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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十八章 Happiness consists of misfortune,
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三百六十九時限目 だれのために、なんのために


 太陽が西の空に沈むと、蝉の鳴き声の中に鈴虫と(ひぐらし)が混じり始めた。茜色に染まる空には一筋の飛行機雲が浮かび、夜の色が濃い部分には星が見える。


 周囲にテントを張っているキャンパーたちは、夕飯の準備を始めていた。四人家族のお隣さんは、僕らと同じくカレーを調理している。若そうな見た目の母親の隣には、五歳くらいの女の子。


 母親がなにをしているのか興味津々に覗き込もうと背伸びをしているけれど、視線はまな板を乗せる台の下。少女と目が合うと、母親の後ろに隠れてしまった。父親はビールを飲みながら、黙々と携帯ゲームで遊ぶ八歳くらいの少年の背中を見ていた。


 懐かしいような、目新しいような光景。


 僕がキャンプに連れていってもらったときは、あの少年のようにゲームをしていた記憶がある。そして、父さんが呆れた声で「優志はどこにいってもゲームだなあ」と笑われた。このとき「父さんだって仕事ばっかりじゃないか」と不満を漏らしてもよかったけれど、それよりもゲームに集中していたから言わなかった。いま思うと、それでよかったのかもしれない。


 カレーに使う野菜は全てカットして持ち込んだが、追加分──宇治原君が持ってきた──はそのままだった。人参、じゃがいも、たまねぎ、と定番の具材が二つずつ入ったビニール袋をクーラーボックスから取り出した流星が、含蓄ありありな目で僕を見る。「米と野菜の準備をしにいくぞ」の合図と見たが、それだけではないだろう。


「そういえば、お前らって飯盒使えんの?」


 ()()()と宇治原君は言ったが、流星にしか視線を向けていない。


「優志ができるだろ」


「え。僕はできないよ?」


 当たり前のように飯盒を持ち出したから、てっきり扱えるものだと思っていたが、さすがに流星もそこまで万能ではないようだ。


「おい。カレーに米なしとか普通にねえぞ……マジで」


 佐竹は「どうすんだ?」と両手の平を上にして、頼りない声をあげた。


「はあ……仕方ねえな。飯盒炊飯はやってやるよ」


「宇治原お前、できるのか!?」


「ガキの頃から親父に付き添ってキャンプしてたから、基本的には」


 と椅子から立ち上がってつかつか歩き、流星の手から飯盒を奪い取った宇治原君の横顔は、まるで『ヒーロー参上』ばかりに得意気だ。が、飯盒の使い方なんてネットで調べれば一発なんだよなあ。


「おい、ぼさぼさすんなよ」


 自分がリーダーになった気分なのだろう宇治原君が、僕を見ずに言う。


「べつに、ぼさぼさしてないし」


 愚痴を零すような小さい声で言ったつもりだったけれど、宇治原君は地獄耳のようで、「ちっ」と舌打ちをした。


「なあ、俺はどうすりゃいいんだー?」


 遠くから大声を出した佐竹に、


「留守番しててー!」


 と返す。


 佐竹ができることは、特にない。強いて言うなら湯沸かしだが、佐竹一人で調理台を使わせたら碌なことにならなそうだ。


 BBQのときだって火を起こしたのは宇治原君だったし──僕の出際の悪さに苛立った宇治原君が、見てられないと強引に交代したのだ──、お肉をカットしておいてと頼んでも、どうやって切ればいいのかわからないと言うだろう。


 佐竹の調理スキルが当てにならない以上は、大人しくお留守番をさせておくに限る。





 流し場でお米を研いだ宇治原君は、「先に戻ってる」と言い残してそそくさと戻っていった。よほど、僕と同じ空間にいるのが苦痛らしい。それは僕も同じなので、早々に退散してくれたのは有り難い。


