三百五十四時限目 もう一人の協力者[前]
校舎へと向かう坂道を歩きながら、涼しげな顔で僕の隣を歩く男を見た。無造作に伸びた髪先を揺らし、それをタクトに見立てて鼻歌を鳴らしている。黒革の学生鞄の取手部分を握る拳から食指がピンと伸びて、鞄の表面をリズミカルに叩くのは、まるでハイハットを刻むかのようだ。
「ブラックバード、ですか」
訪ねると、チラリと僕を見て、「そうだよ」とは言わずに鼻歌を続けた。すっかり自分の世界に入り込んでしまっている。キリがいいところまで歌いたいようだから、思う存分どうぞと目で訴えて口を閉ざした。
ここ最近、ビートルズにやたらと縁があるものだ。
解散したにも拘らず、未だにCDが売れ続けているアーティストもそう多くない。世界規模で人気になれば、音楽や英語の授業でも使われたりもする。
父さんが初めて買ったCDも、ビートルズだったらしい。赤いジャケットに数字の『1』が黄色で記入されたベストアルバムが流行った時期よりももっと前。少年時代に中古で買った赤と青のシングルベストは、いまも車で流すらしい。様々なジャンルの音楽が統一性もなく流れたりするのだが、「父さんが学生だった頃は、こういう音楽が流行ったんだぞ」って、僕に教えてくれていたのかも知れない。
そのおかげで、僕の音楽趣味は父さんの血を引いていたりするわけだが、同級生たちが流行りの音楽で盛り上がる中、僕だけ青春パンクってのも居心地悪いものだった。
八戸先輩の鼻歌が終わった頃、僕らは坂道を上り終えて、正面玄関まで到着していた。
「おや」
八戸先輩は立ち止まり、周囲を見渡した。
「今日は少ないですね」
スケボー部たちの朝は早い。
梅ノ原駅から学校へ向かうバスが到着すると、既にスケボーを走らせている。どれだけスケボーに情熱を注いでいるのかはさて置き、彼らの腕は、趣味でスケボーに乗っている者、の域を出ない。大会に出場したという話も訊かないし、やることがなくてスケボーで遊んでいるようにしか見えないのだ。
実績が無い部活も存在しているけれど、そういう部活は学校の備品を傷つけたりしない。そういう点からしても、スケボーは認可され難いのだろう。
彼らボーダーが伸び伸びと活動できる場所さえあればいいとは言っても、環境を整えるには経費が掛かる。梅高にそこまでマネーパワーがあれば、スケボー場の一つや二つくらい作れるが、暇潰しのように滑っているだけの彼らに資金を投じるほど学校も甘くない。
「おはよう。今日はどうして少ないんだい?」
八戸先輩は、スケボーの上に腰を下ろして額を寄せている彼らに声をかけた。多分、全員三年生だから、八戸先輩のクラスメイトがいても不思議じゃない。そうじゃなくても、生徒会は幾度となくスクボー部と顔を合わせる機会が多い──迷惑だからやめろと注意している──ので、知り合いくらいの認識がお互いにあるのだろう。
「なんでテメエが朝っぱらからいるんだよ」
三人のうちの一人、金髪に染めた短髪の男が八戸先輩をギッと睨む。
「これでも自分は生徒会役員だからね」
「テメエの身の上なんか知らねえ。失せろ」
これこそが『歯に衣着せぬ仲』ってやつだろうか。うん、絶対に違うな。どちらかと言えば、『犬猿の仲』ってほうがしっくりくる。スケボー部と生徒会の因縁も深そうだし。特に、八戸先輩は物怖じせず、どこにでも現れる神出鬼没さが彼の反感を買っているようにも思えた。
「そう言ってくれるなよ。同じクラスの仲間じゃないか」
「黙れハゲ」
「髪の話か。自分よりも武のほうが物理的にも少ない。それに、おでこもキミのほうが広そうに思えるけれど、それについてなにか弁明はあるかい?」
終始微笑みを崩さず冷静に対処する辺り、さすがは生徒会随一の曲者だ。それに対して、最初から嫌味たらしく悪態を吐く武先輩は、自分が吐いた悪態がすんなり躱され、それが自分に返ってくるのだから余計に怒りが増した様子。いまにも胸ぐらを掴みそうな勢いで立ち上がった武先輩を、他の二人が馬を宥めるかのように落ち着かせていた。
「クソが。用がねえなら早く生徒会にいけよ」
「おかしいな。自分は用事がなければ武に話しかけたりしないのだが」
「テメエ、まじでぶっ転がすぞ」
これはマズい展開だと、僕は八戸先輩の袖を引っ張った。
「先輩、火に何リットルの油を投下するつもりですか。放火の裏技じゃないんですから、その辺にしといて下さい」
「いやいや、自分は別にそういうつもりじゃないんだけどねえ。これはコミュニケーションの一環だよ」
──そうだろう、武?
