三百四十八時限目 手段と目的[後]
具体的な案も出ないまま、小一時間が経過しようとしていた。
空は赤色を増して、夜の準備がされていく。買い物帰りの奥様方が、ダンデライオン前の道を歩いていた。交差するように、散歩に連れ出された犬が電信柱にマーキング。飼い主がペットボトルに入れた水を掛けて処理をした。
子どもの頃から見続けている田舎の日常風景は、味のしないガムと同じだ。根気よく咀嚼しても、味が復活することはない。無味無臭、退屈、どうにかしないといけない、と思う焦燥感と、どうにでもなれ、って思う出来の悪い感情が入り混じる生活には、ほどほど慣れて、ほとほと辟易だ。どっちつかずではない。どっちも持ち合わせているから余計に悪質だと言える。だからこそ、かの有名な小説投稿サイトでは、異世界へ旅に出る高校生の物語が増え続けているのだろう。
マンネリ化した日常からの脱出?
いや、逃亡というべきだろうか?
どっちにしたって羨ましいったらありゃしない。
もしも僕が異世界へと転生、あるいは転移したとしても、物語の主人公たちのような大立回りはできないだろうな。チート能力があったって転んだら血が出るし、血が出たら痛いとも思う。痛いだけで済んだらマシか。何度も死んでリスタートするとか、幼い体で戦場を滑空しながら銃撃戦とか、そんな異世界転生は本当に勘弁願う。
話し合いの最中に雑念を頭の中で繰り広げながら、いつまでこんな話し合いを続けるんだろう? と口の中でぼやいた。答えの出ない問題に対して熱を向けるのが悪いわけじゃないが、不毛だってことも理解しなければならないんだ。だとしても、精一杯の悪足掻きをしてやりたくなるのは、譲れない〈なにか〉のため。多分、満足したいんだろう。それは、酷く自己満足に似ていて、優しさの押し付けでもある。
だけど……はあ、まあいいや。
テーブルに頬杖をつき、店内BGMに耳を傾ける。訊き覚えのある前奏。『あ、ビートルズのイエスタデイだ』と直ぐにわかった。ビートルズのジャズアレンジがダンデライオンで流れるのは初めてかも。哀愁漂うピアノとウッドベースの響きがいい感じ。ブラシを使ったスネアの音が、もの寂しげな雰囲気を見事に作り上げていた。
イエスタデイは、ポールが作曲したバラード調のピアノ曲だ。夢から覚めたときに頭の中で流れていたメロディを、そのまま曲にしたとか。最初は『どこかで訊いた曲が頭の中流れただけ』と思っていたらしい。だれの曲かを知るために、いろんな人の前で演奏した結果、自分の内側から生み出された曲と知った。深夜の音楽番組かラジオ番組で、そんなことを話していたような記憶がある。多分、有名な逸話。
夢のまにまに音が流れるって、どんな感覚なのだろうか。
僕が夢のまにまに訊く音は、携帯端末に設定したアラーム音だから、ポールの感覚を実体験する日は永遠に訪れそうもない。
──いい感じのアルバムだな。
相変わらず、照史さんの選曲は秀逸で、うっかり失恋でもした日に訪れてこのアルバムを流されでもしたら、珈琲の苦味と相俟って、ほろりと涙が零れかねない。
感傷にどっぷり浸りたいとき、このアルバムは効果絶大だろう。なんというタイトルのアルバムなのか照史さんに訊ねる、を脳内予定表に組み込んだ。
はてさて、どうしたものかと思案に尽きた頃合いに、「いいかしら」と天野さんが小さく手を挙げた。
「ええ、どうぞ」
と、発言を許可した月ノ宮さんに向いて頷き、訥々と語り始める。
「花火大会じゃなくて、手持ち花火を持ち寄る……とか、そういうのじゃ、ダメかしら」
──手持ち花火、ですか?
──ええ。手持ち花火。
そう言ったものの、代替え案を提示した天野さん自身が懐疑的な表情をしている。
打ち上げ花火と手持ち花火では、グレードが格段に下がるけれど、『みんなで花火を楽しむ』という目的は達成できるはずだ。然し、特別感は薄い。月とすっぽんまでは言わないが、『友人宅で行う鍋パ』と、『クルーザー貸し切り船内パーティー』くらいの差はある。
……うん? それを『月とすっぽん』って譬えるのでは? まあいいか。
夏の終わりに線香花火は風情があっていいと思うけど、まだ始まったばかりなのだから、『めんまみーつけた!』をするには早過ぎる。
「そうと決まれば最高ランクの花火を用意して」
「楓、その流れはもういいぞ。マジで」
続けて、「つか、まだ決まってねえし!」と、被せ気味にシャットダウン。
月ノ宮さんは、是が非でも天野さんの意見を尊重したいようだ。
好きな人の要求に応えたいとする姿勢は健気だけれども、なんでもかんでもお金で解決するような真似はよくない。お金だけに。真似ってね。……そろそろ限界に到達したようだ。なにより、余計なことしか頭に浮かばないのは、集中力が切れた証拠である。糖分が欲しい。願わくばブドウ糖。脳を活性化させるには、ブドウ糖が最も効果的なのだ。だけど、テーブルには砂糖もなけば塩すらない。ファミレスと喫茶店の違いは、テーブルの上に調味料があるかどうか。嘘だけど。
「上手く纏まりませんね。また明日に持ち越したほうがよさそうです」
明日もこの話をするの? 同じ結果になるだけのような……。
「いや、その必要はねえよ」
──佐竹?