 僕と流星は野菜を洗い、水場の隣にある調理台で野菜の準備を始めた。こうしていると、まるで林間学校のようだ。


 流星の手つきは鮮やかで、元調理場担当の腕は伊達じゃない。


 まじまじ見つめていると、


「見てないで手を動かせ」 


 言われてはっとした僕は、玉ねぎの皮むきに取り掛かった。


 小気味好い音を鳴らして人参をカットする流星が、一本目の人参をカットし終わると手を止めて、


「さっきの続きだが……手を動かしながら訊け」


 単刀直入に切り出した。


「宇治原の親父さんが雑誌の編集者で働いているってのは話したが、宗玄膳譲に繋がるような情報はなかった」


 一つ目の皮むきが終わり、もう一つの玉ねぎに手を伸ばす。


「え、僕はそんな情報のために四〇〇円を支払ったの?」


「話は最後まで訊け」


 よかった、と安堵して皮むきを続けた。


「宇治原には兄貴がいてな……どうやらその兄貴が宗玄膳譲かもしれない」


「……それって、本当?」


「いや、未確定だ。宇治原とそこの売店に入って〝月光の森〟を見せたとき、アイツは『どうしてこの本がここにあるんだ』と呟いたんだ。詳しい話を訊くと、兄貴の部屋には宗玄膳譲という著者の本が何冊もあっったらしい。そして、宇治原の兄貴は、昔から小説を書く趣味があったみたいだ」


 流星の情報だと、宇治原兄が宗玄膳譲だ、という可能性は高くなってくるけれど、まだ断定はできない。小説を書くのが趣味という人は五万といるわけで、宇治原兄もその一部にすぎないとも言える。水瀬先輩の言う「若い作家」だって文字から受けた印象で、宗玄膳譲のプロフィールに年齢は記載されていないのだ。もしかしたらいい年したおじさんかもしれない。ただ、僕が購入した〈コーヒーカップと午後のカケラ〉から受けたのは、たしかに〈若い男性〉という印象だった。つまり、女性という線は消える。


「宇治原の兄貴とコンタクトが取れれば、宗玄膳譲がだれなのかがわかるかもしれない……が、お前はそれを知ってどうするつもりだ。仮に宗玄膳譲本人に辿り着いたとして、優志にどんなメリットがある。性別や年齢を隠すってことは、他人に知られたくないということだ。それでもお前はこの謎を突き詰めるのか……だれのためにそこまでする必要がある」


 そう言われて、僕は沈黙するしかできなかった。


 宗玄膳譲がだれであろうが、僕には全く関係のないことだ。キャンプ場の売店に〈月光の森〉が置いてあったから暇つぶし程度に調べてみようとしたが、他人の秘密を暴く行為は行儀がいい行いではない。


「なあ優志。お前は他に考えるべきことがあるんじゃないのか。お前が嫌っている宇治原をここに呼んだ佐竹の気持ちとか、佐竹の提案に乗っかった宇治原の考えとか……そういうこと、少しは考えたのか」


 まるで、子どもに絵本を読み訊かせるような落ち着いた声音だった。


「料理には優先順位ってものがある。カレーだってそうだろ。下拵えせずに野菜を丸ごとぶち込んでも、それは野菜のカレー煮込みもどきに過ぎない」


「野菜のカレー煮込み……美味しそう」


「重要なのはそこじゃないが……まあたしかに、美味そうではあるな」


「流星の言う通りだ。ありがと」


「大したことじゃない」


 流星の手元を見ると、僕が皮を剥いている玉ねぎ以外の野菜のカットが終わっていた。


「いやほんと、ありがとう……」


「これでもメイドだからな」


 メイドさん、ぱねえっす。


 急いで皮むきを終わらせると、


「貸せ」


 僕の手から玉ねぎを奪い取り、ざくざくと迷いのない筋でカットしていく。


「こんなもんだろ。戻るぞ。馬鹿共が腹を空かせて待っているからな」


 カットし終えた野菜を袋に移して、調理器具を洗う。日中は温い水だったけど、少し温度が下がったようだ。心做しか、気温も幾度か下がっている気がする。それでもまだ快適な気温とは言えないし、クーラーが恋しく思う。


 一泊だけのキャンプでも不便さを感じるのだから、これがもし日常になると、現代人は夏を生き抜くけないだろうなあ。


 そんなことを流星と話しながらテントに戻ると、宇治原君はじいっと飯盒を見つめたまま、佐竹はその後ろで「飯盒で炊く米とか、ガチでリアルだな」と真面目な声でふざけたことを言っていた。



 

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