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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十七章 Escapism,
472/677

三百四十六時限目 嘘つき先輩と朝の時間


 月ノ宮さんの愛を『重たい』と表現したけど、愛の重さはよくわからない。物質じゃないから、比較する物が無いんだ。天秤に乗せられたらわかり易いのになって思いながら、興奮を抑えられずにいる月ノ宮さんを見やる。いつも、『なんてことはない』みたいな涼しい顔をして、頬には薄っすら微笑みを湛える、奥ゆかしい大和撫子。然し、その実態は変態ストーカー。天野さんのことになると目の色が変わり、周囲が見えなくなる。これが、世間で言う〈ギャップ萌え〉ってやつだろうか? 萌え要素、どこにあるんだろう。


 萌えと言ってもジャンルは様々あり、一括りにはできない。ジャンル分けが大好きな日本人は、多種多様な萌えを構築する。『萌え』って言葉自体が死語になりつつある昨今、萌えについて考えるのは、なんだか哲学っぽい。


 そもそも、『萌え』を世間に浸透させたのは、匿名掲示版に書き込みをしていたヤツらだ。オタク文化を時代を築きあげた彼らは、いま、どこで、なにをしているんだろう。社会不適合者というレッテルを貼られて、気持ち悪いと罵られて、それでも生きている。嘘と偽りで塗り固めた履歴書を片手に、面接会場へ向かったのだとすれば、それはそれで勇み足過ぎるけれど。


 月ノ宮楓を『萌え』のジャンルに当てるなら、どこにカテゴライズするべきだ? ヤンデレ、だろうか。でも、彼女が『病む』姿は想像できない。愛の暴走トラック、導火線に着火した瞬間に爆発する爆弾、まだ未発見の毒キノコ、彼女を連想させる物は、どれも物騒だ。


「着物は追い追い考えるとして」


 話題をいち早く変えたいのか、一向に進まない話に苛々したのか、天野さんは口を尖らせる。


「花火大会へ行くのは、決定でいい?」


「それなんだけどよ……」


 いつにもなく弱腰な口調で、佐竹が恐る恐る声を出した。


「その日、夏コミの初日なんだわ……。ガチで」





「あ、ホントだ。八月三日ってなってる」


 携帯端末で夏コミのホームページを確認すると、夏コミの初日は八月三日となっていた。タイミングが悪いって騒ぎじゃねえぞ。耳の奥から怒号が訊こえてくる。


「せっかくの花火大会ですから、欠員が出るのは考えものですね」


「そうね。佐竹抜きで行くのは、さすがにかわいそうかも……」


「お前ら……」


 いつもなら、『じゃあ、佐竹は夏コミ頑張ってね』で終わる話だが、今回ばかりはそうもいかない。月ノ宮さんも、天野さんも、高校二年の夏がどういう意味を成し得るのか、わかっているのだろう。だからこそ、『佐竹を抜きにして花火大会へいく』という言葉が出てこないのだ。


「琴美さんの本は、いつもどれくらいで完売するの?」


 そうだなあ、と佐竹は顎に手を当てた。


「最速だと、開始三十分で完売。そうじゃなくても、午前中には売り切れるな。でも、今回は部数を増やしてるから、午後までもつれ込むかも知んねえ」


 それに、と付け加える。


「今回、俺は〝姉貴の専属〟じゃなくて、〝姉貴のサークルの売り子〟をやるから、姉貴の本が完売して退散……ってわけにもいかなくてな」


 サークルの代表が琴美さんだとしても、コトミックス本だけを売っているわけじゃないってわけか。栞、アクリルキーホルダー、缶バッジなんかが考えられる。


 ……僕がモデルの商品なんて、作ってないよな?


 佐竹は変に義理を通すから、中途半端に仕事を切り抜けることをよしとしないのだろう。まあ、日給を支払ってるんだから、馬車馬の如く働けって思う雇用主の気持ちも、わからなくはない。


「仮に、仕事が午後の五時に終わるとして。そこからとんぼ返りで梅ノ原へ……、少々ハードですね」


 帰りの混雑を考えると、月ノ宮さんが思っている以上にハードだと予想される。満員電車でもみくちゃにされながら、長い時間電車に揺られるのは、苦痛以外になにもない。


「じゃあ、他の花火大会は? 梅ノ原花火大会に固執しなくても、夏なんだから各地で開催されてるんじゃない?」


 テーブルに置きっ放しにしていた携帯端末で、埼玉県内の花火大会を検索する。


 ──これは?