──佐竹。
僕と天野さんの声が重なった。
佐竹は唇を噛み締めてから、意を決したといわんばかりに口を開いた。
「俺が花火大会にいけないのは確定だ。多分、姉貴になにを言おうが、その判定は普通に覆らねえと思う。ガチで」
普通なのか、ガチなのか、どっちだよ、とはツッコまない。
「だからこうして、どうすればいいのか案を出し合ってるんじゃない」
いつもなら、天野さんの強気な態度にビビる佐竹だったが、今日の佐竹は一味も二味も違うようだ。堂々とした態度で、天野さんに遅れを取っていない。
「解決策なら、優志がとっくに思いついてるはずだ」
そうだろ? と僕を見る。
「いや、べつに……。特には」
浮かんでいないわけじゃない。ただ、それを提案するのを、この場の空気がよしとしないだけだ。それに、僕だってその案を実行したいと思っていないのだから、改まって口にする必要もない。
「遠慮すんなって」
佐竹はニカッと笑った。
全てを諦めてしまったような、寂しげで、大嫌いな笑顔だった。
「俺抜きで行ってこいよ。べつに、恨んだりしねえって。ガチで」
「ですが」
「それに」
言を待たずに、佐竹は続けた。
「夏が終わったって、花火大会はどっかでやってるだろ? 皆で見に行く機会は八月三日だけじゃない。……違うか?」
「そりゃあ、そうだけど……」
天野さんが「そうじゃないのよ」と付け加えても、佐竹は首を振った。
「ヤケを起こしてるわけでもねえからな? 行きたいときに、行けるヤツらが行けばいい。それだけのことじゃね? んで、後々にお前らから感想訊いて〝あー! 俺も行きたかったぜこんちくしょう!〟って悔しがるのも悪くねえと思うんだ」
──あ、もうこんな時間か。
腕時計をたしかめて、佐竹は立ち上がった。
「そろそろ帰らねえと。姉貴と打ち合わせがあるんだよ」
「本当に、アンタはそれでいいの?」
天野さんが睨めるように見る。
「見たいんだろ? 花火。気を遣ってくれるのは嬉しいけど、俺のせいで中止ってなるのは堪えらんねえから。あと──」
タイミング悪く、佐竹の携帯端末が鳴った。
ポケットから取り出して画面を確認した佐竹は、「げ」って口をした。
「姉貴だわ。わりい、先に帰るな!」
──照史さーん、ごちそうさまッス!
ドタバタと忙しなく、佐竹は店を出ていった。
暫くの間、窓から外の様子を窺っていると、片手に持った携帯端末を耳に当てている佐竹と目が合った。佐竹は、「あ」とでも言ったみたいに目を丸くしてから、猛然と走り去ってしまった。
「勝手に話を終わらせてしまいましたね」
悩んだ時間を返して欲しいです、と溜め息を吐く月ノ宮さんに、天野さんが「ほんとね」って同意する。
「見え透いた強がりは、やめて欲しいわ」
ぶうぶうと文句を続ける二人を見ながら、頭の中で、天野さんの発言を反芻していた。
──見え透いた強がりは、やめて欲しいわ。
本当に、強がりだったのだろうか? 調和をモットーにしている佐竹だからこそ、自分が問題の種火になるのを嫌がったんじゃないか、と僕は思う。なにを今更って感じだが、佐竹なりに考え抜いて結論を出したのだろう。
だけど、その決断は間違いだ。
佐竹は『花火大会に行く』を目的として考えて、「自分が諦めれば済む話だ」と答えを出した。だが然し、『花火大会に行く』は、あくまでも〈手段〉なのだ。〈目的〉は『みんなで花火を見る』である。僕らが長々と話をしていたのは、『どうすれば目的を遂行できるのか』であって、佐竹が抜ける時点で破綻する。
お利口な振りをして、訊き分けのいい自分を演じて、自己犠牲を正義とするなら、僕は悪人で構わない。佐竹が『正義マン』を此れ見よがしに名乗るなら、僕は御為倒しの怪人役を全うしてやろう。僕にできることなんて、いつの時分もそれしかないのだから。
「佐竹を抜きで、花火大会に行きたい?」
念のため、二人に訊ねた。
天野さんも、月ノ宮さんも、首を振って主張する。
「だよね」
だったら、やるしかないだろう。
佐竹琴美と、直接対決だ──。
【備考】
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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