三百六十二時限目 暇人たちとメイド喫茶[前]
八月を迎えたある日の夜、友人の佐竹義信から『アマっちを冷やかしにいこうぜ』と連絡がきた。〈アマっち〉とは、同じクラスの雨地流星のことであり、このあだ名は本人にとって不名誉らしい。彼を「アマっち」と呼べば「そのあだ名で呼ぶな殺すぞ」と、けんもほろろな態度で返されるのだが、このやり取りを往々と繰り返しているうちに、いまではネタのような扱いになっている。
彼、と言ってはいるけれど性別は女性であり、流星の本当の読み方は〈えりす〉だ。僕の友人たちは流星の性別が女性だと知っているが、他の連中は、流星を『顔が整った男子』や『マイルドヤンキーいちご味』くらいにしか思っていないだろう……マイルドヤンキーと呼称しているのは、僕だけかも知れない。
自分の性別を隠すために、流星はいろいろと努力を重ねている。だが、その方向性がちょっとおかしい。男らしさを学ぶため参考にしたのが硬派な不良漫画だったようで、突っ張ることが男の勲章だって信じているのかいないのか、粗暴な言葉を好んで使う。とはいえ、流星が起こす問題なんて学校をサボるとか、授業をサボるとか、その程度だ。他校の番長とタイマンを張ったり、町の至るところにある縄張りを奪いながら生活しているわけでもない。
不良とカテゴライズされていても、クラスメイトに甚大な迷惑をかけることもないからこその『いちご味』である。ただ、自分よりも背が高い大学生を軽く捻ってしまうほどの実力の持ち主でもあるので、見た目だけで喧嘩相手に選ぶのは早計だろう。
そんな『漢』を目指している彼が働いている職場は、東京の外れにある市のメイド喫茶〈らぶらどおぉる〉だ。硬派な男を目指しているんじゃなかったのか……とツッコミたくなるけれど、それこそやむを得ない事情があってメイドという仕事をしている。仕方なく、と本人は言っているが、調理場勤務からホール勤務に転向して数ヶ月でナンバーワンになるくらいだ。きっと、根は努力家で真面目なのだろう。
流星とは正反対の佐竹は、勤勉に働いている流星を冷やかしにいこうぜ、と僕を誘ったのだ。本当に、どうしようもない。
佐竹の誘いに対して、僕はきっぱりとこう返したのである。
「いいよ、いこう」
* * *
夏休みということもあってか、メイド喫茶〈らぶらどぉる〉はいつにも増して忙しそうである。特に盛況なのが〈男装執事〉のブースで、見目麗しい女装執事を拝もうとやってきた女性たちの黄色い声が、店内に響き渡っていた。この店には男性の執事もいるけれど、彼ら目当ての女性客は少ない。以前はもっといた気がしたが、男装執事の登場により、ファンをごっそり奪われてしまったようだ。現状の執事諸君は単なるウェイターとして鳴りを潜めている。なんというか、ご愁傷様です。
「店が盛況なのはいいが、こっちは困りものだ」
注文したドリンク──僕のクリームソーダ──を運んできた流星ことエリスちゃんは、溜息を吐きたそうな顔をした。
「店のホームページを見たって客が〝ホームページに乗っていた執事が見たい〟と言う。それでこっちが〝画像はイメージです〟と返すと嫌な顔をして帰ってくんだ。ホムペにもそう書いてあるのに、節穴かって」
声を潜めてはいるが、顔と口調が流星になっていた。
「おいおい、いまは〝エリス〟じゃねえのかよ」
「うるせえ、バカ、ハゲ、死ね」
「いつにも増して辛辣!? つか、ハゲてねえし!」
バカと死ねは、甘んじて受けるのか……そうは言っても、ちょっと嬉しそうにしてるのはどうしてだ佐竹。いつからMに目覚めたのか一時間くらい詰問してやろうかと思っていると、エリスちゃんの背後から「お待たせしました」と明るい声。佐竹が注文したドリンク──愛と誘惑のコーラフロート☆〈夏限定仕様〉──を持ってきたのは、受験勉強を理由に辞めたはずの水瀬文乃ことマリーさんだった。
