三時限目 新しく芽生え始めている〝なにか〟 1/3
翌朝、酷い頭痛に苛まれながら佐竹の部屋で目を覚ました。二日酔いのサラリーマンのように顳顬部分をグリグリ指圧してみたが、疼痛は止んでくれそうにない。
忘年会シーズンの父さんは、いつもこんな気分なんだろうなあ。ウコンの力も力になれなくてお悔やみ申し上げているよ。知らないけど。
痛みの原因となっているのは、昨晩の琴美さんとの会話内容だろう。然らずんば、それ以外の理由が思い当たらない。女装の仕方に女性の仕草、そして乙女心。琴美さんの口は止まらず、あれもこれも詰め込まれたら頭の中がパンクしてオーバーフローを起こすのはやむを得ない。だけど、悪いことばかりが起きたわけじゃなかった。
このお泊まり会をきっかけに、僕と佐竹は『佐竹』、『ユウ』と呼び合うまでの間柄になった。慣れないあだ名だと不満を漏らしたら、「最初はそんなもんだ」と返された。近所のおばちゃんくらいだぞ、僕のことを『ユウちゃん』呼びするのは。
気兼ね無く呼び合える存在ができても嬉しさは微塵もない。それよりも状況が最悪過ぎて憂いしか込み上げてこなかった。僕を振り回すのは勘弁して欲しい。
放課後。佐竹に告白した女生徒の天野恋莉に、佐竹の彼女に扮して会わなければならなくなったのだ。──急展開にも限度があるだろ。
考えるだけでも気が重くて吐きそうなのに、当の本人は飄々とした態度で朝の挨拶をするものだから、どうにもいっかな腑に落ちない。
なぜこんな急展開を迎える羽目になったかと言うと、顛末はこれまた昨夜、天野さんから佐竹宛にメッセージが届いたのが始まりだ。どんな内容が送られてきたのかは知らないし、他人の携帯を横から覗く趣味は無い。だが、このときばかりはそうするべきだった、といまにして思う。
佐竹はあろうことか、僕の了承も得ずに売り言葉に買い言葉よろしくと独断で会うと決めたのだ。
昨日の放課後から佐竹の自己中っぷりには振り回されっぱなしで、こんなことになるのなら昨晩その話を訊かされたときに無理矢理でも突っ撥ねるべきだった。
今更後悔したところで後の祭り。僕はぶっつけ本番で琴美さんから習ったメイク術と、スパルタ特訓の成果を披露するしかないのである。困った。本当に困った。
朝っぱらから溜め息しか出ない僕を余所に、部屋の主である佐竹義信は支度をしながら「やってやろうぜ」なんて息巻いている。佐竹はいいよな、女装しないんだから。
僕の横で笑ってるだけでいいなんて楽な仕事だ。少しは他人の気持ちを考えて欲しいなんて期待するだけ無駄か、イケメンと凡人では世の中の捉えかたが全く異なるんだから。
琴美さんから借りたメイク道具一式を鞄に忍ばせて、もう一つの大きな袋に着替えを詰め込んだ。この着替え袋に忍ばせた服こそ、今回の悩みの種になっている〈優梨の衣装〉である。
『はいこれ。餞別ね』
と貰った服は五月にぴったりな白いシャツと、デニム生地のトップス。そして、膝下くらいまでの白と青のストライプのセミロングスカート。試着してみたときは姉弟揃って「似合う!」と絶賛してくれたけど、女性服が似合う男子高校生ってどうなんだろう? 僕は素直に喜ぶことができなかった。
朝食を食べ終えて家を出ようとしたとき、玄関で琴美さんに呼び止められた。
「優梨ちゃんになっているときは、自分が女の子であることを絶対に忘れちゃ駄目だからね。バレたら死ぬと思いなさい。社会的に」
「はい」
忠告痛み入るけれど表現が怖い。
「でも、多分大丈夫。優梨ちゃんは本当に可愛いから自信持ってね♪」
僕は男なので『可愛い』と言われても嬉しくないんだよなあ。──いやいや待てよ?
昨今は『格好いい男子』よりも『可愛い男子』がモテる傾向にある。可愛いこそが至高、みたいな風潮もあるしな。ハムスター系男子、とかよくわからないハッシュタグを使ってアプリで加工した顔面をパシャリ。わざわざ頬を膨らませてハムスター感を醸し出そうとする涙ぐましい努力は認めるけど、それは『小動物っぽい俺かわいい』に他ならず、自意識過剰もここまでくれば才能だ。肯定しようとしたのにディスになったのはご愛嬌ってことで。
佐竹の会話を受け流しながら、通学途中に『他人を演じる』ということがどういうことなのか考えていた。
今日、僕は『性別を飛び越えた他人』を演じることになる。
演じる、か。
どう演じればいいんだろう。
某・元大物女優だった演技の鬼が「仮面を被るのよ!」と背中を押してくれるわけでもないし、そもそも一夜漬けの演技力が『本物の女子』に通用するとは思えない。
だったら僕はどうすればいい?
どうしたら『本物の女子』に近づける?
ふっと、僕の脳裏に琴美さんの部屋の本棚にあった様々な資料集が浮かんだ。
琴美さんが漫画を描く時に使う資料の数々は、自分の描く世界にリアリティを待たせるための物だ。世界各地の街並みや、世界遺産を収めた写真集。人体構造を詳しく説明している図鑑、虫、鳥、魚、植物の図鑑もあった。BL本にもそれらの描写は必要なのだろうか? 異世界系ファンタジーならば納得できるけど、BL漫画の背景を凝っても意味が無い気が……いや、そういうところにも拘りそうだもんな、あの人。
つまり、だ。
漫画家も『他人を演じること』と共通するのではないだろうか? 登場人物を描く際にその人物がどういう場所で生まれて、どういう生活をして、どういう思考になったのか。それらはあまり表舞台に現れない裏設定だけど、有るか無いかでは物語の厚みが違ってくる。
そうか、足りなかったのはこれだ。他人を演じるには、素の女の子の情報が不足していたんだ。ならば今日、丸一日掛けてでも、それこそ死に物狂いで観察しなければならない。
そして、考えるんだ。
優梨という人物がどういう存在なのか、を。
【備考】
読んで頂きまして誠にありがとうございます!
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by 瀬野 或
【修正報告】
・2019年1月5日……誤字報告による誤字修正。
報告ありがとうございます!
・2019年1月12日……大幅な改稿・加筆。
・2019年2月3日……読みやすいように本文を修正。
・2019年7月19日……本文の微調整。
・2019年11月9日……改稿。
・2021年2月9日……本文の微調整。