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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十六章 I will not go back today,
466/677

三百四十一時限目 応接室の鍵


 色濃く感じていた珈琲の匂いも、嗅ぎ続けていれば鼻に馴染むものだ。馴染んで、慣れて、そこにあるのが当然のように思えてくる。そして、その感覚も麻痺し始めてから、ああそういえば、と思い出すのだ。


 いつの日か、この〈当然〉が無くなる日がやってくる。場所に限った話ではない。人も同じで、いつかは別れの日が訪れる。それを悲しいと思うのか、嬉しいと思うのかは、これまでの付き合い方で変わってくるだろう。ただ、大抵は悲しみのほうが多い。


 学生に限らず、心を許していた者との別れは突然やってくるもので、卒業、退職、死別……理由を論えば他にも見当たるが、そのどれも哀感を抱いて見送る場面が脳裏を掠める。


 僕はどうだろう。


 隣で窓の外を見つめる先輩は、あと数ヶ月後には梅高を去る。そのとき、僕は瞳に涙を浮かべながら「卒業おめでとうございます」と声をかけるだろうか?


 おそらく、無感情で言うに違いない。感涙に浸るには思い出が少な過ぎるからだ。


 僕と八戸先輩の関係は、この件が解決した時点で終わり。翌日には、すれ違い様に挨拶する程度の関係でしかなくなるだろう。生徒会の問題を解決した思い出だって「生徒会の一件は大変でしたね」くらいなものだ。


 卒業式が終わり、帰りがけの電車内で「八戸先輩との出逢いはサンデームーンだったな」と振り返ってもそこに涙は無く、変態な先輩に付き纏われて面倒ごとに巻き込まれたのを『いい思い出だ』とするには、どうにもこうにも時間が浅過ぎる。


 僕の素っ気無さに対して、八戸先輩は「最後までつれないなあ」と苦笑いするに違いない。


 そういう別れかたも悪くないじゃないか。


 なんて、八戸先輩の横顔を目の端に入れながらぼんやりと想像していた。





「再開しようか」


 八戸先輩の声に僕らは首肯する。五分程度の休憩だったのに、一時間くらい休んだと錯覚するほど、やたら長く感じた五分だった。


「ミス・ホームズ、続きを」


 以前、関根さんの好奇心を焚きつけるために使った呼称を八戸先輩が選んだのは、察するに『真実を解き明かして欲しい』と言っているようにも思える。それとも、単に興味本位からの発言かも知れない。八戸先輩の表情は静謐さを保っているので、なにを考えているのか読めなかった。


「八戸先輩が島津先輩の告白を無下にして、八戸先輩が生徒会を離れ、島津先輩も追うように去った……まで、話は進んでいたわよね」


 天野さんがここまでのおさらいを言うと、八戸先輩は黙って頷いた。


 まだ未だに腑に落ちない点が残っている。それは、依然として復帰しない犬飼先輩の存在だ。元々、関根さんには犬飼先輩について調べて貰っていたから、僕より関根さんのほうが詳しい。


「ねえ、関根さん。この件に犬飼先輩は関与してるのかな?」


「もちろん関わってるよ。でも、これは話していいいものなのかって思うんだけど……、八戸先輩的にはどうですかね?」


 八戸先輩は一考した後、「口外しなければいいんじゃないかな」と答えた。更に「もし本人に会っても、知らない振りをすれば問題無いだろう」と付け足す。


 まあ、そうなるだろう。


「犬飼先輩について話す前に確認しておきたいのですが、八戸先輩と犬飼先輩の間柄は?」


「学友さ」


「それ以外の感情は無い、そう捉えても?」


 本格的に、関根さんが探偵めいて見えてきた。前々から関根さんを『馬鹿の皮を被った狐』と思っていたけど、ついにその頭角を現した。関根さんは察しがいい。見ていないように思えて、注意深く周囲を観察してる。


 毎日のように馬鹿を演じるのは、『隙を見せれば男が狙ってくる』と理解しているからだ。そういう女性に男性が弱いのを把握しているがゆえの行動であり、自分の容姿が幼く見えるのも武器としているのだから、本来の関根泉は相当に頭脳派なのかもわからない。その作戦が功を奏しているかは、別の話になってくるが。


「ああ、そう捉えてもらって構わないよ」


 たしか、犬飼先輩は島津先輩のことが好きだと八戸先輩は言っていたな。でも、いまとなってはその証言も胡散臭い。もし、八戸先輩が全てにおいて嘘をついていたら、どうして犬飼先輩は副会長の身でありながら、生徒会に戻らずにいるのかを明かす必要がある。


「八戸先輩は男の娘が好きなんですよね」


「ああ、その通り。自分は大の男の娘好きさ」


「それが、犬飼先輩を追い詰めた原因です」


 天野さんは「どういうことなの?」と首を傾げたが、僕もその理由についてだけは心当たりがあった。


 ──自分は犬飼を殺したんだ。


 この言葉の意味をずっと考えていたけど答えに辿り着けなかったのは、犬飼先輩の性別を『男』だと勝手に解釈していたからだ。


 犬飼羽宇琉は女子生徒だったのだ。


 ハウルという名前の響きと、あの作品に登場するキャラクターの性別が男性だったから、先入観でそう決めつけていたけれど、関根さんのメモには『女性』と明記してあった。


「島津先輩を支えたいという気持ちに嘘はなかったんだと思います。でも、八戸先輩が島津先輩を振ったときの台詞と、自分の性別が女であることで、犬飼先輩はいてもたってもいられず生徒会に戻れなくなった。……違いますか?」


「いやはや、大した推理だよ。キミは小説家にでもなったほうがいいのではないかな?」


「八戸先輩、そういうのはもういいですから」


 往生際が悪いですよ、と僕は一喝した。


「だけどね、鶴賀君。証拠が無いじゃないか。いまのいままで、物的証拠はなにも提示されていない。これを〝()上の空論〟と言わずになんと呼べばいいんだい?」


「そうですね。物的証拠はなに一つ上げていないので、そう捉えられても仕方がありません」


 ──だけど。


「ここに証拠はあります」


 関根さんはポケットからなにかを取り出して、静かにテーブルの上に置いた。


 それは〈生徒会室②〉と黄色のタグに書いてある銀色の鍵だった。



 

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