 ──その日は、泉たちと……。


 ──じゃあ、こっち。


 ──クルーザーの立食パーティーにお呼ばれしていて……。


「全滅じゃん」


 というか、月ノ宮さんの予定だけ庶民離れし過ぎてませんか? クルーザーで立食パーティーとか、アラブの石油王でも来るわけ? セレブは違いますねえ。


「二人の予定と違って、私の予定は変更できそうだけど、翌日に泉が新潟のおばあちゃん家に行くらしくて」


「予定を組んでんなら仕方ねえよ。それに、立食パーティーだろうが、友だちと遊ぶ予定だろうが同じ〝予定〟なんだ。比べるのもおかしな話だろ? ……なんで黙るんだよ!?」


「いや、あまりにもイケメン発言過ぎて、驚きを禁じ得ないというか」


 こういうときの佐竹は、いちいちイケメンだ。狙って言ってないからこそ、彼の発言に救われる人がいる。


「ですが、このままでは埒が明きませんね」


「早く上がれるか、姉貴に相談してみる」


 佐竹はそう言ったが、僕には不安しか残らなかった。





 * * *


 



 青々とした夏らしい空の彼方に、入道雲が見えた。焼け付くような日差しが肌を刺し、自転車を漕ぐ背中に汗が噴き出す。夏場の自転車はこれだから嫌なんだ。じりじりと照りつける太陽が、僕のメンタルをごりごり削っていく。でも、ペダルを漕ぐのをやめたら遅刻が確定だ。一人でロードレースしている気分になりながら、「急ぐしかないっショ!」と、必死でペダルを漕いだ。


 梅ノ原駅のトイレでティーシャツを着替えた。この季節は着替えが無いと厳しい。汗で濡れたままだと風邪を引くし、なにより、エアコンが寒く感じる。汗の匂いも気になるので、制汗スプレーも欠かせない。コンビニで購入した持ち運び用の制汗スプレーは、運動系の部活に所属している女子たちが使うオーソドックスな品物で、石鹸の匂いがする。僕は、この匂いが好きだ。爽やかで、気持ちがいい。変に香水をつけるよりも、このスプレーのほうがいい匂じゃないか? と思うくらいだ。


 三〇分も全力でペダルを漕ぐのは、フルマラソン以上に体力を消耗するとかしないとか。ソース元も忘れた情報は当てにならないが、それはそれとしてしんどいのはたしかだ。切符売場にあるベンチに腰を下ろすと、タイミング悪くイチバスが到着した。せっかく座ったのにって思いながら腰を持ち上げようとして、持ち上がらない。そうこうしているうちに、梅高生徒を乗せたイチバスは、僕の目と鼻の先で発進してしまった。


「体力が無さ過ぎる……」


 一般的な男子高校生の基準値を下回る僕の体力では、ここぞという場面で足が動かない。そればかりか、最近、男子の制服すら似合わなくなってきたんじゃないかって思うこともしばしばあった。ならば、いっそのこと女子になってしまえたらいいのに。体が変化するなんて、夢物語過ぎて笑えない。


「おや、珍しい。鶴賀君じゃないか」


「あ。……おはようございます」


 改札を通ってきたのは、一年先輩の八戸望だった。八戸先輩は片手に分厚い本を抱えている。


「ああ、これかい? ハロルド・アンダーソンの〝I will not go back today〟だよ。……読んだことは?」


「まだ読み途中です」


 そうか、と口にして、僕の隣に座る。


 ──おや、いい匂いがするね。


 ──エイトフォーです。


「ああ、そうか。夏場の女子の匂いだ」


 言い回しが変態過ぎませんか? って僕が睨むと、八戸先輩は「そうかな?」としらばくれた。


「こうしてキミと肩を並べるのは、随分と久しぶりな気がする」


「そういうの、犬飼先輩に怒られますよ?」


「浮気はしないさ」


 どうだろうな、怪しいものだ。



 

【備考】

 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。


 これからも当作品の応援をして頂けたら幸いです。


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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