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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十八章 Happiness consists of misfortune,
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三百六十五時限目 謎の作家と文芸マーケット[中]


 梅ソーダを二つ購入して、水瀬先輩がいる純文学テントを目指した。三五〇ミリリットルのプラカップに氷が三つ入り、お値段四五〇円。ちょっと高いとは思うが、イベントで販売しているドリンクなんてそんなものだ。販売テントを後ろに、その場で一口味見してみた。おすすめされただけあって、たしかに美味しい。梅の味が濃い気がする。


 炭酸水まで自家製というのだから、なかなかにこだわりが見受けられる……とはいえ、コスト的に言えば市販の炭酸水を購入したほうが安上がりだろう。炭酸を発生させるガスカートリッジの値段は知らないけれど、おそらく二、三〇〇〇円くらいするのではないだろうか?


 品質にこだわるよりも〈低価格で大量生産〉というのがもっとも効率のいい稼ぎ方ではある。それを弁えた上での〈手作り〉だとすれば、赤字覚悟の値段設定でもあるわけか。だが然し、四五〇円。コンビニに走れば五〇〇ミリリットルで一六〇円。場所代込み、と思うことにして無理矢理自分を納得させた。


 純文学テントの前には、男女含めた五人の客がいる。会議室などに置かれている折り畳み式の長テーブルに積まれた本を眺めたり、内容を確認しながら吟味する風景を一歩後ろから眺めていると、水瀬先輩がくるりと振り返った。僕は大概、こういう場所では姿をロストされやすい──背が小さいからという理由では断じてない、と思いたい──のだがよく気がついたものだ、と感心してしまった。


「ありがと。これ、楽しみにしてたんだ」


 そう言って、梅ソーダが入っているプラカップを受け取った。


「ここの梅ソーダを飲むのと〝夏がきた〟って感じるの」


「ああ、そういうのありますよね」


 SNSで『酒なう』というコメントと共に自撮り写真を載せて投稿する未成年とか、夜の公園で奇声を発しながら騒ぐ大学生風の男たちとかを見ると、今年も夏がきたんだなあって実感するよね。まあ、それらの大抵は炎上したり、近所の人が通報してパトカーで連行さるのだが、イキがりたいお年頃なのだろう。なにがとは言及を避けるけど、若いっていいよね!


「ところで、水瀬先輩のお目当の本はありましたか?」


「あ、うん! でも、まだ買ってないの」


「どうして?」


「……優志君にも、おすすめしたくて」


 なんともいじらしい年上のお姉さんだこと。


「先に買ってからでもいいのに」


「ううん。せっかくだから一緒に買いたくて!」


 あ、僕が買うのは確定しているんですか……。


 そこまで言われては仕方がない、と手元にある梅ソーダの残りを飲み干した。


「いきましょうか」


「うん!」


 向日葵のようにぱっと笑顔を咲かせる水瀬先輩に、僕は一瞬だけどきりとしてしまった。水瀬先輩は年上だけど、先輩風を吹かさないところがいい。僕の身内にいる先輩方は、手段を選ばない小賢しい人ばかりで一緒にいると精神的に疲れるんだよなあ。そう考えると、水瀬先輩は見ていて微笑ましい限りだ。


 はてさて水瀬先輩のお気に入りはどれだ……と探す前に、水瀬先輩が指を向けた。


「これだよ」


 どこか(おず)ましげな暗緑色。真鱈模様の装幀の中央には黒字の明朝体フォントで〈月光の森〉とタイトルが記してある。著者の名前は(そう)(げん)(ぜん)(じょう)。水瀬先輩は『若い作家』と言っていたが、この見た目から受ける印象に、これっぽっちも初々しさを感じない。


「ホラー作品ですか」


「ううん。ラブロマンス」


 これがラブロマンス……? と疑ってしまう外見だ。むしろ〈怪談〉と言われたほうがしっくりくる。宗玄膳譲氏は、どうしてこのような表紙にしたのだろうそれは、中身を読めばわかることである。


「じゃあ、僕もその本を……」


「優志君はこれから読み始めたほうがいいかも」


 と言って、月光の森の奥にあった本を手に取って僕に渡す。


「コーヒーカップと午後のカケラ」


「どんな内容ですか?」


 右手に持つそれをまじまじと見つめながら、水瀬先輩に訊ねた。


「なんて言えばいいかな……不思議なお話?」


「ジャンルは?」


「たぶん、日常ミステリーかなあ……」


 水瀬先輩は小首を傾げなら、過去を遡るかのように目を閉じて一考する。


「……うん。日常ミステリーだよ!」


 日常ミステリーだとライトな小説を想像するが、ここにあるのはあくまでも純文学。一般小説と純文学の違いってなんだ? あまり深く考えてこなかった僕としては、純文学という言葉の響きに文豪の作品を連想するけど、最近では芥川賞を受賞したお笑い芸人の書いた本も純文学とされているので、案外ジャンルなんてどうでもいいのかもしれない。異世界モノが純文学の棚に置いてあったら、ちょっと考え物ではある。


 然しながら、アマチュア作家という割に、かなりしっかりした作りだった。水瀬先輩が選んだ月光の森もそうだし、僕が手にしている〈コーヒーカップと午後のカケラ〉にしても、書店に陳列されている単行本とさして変わらない体裁だ。


 それほどまでに自信があるのか……だったらどうしてアマチュア止まりなのか。他の作家の本が六〇〇円前後で販売されているなか、宗玄膳譲の作品は気持ち強気な一〇〇〇円。月光の森に関しては一三〇〇円という値段であり、一般書籍と大差はない。コトミックス本だって、内容はどうであれ高クオリティで一部五〇〇円だぞ、と思いながらも財布から一〇〇〇円札を抜き取って販売係の人に渡した。


 その後、水瀬先輩は他のテントにも寄って数冊購入し、ほくほく顔をしている水瀬先輩と並んでブンマ会場を後にした。





 * * *





 ブンマ会場から歩いて数分の距離にある〈Once more time〉という店名のオシャレなカフェに寄った。某アーティストの曲から拝借したのだろう店内の壁には、その曲が使われていたアニメ映画の宣伝ポスターが額縁に飾られている。が、某アーティスト、そして、その監督ゆかりの店ではないようだ。


 案内された窓際中央の席に座り、僕と水瀬先輩はアイスコーヒーとベーグルサンドのセットを注文した。セットを注文した客に限り、二〇〇円でコーヒーがお代わりできるらしい。食前と食後に一杯ずつ飲もっか、と楽しげに提案されては「そうしましょうか」としか返せないのが心情である。


「水瀬先輩はアマチュア作家の作品が好きなんですか?」


 単刀直入に僕は訊ねた。


「そういうわけじゃないんだけど、宗玄さんの作品を初めて読んだのがきっかけだなあ」


「だれかにおすすめされたとか?」


「ううん。ネットで知ったの。ほら、電子書籍」


 なるほど。


 電子書籍ならば、アマチュアでも作品を販売できる。


「それを読んで、紙媒体も欲しいなと思って……以来、宗玄さんの本を追っかけてるの」


「じゃあ、もう長いことファンをやっているんですね」


「宗玄さんを知ったのが一年生の頃だったから、足掛け三年目かな」



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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