三百四十二時限目 事件は未だ解決していない
「どうしてその鍵を関根君が?」
「八戸先輩がこの店に来るように仕向けたのは私です。八戸先輩は持っているはずですよ? 犬飼先輩から受け取ったメモを」
「これのことか」
八戸先輩も関根さんと同じように、上着のポケットからメモを取り出してテーブルの上に置いた。メモには『私を監視するのはやめて』とある。だが、これを書いたのは本当に犬飼先輩だろうか? 止め、撥ね、払いを意識した文字には既視感すら覚える。
「この文字って」
あのメモ帳に書いてある文字と、あまりにも酷似していた。
「メモを書いて八戸先輩の机に忍ばせたのは私です。犬飼先輩の名前に動揺して、気がつきませんでしたか?」
「迂闊だったな……」
虚を衝かれて悔しかったのか、八戸先輩の口から嘆声が洩れた。
「たしかにこの文字は犬飼の文字じゃない。似ているけど、犬飼の文字はもっと丁寧だ」
自分の文字をそれとなくディスられて釈然としなかったのだろう。関根さんは不満そうに頬を膨らませて異議を唱えようと口を開いたが、自分の文字が如何に綺麗か説き伏せたところでどうにもならない、と思い直したらしい。開きかけた口を閉ざし、鼻呼吸で息を整えた。
「……で、どうしてその鍵を持っているんだ?」
「託されたんですよ、犬飼先輩に」
──犬飼と接触したのかい?
──嗅ぎ回ってたのが一瞬でばれまして。
下級生が廊下でちょろちょろしていたら、嫌でも目立つよな。結果論ではあるけど、バレたおかげでこの状況を作り出せたと思えば、関根さんを探偵役に任命したのは間違いじゃなかった、と言える。
「怒られて理由を話したら、この鍵を渡されました。〝生徒会のだれかに返しておいて欲しい。私にはもう必要無い物だから〟と、言伝も一緒に」
「そうか」
八戸先輩は苦悶の表情を浮かべた。初めて見る表情だった。時折、子細顔で遠方を見つめる場面を幾度か目にしたが、その節々に犬飼先輩のことを思い倦んでいたのかも知れない。
「どうして犬飼先輩は鍵を持ってたのかしら。学校の備品を所持しているのが表沙汰になれば、大問題に発展し兼ねないわよ?」
それが鍵ともなれば尚更だわ、と強調するように付け加えた。
「厳罰を受ける覚悟をしていた、ということだろうね」
犬飼先輩にとっての応接室は、封印してしまいたいと嫌悪するほど憎たらしく、耐えないられない部屋だったのだ。
八戸先輩は『応接室に私物がある』と僕に言った。それ自体は本当なのだろう。でも、それだけが事実ではない。もう一つ、僕に隠した〈秘密〉がある。
「島津先輩が八戸先輩に告白した場所、それが応接室だったんですね」
だからこそ、犬飼先輩は応接室に鍵をして開かずの間としたのだ。犬飼先輩は数日したら返却しようと思っていたに違いない。でも、生徒会を休んでいる引け目から返すに返せなくなって、制服のポケットに入れっぱなしになった。
関根さんは犬飼先輩が何度もポケットに手を入れる仕草を見て『手癖?』とメモに記入したが、往々と触れて感触をたしかめたのは、後悔と戒めにも似た感情が無意識にさせていたのだ。
「正解だ、鶴賀君。そして、お見事だよ名探偵」
完敗の意を示すように両手を挙げる。それは、自分の過ちを認めた犯人の様でもあった。眉間にあった皺も無くなり、口元には微笑みさえ浮かべている。
八戸先輩は苦しかったに違いない。
だれだって、憂鬱を抱えたまま日常生活を送るのは辛い。心境を打ち明けて、肩の荷を下ろしたいと思うのは当然だ。だけど、八戸先輩には罪を告白できる相手がいなかった。
そんなとき、バイト先に訪れた女の子の片割れが、自分と同じ高校に通う生徒だと知る。奇跡だと感じたに違いない。探らずとも僕の弱点を把握できたのだから、したり顔を隠すのも大変だっただろう。
