三百四十四時限目 放課後はいつものメンバーで
冷夏という予想は、七月を半ばにして覆った。
四〇度を上回る気温が各地で続き、埼玉県熊谷市では『記録を更新するのではないか?』と、ニュースで囁かれている。だが、暑いのは熊谷だけではない。我らが通う梅ノ原学園高等高校だって、熊谷に負けず劣らずの気温を叩き出していた。山の上に建てられた梅高は、太陽との距離が近い。それゆえに、体感温度も上昇する。体育の授業では、所々から「暑いー、死ぬー」と阿鼻叫喚が訊こえてくる。正に地獄絵図のようだった。
運動と太陽熱で体力と気力を持っていかれるもので、その後の授業は身が入らない。夏場は体育の授業を中止にしようと提案したいところだが、体育の授業を「まだかまだか」と心待ちにしている者もいるので、どうにも中止にならなそうだ。
頭より体を動かすほうが得意だもんな。特に、佐竹グループに所属している男連中は脳筋揃いだ。暑さで脳を焼かれてるんじゃないか? って思うくらい大はしゃぎして、その後の授業で爆睡する。そんな彼らの姿を見て、担任の三木原先生は「キミたちは、もう少し、限度ってものを覚えましょうか」と苦言を呈していたが、馬の耳に念仏でしかなかった。
二年生にもなれば、否が応でも受験を意識しなければならない。学校よりも塾の勉強を優先しているヤツもクラス内でちらほらと見受けるが、僕は身の丈にあった大学に入れたらそれでいいと考えている。やりたいことも見つからないし、大人になるのを先延ばしにするために進学を選んだようなものだ。大学なんて、そんなものだろう。東大や早稲田を受験するならまだしも、僕みたいな半端者は、中の中くらいのランクが丁度いい。どうせ、大学に行ったって、いまの生活がガラリと変わるわけでもない。興味無いサークルに入ったはいいが、そのサークルは名ばかりで、蓋を開けたら合コン、飲み会の連続だった……という話も訊く。研究室の冷蔵庫の中には、常にだれかが持ってきた缶ビールがあったりとか、本当にあるのだろうか? 二次元だけの話だと思っているけど、仮にそれが本当だったら、大学ってなにをするところなのか、進学する意味を考えてしまう……。
ホームルームが終わると、前の席で眠りこけていた佐竹が「んんー!」と背伸びをした。まるで、今日も一日頑張りましたとでも言いたげな背中だ。シャーペンの先っちょでぶっ刺したくなる衝動を堪えて、代わりに「暢気だね」と声をかけた。僕の声に反応して、くるりと椅子ごと回転。とても寝起きにできる動作ではないが、これも脳筋のなし得る技か。波動拳コマンドでできそう。昇竜拳はちょっとコツがいる。
「なあ、今日も行くだろ?」
「うーん。まあ、そうかな」
最近、目的も無く、学校帰りにダンデライオンへ寄ることが多くなった。如何せん、この季節に飲むアイスコーヒーは格別だ。疲れた体と脳を休めるのに、ダンデライオンは持ってこいの店と言っていい。たまにアイスもご馳走してくれるし、エアコンも効いているから快適なのだ。ただ、ダンデライオンの存在を知った顔見知りがいたりするのが難点。昨日なんて、中学時代の知人である柴田健と、その彼女である春原凛華とばったりマッチングして気まずいったらありゃしなかった。……それだけではない。生徒会の件で知り合った八戸望と、その彼女にあたる犬飼羽宇琉カップルとエンカウントしたときは、なにも見なかったことにして退店したまである。
どうにもいっかなこれまたどうして、僕の周りにはカップルが多過ぎて胃がもたれそうだ。
「しかし、あれだな。ダンデライオンも人口密度が増えたよな。ガチで」
「元からいい店だったから、知名度が上がればそうなるよ」