「あれ? どうしてここに水瀬先輩が」
「ローレンスさんにどうしてもって頼まれて、夏休み期間だけ復帰したんです……あ、えっと、ここでは〝マリー〟とお呼びくださいご主人様」
「あ、ごめんなさい」
顎を引く程度に頭を下げてお詫びした。
佐竹が妙な視線を送ってくる。
「なに?」
「いや、お前って結構モテるよなと思って」
「たしかに。女ったらしの才能がある」
便乗するようにエリスちゃんが言うと、マリーさんがエリスちゃんの肩を叩いた。
「他のテーブルでもエリスちゃんを待っているご主人様がいらっしゃるんですから、雑談は程々にしてくださいね」
「ああ、それもそうだな。それじゃあ……」
そこで一旦区切ると、エリスちゃんはメイド服の裾を持って、膝を軽く折った。
「どうしようもなく暇人なご主人様方、どうぞ心ゆくまで時間とお金を使い果たして下さいませ」
仰々しく頭を下げたかと思えば、これである。僕と佐竹の魂胆なんてお見通しだと言わんばかりに皮肉を言ったエリスちゃんは、毒を吐いて気が済んだようで、スキップでもしそうに足取り軽く、他のテーブルへと向かっていった。
「お見苦しいところを、申し訳御座いません」
エリスちゃんの非礼を、マリーさんが謝罪した。
「いえいえ、いつものことなんでいいッスよ。マジで」
エリスちゃんの無礼は佐竹の言う通りいつものことだが、それよりも気になっていることがあった。それは、マリーさんの対応力である。
以前のマリーさんは、ちょっとドジで、いつ転ぶんじゃないかと肝が冷えたけれど、いまはその影もなく、一人前のメイドとして立ち振る舞っていた。特に驚いたのは、エリスちゃんに対しての一言だ。先輩であるエリスに対して、どこか引け目のようなものを感じているような素振りを見せていたのに、さっきは堂々と注意をしていた。
マリーさんの身に、いったいなにが起きたのだろう……?
僕の視線を感じ取ったマリーさんは、不安そうに僕を見る。
「あの、どうかされましたか?」
「あ、すみません。ちょっと考えごとをしてました」
「考えごと、ですか?」
そう言って、きょとんとした目を向けた。
「変な言い方というか、上から目線というか、口にするのを憚られるというか……」
「なんだよ優志。言いたいことがあるなら、いつもみたいにビシッと指を突きつけてはっきり言えよ。ガチで」
「なんで僕が逆転裁判よろしくなポーズをしなくちゃいけないんだよ」
それに関しては、異議あり! だ。
「でも、気になります」
ああ、この目だ。……と、意味ありげにクリームソーダに乗っかっているバニラアイスを一口食べた。無論、マリーさんは桁上がりの四名家の一人ではないし、学校だって違うし、舞台だって違う。学校が違うのに先輩と敬称を付けて呼ぶのはおかしいのではないか。と、疑問が浮かんだが、それとて『今更それを』ではある。優志の僕は彼女を『水瀬先輩』と呼び、優梨であるときは『文乃ちゃん』と呼ぶのが定着してしまっているのだ。それなのに、改まって『水瀬さん』と呼ぶのも、なにか違う気がして気持ちが悪い。
「なあ、俺も気になるんだけど。勿体ぶらないで教えろよ」
どうして佐竹が気になるのかはさて置き、長引かせる話題でもない。バニラアイスの油分で通りがよくなったのだし、と口を開いた。
「大人っぽくなったなって……あ、別に、以前は子どもっぽかったとかそういう意味じゃないです。なんというか、筆舌に尽くし難いんですけど、かなり落ち着いたような身のこなしだったので」
言い終えると、マリーさんは言葉の意味を噛み締めるように目を閉じて一考した。そして、僕の瞬きが二回終わったところで瞼を開いた。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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