そういう経緯で僕に近づき、念のためにクイズ形式で問題を出した。答えられなかったらターゲットを変更するつもりで。結果、僕は見事に正解して八戸先輩は僕を適任者とした。
事件の謎を解き明かしたのは僕ではなくて関根さんだったのだけれど、まさかまさか、関根さんがダークホースになるとは、巧みに嘘八百を使い分ける八戸先輩でも、さすがに見抜けなかったようだ。
「報われない結末ね……」
だれに向けたつもりでもなく、天野さんはぽろりと零した。
「犬飼先輩は〝私にはもう必要無い〟って泉に鍵を託したんでしょ? それって、生徒会に戻らないって意味じゃない?」
僕も同意見だ。このまま話が進めば、犬飼先輩は間違いなく生徒会を辞める。責任の取り方はいつだって〈辞職〉なのだから。
「好きだった人には間接的に振られ、支えたいと思っていた人には裏切られた……、そんな気分だったんだと思うわ」
僕は天野さんの言葉に耳を傾けながら、この事件の功労者である関根さんの表情を窺っていた。
ドラマかアニメの影響で始めた探偵ごっこが現実になり、フィナーレを飾ろうとしている。
探偵の役割は真実を解き明かすことであり、罪を裁くことではない。自首を促すことはできるが、逮捕するのは警察の役目だが、この場に警察役は存在しない。
遣る瀬ない結末を目の当たりにして、関根探偵はなにを思うか。
物語の中の名探偵はいつだって気の利いた台詞で幕を閉じて、エンディングテーマが流れる中、日常へと回帰する。でも、そうはならない。これは現実に起きた事件であり、自分が当事者となった話だ。間抜けっぽいジングルで『ちゃんちゃん♪』とは終われない。
なにより、事件は未だ解決していないのだ──。
目先の問題が解決したからには、僕が生徒会に席を置く必要も無くなった。だが、犬飼先輩も本格的に退くとあらば生徒会の柱が崩れる。
島津先輩の負担は更に増していくだろう。既にオーバーワークを強いられている島津先輩が、犬飼先輩の辞職を知ったらどうなるか……なんて、想像に容易い。
島津先輩は犬飼先輩に認めて欲しい一心で、仕事に打ち込んできた。それが心の支えにもなっていたはずだ。
『頑張っていれば、いつか犬飼が戻ってくる』
と、本気で考えているなら見当違いもいいところではあるけれども、そうでもしていなければ自我を保てないくらい追い詰められていたのも明白だ。
本音を言えば、八戸先輩に頼りたいに違いない。
八戸先輩を生徒会に近づけさせなかったのは振られた腹いせもあったのだろう。それとは別に、八戸先輩に頼ってしまえば犬飼先輩の居場所がなくなってしまうとも考えたはずだ。
犬飼先輩には、友だちと呼べるほどのクラスメイトはいないらしい。関根メモから受け取った情報では──失礼だろ、とは思うが──そう書いてあった。
実際に確認していないからなんとも言えないが、性格は僕と似てると言える。
二年と数ヶ月、ひたすら孤独を抱えて生活していた犬飼先輩にとっての生徒会という存在は、僕のベストプレイスと同様に、気の休まる空間だったに違いないはずだ。
島津先輩はそれを理解していた。
理解していて、その場所を奪ってしまった。
ならば、自分の罪は自分で償うべきと判断して躍起になるのが島津先輩という人の性格だ。一度は離れた生徒会に戻った理由も、そこにあるのだろう。
推測の域を脱しない話であり、八戸先輩の言葉を借りて言えば『机上の空論』だが、責任感の強い人が一度放棄した問題に対し、再び向き合う理由なんてそれ以外に存在しない。
■備考■
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by 瀬野 或
■修正報告■
・2020年3月17日……誤字報告により修正。
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