むしろ、これまでが少な過ぎたのだ。お手頃な値段で美味しい珈琲を飲めるなら、選ばないという選択はない。雰囲気もいいし、音楽のチョイスもいい。相変わらずあの絵だけ浮いているけど、いまではいい持ち味になっている……と、思う。いや、やっぱりあの絵はないよなあ。照史さんは多才らしいけど、絵のセンスだけは備わっていなかったようだ。天才が、全ての分野において、天才を発揮するとは限らない。照史さんが、普通の天才でよかった。普通の天才ってなんだ? まあ、なんでもいいか。
「二人とも、お疲れ様」
月ノ宮さんを従えるようにして、天野さんがやってきた。
「そっちも、おつかれ」
二人は、手頃な椅子を拝借して僕を取り囲む。目の前には佐竹、佐竹の隣に月ノ宮さん、そして、僕の隣に天野さんという、いつも通りの順番だ。僕の周囲に三大勢力の長が腰を下ろしている状況にも慣れてきた。クラス連中もこの光景に見慣れたようで、コソコソと噂話をするような声も訊こえない。
「優志君は、これからダンデライオン?」
「おう。ダンデろうと思ってたところだ」
僕の代わりに佐竹が答えた。
「ダンデるなんて、妙な造語を作るのはやめて下さい。侮辱的な気がしますので」
「いいじゃねえか。日本人はなんでも略称にするだろ? 普通に。ドラクエとか、ポケモンとかあるじゃねえか」
「略さないほうがしっくりくる名称だってあるじゃない。ダンデライオンを〝ダンデ〟って呼ぶのは、些か抵抗があるわね……」
たしかに、と相槌を打ったけれども、ダンデはダンデで格好いい略称だとも思った。二丁拳銃を撃ちながら、悪魔と踊る主人公みたいな名前だ。もっとも、彼の名前は『デ』ではなく『テ』だが。
そんなことを話していると、教室に設置されたスピーカーからピンポンパンポンとお知らせが鳴り、教室内が静まり返った。
『生徒会より呼び出しを申し上げまーす。八戸先輩、八戸望先輩。至急、生徒会室までお願いしますー。繰り返しまーす……』
この、明らかに面倒臭そうなやっつけ声は、七ヶ扇さんに間違いない。なにやってんの、あのゲスい先輩は。生徒会の集会をサボるのは八戸先輩らしくないが、もう、僕には関係無い人だ。学校に向かうバスで鉢合わせしても挨拶を交わす程度で、あの件以来、八戸先輩から僕に近付こうという気配は感じない。彼女ができたからか、それとも、僕に興味を失ったか。犬飼先輩から止められている、という可能性も否定できないが、真相は闇の中である。
「優志君。また〝変なこと〟に巻き込まれてないわよね?」
「まさか。そんなにしょっちゅう巻き込まれてたら、身が持たないよ」
生徒会の一件のような出来事に、何度も何度も巻き込まれて堪るものか。
「優志は、割とガチで、お人好しなところがあるからなあ」
「押しに弱いですね」
と、月ノ宮さんはくすり笑う。
「なんで僕が弄られてるの? それは佐竹の役目でしょ? 佐竹、僕より存在感薄いとか、もう幽霊レベルだよ? がんばって存在感をアピールしていこう?」
「なんで励まされてんだ、俺!?」
然し、存在感で佐竹の横に出るヤツはいないだろう。クラスのリーダー、佐竹義信。クラスカースト最上位に君臨する彼は、黙っていればイケメンで、いざというときに頼りになる。リーダーシップ云々だけを言えば、月ノ宮さんに勝るとも劣らない彼に、知性が伴ってさえいれば文句も無いのに、なかなかの天然だ。語彙力も無く、言い間違いを多発するけど、格好いいときは頗る格好いい。佐竹とは、そういう男なのである。
「そろそろバス停に向かわないと、イチバスに乗り遅れるわ」
天野さんの鶴の一声で、僕らは手早く身支度を整えて教室を出た。
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by 瀬野 或
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