二十一時限目 天野恋莉は踏み出せない[後]
月ノ宮さんがこの店に到着したのは、話題が尽き始め頃だった。
「遅くなってしまいました」
そう言って、深々と頭を下げる月ノ宮さんの長い髪の毛の先は、あと数センチ下がると床に着きそうだ。
「なに買ってきたんだ?」
「大したものではありませんよ」
佐竹はそれ以上の追求をせず、退屈そうに「ふーん」と呟いた。
「役者も揃ったんだし、飯にするべ」
「佐竹君はサンドイッチだよね」
ユウちゃんが開いたメニューを覗き込むと、『サーモンとモッツァレラチーズのサンドイッチ』という、なんとも美味しそうな名前と写真が掲載されていた。
ここのサンドイッチは食パンではなく、カンパーニュというパンが使われていて、なかなかにボリュームがある。
「どれにしようかなー」
そして、「これにする!」と右手の人差し指を置いたのは『豆腐とアボカドのピタサンド』だった。
半月状にカットされた薄いパンに切り込みを入れて、アボカドと豆腐をペースト状にしたソースを挟んだ一品だ。
写真が掲載されてると、商品を想像できていいわね。
こういう細かい気配りができる店って、なかなかない。
店員さんに訊けば、ある程度の全体図を掴めるけれど、初見でパッと頭に浮かばないメニューも多い。特に小洒落た店の料理名なんて、魔法の呪文みたいだし。
「お前、それで足りるのか?」
「結構なボリュームだよー? サラダも付いてくるし」
「野菜って腹の足しにならねえだろ。ガチで」
そう言われてみれば、男子が好んでサラダを食べる様子は想像できない。
『わーい、サラダだー!』
って食べられても、ちょっと困ってしまうわね……。
ユウちゃんが選んだアボカドと豆腐のピタサンドは興味を唆られる。
こういう場所でヘルシーなメニューを選ぶ辺り、さすがはユウちゃんというべきか、美容にも気を配って食事をしているのね。
私は……まあ、野菜は率先して食べるには食べる。でも、コラーゲンやイソフラボンを意識しているわけじゃない。
女子ならサプリメントの一つや二つ、部屋に置いてあるものの、私の勉強卓の上に置いてあるのは、ストレスを軽減する効果があるボトルタイプのチョコレートだった。
「私のオススメは、ドライカレーです」
ドライカレーとは意外な商品だ。
飴色になるまで炒めた玉ねぎと、ひき肉の旨味が合わさるハーモニーには心を惹かれる。
「天野さんはどうしますか?」
ここまで全員がバラバラの商品を選んでいると、私も別の商品を選ばなければならないような強迫観念に駆られてしまう。
どれを選べばいいのか悩んでいると、カウンターの中で作業していた照史さんが「ボクのオススメはドライカレーを挟んだピタサンドだよー」と、声をかけてくれた。
「じゃあ、それにしようかしら?」
全員のメニューが決まると、月ノ宮さんがそれを照史さんに伝えるために席を立った。
「この店は食事も美味しそうね」
だから『どうして流行らないの?』って、殊更に思うのだ。
私はこの席に残っている二人に、ひそひそとその旨を伝えたら、二人も同様に疑問らしい。
「照史さんはいい人だし、珈琲も美味しい。流行らないのはおかしいよね」
「でもさ、流行ったらそれはそれで寂しくね? この店は俺らの溜まり場みたいなもんだし」
照史さんには申し訳ないけど、もう少しだけでいいからこの店の知名度が低くあって欲しいと思った。
こんなにいいお店を知れたんだ。
後数回くらいは静かなこの店を堪能したい。
暫くして、照史さんと月ノ宮さんが、注文した品々を器用にお盆に乗せて運んできた。
どれもこれも、とても美味しそう。
出来るなら全部食べてみたいけど、一度に全ては無理ね。
これはもう、通うしかない。
「いただきます」
パクッと一口食べて、私は美味しさのあまり舌鼓を打ってしまった。
最初に訪れるのは玉ねぎの甘み、そこからひき肉のアクセントが加わり、最後にピリッと辛さが訪れる。
ああ、お米食べたい……。
これ、ほかほかライスと一緒に食べたら絶対美味しい。
日本人というのはどこまでも日本人なんだなって思いながらも、このピタサンドだってそれに負けないくらい美味しいので、次に来たときはドライカレーを注文しようと心に誓った。
「天野さん、一口いかがですか?」
隣で食べている月ノ宮さんが、スプーンに乗せて私に差し出してくれた。
これって『はい、あーん♪』的なノリよね?
さすがに恥ずかしいけど、月ノ宮さんの目が『あーん以外、譲りませんよ』と語っている。
致し方ない。
私は差し出されたままに、スプーンを受け入れた。
……やっぱり、ご飯もいい。
「ここのドライカレー、本当に美味しいわ」
ご飯との相性は不動! とばかりに噛み締めていると、月ノ宮さんが私をじいっと見つめていた。
「な、なに? ……恥ずかしいんだけど」
「い、いえ……なんでもありません。気にしないでください」
なぜか感極まっている月ノ宮さんを放置して、ユウちゃんたちを見やると、こっちはこっちで楽しそうだった。
「美味しいね、佐竹君♪」
「いや、もうサンドイッチのレベル超えてるわ……ヨンドニッチだわ。ガチで」
「そ、そう……。ガチなんだ……。へぇー……」
佐竹の絶望的な語彙力だと、美味しさが全然伝わってこない。
佐竹が食べている〈ヨンドニッチ〉も美味しそうだけど、私はユウちゃんが食べているピタサンドに興味があった。
素直に「一口ちょうだい?」といえていたら、ユウちゃんはくれたかしら。
もしそれが実行できていたら、私はユウちゃんと間接キスができたかも知れない……なんて、ふしだらなことを考えてしまった私は、それを隠そうとばかりに、ピタサンドを両手で掴んでかぶりついた。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
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「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
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これからも、
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by 瀬野 或
【誤字報告】
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