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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十八章 Happiness consists of misfortune,
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三百六十三時限目 水瀬文乃の誘い


 結局、僕らは夕方まで〈らぶらどぉる〉に滞在してメイド喫茶を満喫したが、一番肝心なところは決まらずであった。佐竹は別れ際に「また後で連絡する」と言っていたのに、帰宅して、夕飯を食べて、読み途中だった本を読み終えても、一向に連絡を寄越す気配がない。「流星と話し合って決める」とも言っていたけれど、それにしたって遅過ぎる。いま何時だと思っているんだ、よい子はねんねする時間帯だぞ。


 憤りを露にしながらベッドに横たわった。すると、僕が寝転がるのを待っていたかのように、勉強卓の上に置きっ放しにしていた携帯端末がぶるると震えた。


「新手の嫌がらせかよ」


 捨て台詞を吐いてベッドから立ち上がる。


 二、三文句を言ってやりたい気持ちで携帯端末を手に取ると、表示されていたのは水瀬文乃という、予想だにしない名前だった。ほんの数秒だけ一考してから「もしもし、鶴賀です」と応えた。


『あ、えっと……こんばんは。水瀬です』


「通話なんて珍しいですね。お仕事お疲れさまでした」


『あ、ありがとう、ございます!』


「水瀬先輩、敬語に戻ってますよ?」


 携帯端末の向こう側から、「わあ」だか「はわあ」みたいな声が訊こえた。


『なんでだろう……相手が優志君だと、妙に緊張しちゃって』


 流星のように、(つつ)(けん)(どん)な態度を取っているつもりはないのだけれど。いくら年上だからといって女性を怖がらせるのは不本意だ。もう少し砕けた感じに応対したほうがいいかも知れない……砕けた感じ、か。サンプルになるのが佐竹くらいしかいないんだよなあ。ガチで。


「肩の力を抜きましょう。深呼吸して。はい、ひっひっふー」


『ひっひっふー……これ、深呼吸じゃなくてラマーズ法じゃない?』


「そうでしたっけ? まあ、似たようなものですよ」


『そうなのかなあ……』


 大きな枠組みで言えば、ラマーズ法も深呼吸のひとつだが、いまはラマーズ法について語る意味はない。これは、(まくら)(ことば)のようなものだ。面接で喩えるなら「潤滑油です!」の部分。ネタになり過ぎて、もう自分のことを潤滑油と喩える人はいなそうではあるが……まあ、掴みはこれくらいでいいだろう。僕の語彙力を持ってすれば、佐竹の真似事をせずとも事足りるのだ。相手と一対一の状況ならチーズ牛丼に温玉トッピングも目じゃないぜ! である。ネギ玉派だけど。


「それで、なんの用でしょうか?」


『あ、えっとね? 久しぶりに優志君とゆっくり話がしたいなって思って……明日、用事ある?』


 随分と急な話だとはいえ、らぶらどぉるでの一件も気になっていた僕は、佐竹の連絡を待つのも忘れて「特に予定はないですよ」と返していた。言った後で、即断するには早過ぎたかも知れない、と憂慮したけれど、流星のシフトの兼ね合いもあるし、明日、水瀬先輩が休みということは流星の出勤はほぼ確実だろう。とどのつまり、予定がダブルブッキングする可能性はない。


『え? 本当にいいの?』


「いやいや、水瀬先輩こそ勉強とか大丈夫なんですか?」


『うん。それは大丈夫!』


 京大はかなり難関だと訊くが、水瀬先輩は頭がよさそうだし、僕が心配することでもなかった。


『それじゃあ、この前と同じ場所に待ち合わせで。時間は……』






 通話を終えて、佐竹から連絡がきていないか確認する。やはり、メッセージは送信されていなかった。


 携帯端末を置いて、勉強卓に肩肘をつく。ひんやりした勉強卓の肌を撫でると、細かい傷が凹凸を作っているのがわかる。その傷一つ一つには、どんな思い出が刻み込まれているのだろうか。


 所有者である僕が言うのも難だけど、どうしてこんなに傷だらけなのかわからない。夏休みの工作のせいなのか、なんとなくプラモデルを作りたくなって付けた傷──未完成のまま物置き同然の押入にしまってある──なのか、自分自身が不甲斐なくて拳を叩き付けたときの傷なのかすらも判別できなかった。


「九時半に待ち合わせ……早くない?」


 九時半に池袋着とすると、遅くても八時には家を出なければならない。そこからバスに乗って駅前まで行き、上り電車に乗って終点までという道のりは苦ではないが、連日のように都内へと足を運ぶのは、些か抵抗がある。


 先ず、移動費が馬鹿にならない。バスと電車の運賃を合わせると片道約一〇〇〇円弱。それが往復となれば二〇〇〇円が飛んでいく。二〇〇〇円もあれば回転寿司に行けるし、ラーメンだって豪華にトッピングが可能だ。そのお金が移動だけで消えると思うと、馬鹿馬鹿しいと思うのは貧乏性がゆえだろうか。


「父さんと母さんに頭下げてこよう」


 立ち上がる。


 明日のこともあるが、佐竹たちとの予定も考えると、手持ちの資金ではさすがに持ち堪えられそうにない。お金をせびるのは気重だけれど、軍資金を得るのはそれしか方法がないのだ。アルバイトするか……とは考える。でも、考えるだけで毎回終わっていた。


 どうせ社会に出るのだから、いまのうちに社会勉強と称してアルバイトするのは正解とも言える。然し、遊び呆けることができる高校二年最後の夏休みをアルバイトで埋めるのはどうなんだろう、とも考えてしまうのだ。


 一流大学を目指す高校生たちは、既に受験を念頭に置いて行動している。焦りがない、わけではない。受験競争を勝ち抜くには事前準備が物を言うことを、僕は理解している。でも、一流大学に入りたいとは思っていない。それなりに、そこそこな大学に進学できればそれでいい。アルバイトするなら、大学生になってからでも遅くはないだろう。都合のいい考え方なのは承知だ。


 でも、それでも、僕には出さなきゃいけない答えがある。目先の問題を解決しないまま自分勝手に人生を進める気分には、どうしてもならないのだ。できる限りの筋は通したい。通せないかも知れないけど、僕のことを気にかけてくれている人たちには、なにかしらの答えは提示しなければ。それがたとえ、彼らの気持ちを裏切ることになろうとも……。



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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