュエーションを、クラスのだれかに見られるのが憚られるのか。僕が女装することで、月ノ宮さんの憂いが晴れるというのであれば、優梨の姿で向かうのも吝かではない。──だけど。
「どうして?」
『殿方の姿では憚られる買い物があるもので』
男性は立ち入りを拒む、憚る店……なるほど、ランジェリーショップか、と合点がいった。女性の下着を販売する店に、男性が立ち入るわけにはいかない。そういう明確なルールがあるわけではないけれど、暗黙のルールは存在する。たとえカップルでの入店であっても、肌を露出する可能性が非常に高い店だ。異性の入店は、よんどころない事情がない限り、店側も拒否したいところだろう。
だが、女装しているとはいっても、僕の性別は〈男性〉なのだ。見た目と心を〈女性〉と偽っても、覆せない物がくっついている。着脱式だったら楽なのに、と思うこともなきにしもあらずだが、あまりにも非現実的過ぎる考えだ。
仮にもし着脱可能で、それを外した後はどうする? ホルマリンにでも漬けておけと? 自分の部屋にホルマリン漬けになっているソレを見て、僕はなにを思えばいいんだろう……。
「ランジェリーを買いにいくのはわかったけど……であれば、僕は外で待機していればいいんじゃないかな」
『恋莉さんと水着を買いにいった優志さんが、今更なにを言っても説得力はないと思いませんか?』
「な!?」
僕は一年前に、天野さんの水着選びに付き合ったことがある。でも、どうしてそれを月ノ宮さんが知っているんだ? 天野さんから訊いた? それとも、月ノ宮家の力を駆使したとでもいうのか……そもそも月ノ宮家の力ってなに? 代々、月ノ宮の女には、神通力が備わっているとでも? そういうのはもっと別の、それこそ、異能バトル世界の中でやってほしいものだ。
『他にもいろいろと情報は仕入れていますが。──お訊ねになりますか?』
情報戦において月ノ宮は無敵、ということか……!
勝てる気がしないし、勝負しようとも思わないけど。
「やめておくよ」
『賢明な判断です』
そう勝ち誇る月ノ宮さんは、いつもの月ノ宮楓に戻っていた。
『優志さんのご意見はもっともではありますが、そろそろ新しい下着が欲しいと思っていませんか? 恥じることはありません。優志さんは既に、女性としての感覚をお持ちなのですから』
言われてみれば──。
いままで以上に女性ファッション誌を読む機会が増えているのは事実だし、可愛い服を見て心が躍る、という感覚がないわけでもない。それは、両親の理解を得られた、という理由も大きかった。特に母さんは、一〇代層をターゲットにしたファッション雑誌を買ってきて、わざわざ食卓の上に置いていく、なんてこともしている。有難いとはいっても、どこか複雑な気分だ。ドッグイヤーをされていた日には、ぞっとしない。
でも、恋愛に至っては──そこまで踏み込む勇気は、まだない。
『優志さんと私のサイズは、ほぼ同等。女性の意見を訊けるというのは、優志さんにとってもメリットになると、私は考えたわけです……自分で言っておいて難ですが、悲しくなってきました』
ほぼ同等、という部分を力強く強調したのは、似て非なる物、という意味を込めたかったに違いない。そりゃあ僕だって、自分の体型にコンプレックスを抱いている。貧弱だし、撫で肩だし、未だに小学生と間違われるし、変声期だって……自分で思いながら、悲しくなってきた。うわーん。
『では明日、楽しみにお待ちしています』
「うん、よろしく」
そういって通話を切った僕だったが、なにかを隠しているのではないか? という疑問が脳裏から離れなかった。
* * *
携帯端末を元の位置に戻し、先程の会話を思い返す。
──月ノ宮さんは、重要ななにかを隠している。
それは、ほぼ間違いない。
違和感を覚えたのは、『現地集合』といった辺りだ。
以前までの月ノ宮さんであれば、現地集合ではなく『近くまで迎えに行く』と言っていたはずだ。訂正を加えたのは、どうしてだろう。別に送迎を期待しているわけじゃない。現地集合と言われれば、自宅から女装して向かうまでだ。
──車を出せない理由がある?
月ノ宮邸に常駐しているのは、執事とドライバーを兼任している高津さんだ。『高津さんに頼めない状況にある』と思うほうが自然だろう。
高津さんは月ノ宮氏の専属ドライバーでもあるため、忙しいということを考慮しても……じゃあ、これまで車を出してくれたのはなんだったのか。タイミングがよかっただけ?
──そういえば、最近、高津さんの姿を見ていないな。
月ノ宮さんが遠出をするときは、メイドの大河ゆかりが車を出している。無愛想で、『お嬢様が嫌い』な大河さん。日光旅行も、その他の用事のときだって、車を出したのは大河さんだった。
つまり高津さんは、『月ノ宮氏の仕事で手が離せなくなった』と考えたほうが正しそうだ。
疑問はまだまだあるけれど、その全てを自問自答したところで、真相は月ノ宮さんが持っている。
「なんだろう……また厄介事に巻き込まれるような気がする」
僕を取り巻く人々は、大小様々な厄介事を抱えて生活してる。それがどうして、僕に降りかかってくるのだろうか。大した実力もない僕を頼ったところで、〈妥協案〉しか思いつかないのに。
もしかしたらその〈妥協〉が欲しいのか? 妥協なんて褒められたものじゃないのに。ビシッと解決したほうが、後にも先にも腐れなく締められるってもんだ。──だからこそ、ミステリは面白い。
密室殺人やアリバイ工作を見事に看破する探偵に、多少の憧れはあった。でも、自分を探偵と名乗ったことなんて、一度たりともない。僕がやっていることは、探偵のそれとは大きく異なる。
僕は想像と妄想を幻想と空想で繋いで、『それならばまあいいか』と相手を妥協させることに尽くしている。
──言うなれば、問題を先延ばしにしているだけ。
今回、月ノ宮さんがどんな問題を抱えていようとも、僕は妥協できる案を提示するまでだ。それに、僕よりも頭脳明晰な月ノ宮さんのほうが、正しい答えを導き出せるだろう。
【修正報告】
・報告無し。