──知らねえよ。
「それは兎も角、どうして今日はこんなに少ないんだい?」
本題の切り出し方が雑過ぎる……。
相手は怒り心頭しているんだから、答えなんて訊き出せるはずがないだろう……と思っていたが、それはどうやら僕の思い過しで、武先輩は面白くなさそうな表情を浮かべてはいるけれど、「チッ、うぜえ」と舌打ちしてから口を開いた。
「受験がやべえからって、辞めてったんだ」
「武たちはいいのかい?」
「オレらは大学行かねえし、別にいいんだよ」
──就職活動は?
──暫くはフリーターだ。
──当てはあるのかい?
「……ねえよ。つか、テメエはオレの親か? 他人のことより自分の心配しろ」
「ああ、それには及ばない。自分は推薦入学が決まっているからね。論文の提出と、軽い面接があるだけさ」
「チート過ぎんだろ……、クソ」
僕も武先輩と同意見だった。
「生徒会に部活動、そして、野外奉仕活動も重ねてきた。おまけに成績は常に上位をキープしている。キミが正面玄関で鮮やかなトリックを決めている最中、自分は将来を見据えて活動を行っていた。ただそれだけの違いだよ」
ぐうの音も出ないド正論。
現に、彼らは『受験を選んだ仲間たち』からも、一歩以上に出遅れてしまっている。武先輩は『暫くはフリーターだ』と豪語していたが、安定を選ぶならば、すぐにでも就職活動をするべきだ。こんなとろでスケボーをしている暇なんて無い。とはいえ、武先輩たちの気持ちがわからないこともなかった。
世間はこれを、『甘えだ』と断罪するだろう。でも、大学へ進学するのが本当に正しい道なのか、就職するのが常識なのか、それを計れる者は自分だけだ。他人が無責任に口出ししていい問題ではない。あと、大学受かったマウントは、血を見ることにもなり兼ねないのでしないほうが懸命。
「てめえの趣味よりスケボーのほうが健全だろうが。それに、てめえの恋人の犬飼だって──」
あ、この流れは本当にマズい、と僕は思った。
然し、一度口にしてしまった言葉をなかったことにはできない。
「それ以上口にしてみろ。お前の恋人みたいに転がしてやる」
僕がどんなに嫌味や皮肉を吐いても笑って許す先輩が、初めて見せる表情だった。
突然のことに、場が静まり返った。
「自分は別に変態と蔑まれようが、生徒会の面汚しだと呼ばれようが、正面玄関のタイルを壊す部活をなんとかしてくれってクレームが入っても穏便に済ませる。でも、ここにいない者に対してわざとらしく悪態を喚き散らすのは卑怯者のすることだ。それは、一人の人間として、到底許すべき行いではない。自分はね、武。キミを卑怯者だと思いたくはないんだ。わかってくれるかな」
「お、おう……失言だった。わるい」
八戸先輩の豹変っぷりに唖然としていた僕らの前に、騒ぎを訊きつけたのか、生徒会長の島津先輩が走ってきた。
「なにごと? 説明を」
島津先輩が八戸先輩を睥睨する。八戸先輩は「いつも通り、彼らに注意をしていただけだよ」と嘯いて、同意を求めるように武先輩を見た。
「ああ、そうだ」
「懲りないわね、アナタたちも……」
用が済んだなら散りなさいと呆れ顔で言った島津先輩に対して、「お騒がせしてすまない」と笑顔で返した八戸先輩に、僕は恐怖を感じていた。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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