三百二十七時限目 いざ再びの生徒会
八戸先輩は感傷に浸るように、体育館の屋根と外廊下のアーチ屋根の隙間に浮かぶ空を穏やかな表情で見つめる。諦観しているようだった。どんなに過去を悔やんでも、時間が巻き戻ることはないと理解しているようだ。
傷が癒えても罪は消えない。犯してしまった過ちは心に重くのしかかる。それでも前に進める人は、過失と向き合いながら身を削れる人か能天気なヤツだけ。
八戸先輩はどちらだろうか。多分、前者でもあり後者でもある。自分の深い場所を悟られないように、他人の前でピエロを演じるのはとても勇気が必要で、酷く臆病者とも言えるけど卑怯者ではない。ただ、褒められた行いじゃないのはたしかだ。弱さを隠せる人は強い。でも、一度弱さが露呈してしまえば、だれにも見せないように隠していた本音が勢いよく漏れてしまう。
いまの八戸先輩には、そんな危うさを感じた。
「だれかに悩みを打ち明けるのは苦手なんだ」
そういって立ち上がり、自販機横に空き缶入れに缶を捨てる。落下した空き缶は、体育館の中から訊こえた床を叩くボールの音で搔き消された。それがいやに静けさを際立たせた気がする。ドアを二枚隔てた場所からは、床を滑るバッシュの小気味いい音が次第に増えていった。部員が集まりだしたようだ。あと数分もすれば円陣を組んで、準備運動が始まるだろう。
「青春だね」
「八戸先輩だって、立派に青春をやってるじゃないですか」
恋に部活にヲタ活に、休日はアルバイトまでしているんだから、青春エンジョイ勢とも言える。
「自分のは、悪いほうの青春だね」
「青春なんてそんなものですよ」
青い春と書いて〈青春〉だが、春を売ると書けば〈売春〉になる。〈買春〉でも間違いではない。読み方は『ばいしゅん』でもあり『かいしゅん』でもある。〈売春〉と区別するために、敢えて〈買春〉と読むこともあるらしいが、どちらせよ褒められた意味では無い。同じ『春』が付く単語なのに、どうしてこうも違うものなのか。
「そろそろ生徒会室にいこう」
八戸先輩は三段上がった場所から飛び降りて、体操選手のように着地をした。
「八戸先輩」
一歩先を進もうとしている八戸先輩を呼び止めた。
「このままでいいんですか」
「全ての事象に、都合のいい答えが出せるわけではないんだよ。鶴賀君」
そうだ、と僕も思う。
だけど、とも思った。
大人になったふりをしていれば、全部あやふやなままでもご都合主義に変換できる。でも、目先にある問題に対して御都合主義を振り翳せるほど僕らは大人じゃない。なぜ、なんで、どうしてと疑問をぶつける幼子のように僕らは未熟だ。もしも答えが出せるなら、泥を掻き分けてでも進むくらいの気概があってもいいはずだ。
だとしても、泥濘みに足を取られて進めなくなるのは怖い。底なし沼だったら沈むだけ。助けを呼んでも無視されるようなご時世だから、泥沼に足を突っ込めずにいる気持ちも痛いほどわかる。雨が降った次の日、アスファルトの窪みにできた水溜りで遊べなくなったのは、知らなくていいことを知り過ぎてしまったからだ。要らない知識だけが増えて、取捨選択も下手くそなのだからどうしようもない。
「他人と他人を繋ぐ縁なんて容易く切れてしまうものだけど、鶴賀君は自分みたいになってはいけないよ」
「肝に銘じておきます」
「いや、そこはちょっとくらいフォローしてくれてもいいんだが……」
八戸先輩は僕の隣で苦笑いしている。
「まあ、反面教師は必要だね」
まるで『自分は必要悪だ』と言っているような口振りだ。
「八戸先輩の屍を越えようとは思いませんが、蜜柑の一つくらいは供えてあげます」
「八朔のほうがいいな」
「レモンにしますよ? しかも安いやつ」
クエッ、と呟いていたが、訊こえなかったふりをして一年の教室がある廊下を黙々と進んだ。
* * *
「おはよ……、二人とも……」
きょうも一段と声が小さい数学の鬼こと千葉先輩は、借りてきた猫のように、自分の机で縮こまっていた。
「おはよう、龍之介」
八戸先輩は千葉先輩を『龍之介』と呼ぶ。同年代には下の名前で呼ぶのかも知れない。そういえば、島津先輩に対しても『瑠璃』と呼んでいた。ジブリ先輩のことは『犬飼』と呼んでいるけど、下の名前で呼ぶと怒るからって話を訊いた。
生徒会は主に三年が役職についている。その中で七ヶ扇さんだけが二年生だ。雑務担当もいるにはいるけど、雑務の仕事は野外がメインで、謂わば駒である。犬同然の扱いを受けながらも、野心がある者はめきめきと頭角を表し、やがては生徒会を支える役目を仰せ付かる。まるでブラック企業をぎゅっと濃縮したような縮図だ。梅高生徒会はブラック企業一個分のブラック配合! アットホームな雰囲気で、役員は家族のように思ってますってか。これはもう漆黒のブラックですね。
八戸先輩と千葉先輩が談笑するのを傍らで眺めていたら、コンコンとノックの音が飛び込んで、「おはようございまーす」と七ヶ扇さんが入室した。
「……だれ?」
僕を見るなり怪訝そうな顔をした。
「記憶力が無いのは、書記として致命的では?」
「なんでここにいるのって訊いたのよ」
そうは訊かれた覚えがないんだけどなあ……?
「二人ともゴーホームでーす。さよならー」
あれれー? おかしいぞー? 七ヶ扇さんは僕と連絡先を交換したし、生徒会への加入も認めたはずでは……?
「なによ」
「いや、その……話が違うなーって?」
「それとこれとは別問題よ。生徒会の内部事情を嗅ぎ回られても迷惑なの。あと、八戸先輩は存在自体が迷惑なので消えてくださーい」
「自分だけ存在を否定されている気がしてならないのだが……」
その通りでーす、と興味無さげに答えてから自分の席に腰を下ろした。
どうしますか? って八戸先輩に目配せをしたが、八戸先輩は動こうとしない。なにか策でもあるのかなって見守ってみたけど、どうやら無策らしい。相手が相手だけに強気な態度に出られないのも無理ないか。相手が違えば対応も変わってくるが、いまの相手には分が悪い。
ならば、僕がどうにかするしかない。
「どうしても、だめ?」
「迷惑って訊こえなかった? それとも、記憶力が乏しいのー?」
うっわ。まるで僕みたいな煽りかたするじゃなーい? 陰を司る者同士のレスバは、常にマウントの取り合いである。一方が放った言葉をここぞというときに使うのは、相手の怒りを誘うテクニックの一つだ。そして、見事に相手が引っかかったら、「あれれ? ピキッちゃったのかなー?」って追撃をかけることによって、相手は冷静な判断ができなくなり発言がどんどん矛盾していく。
だが、種を知っていればどうということもない。僕レベルともなればニッコリを表す顔文字も、相手を小馬鹿にする草だって必要無い。然れど、先輩方がいる手前、醜態を晒すわけにもいかない。
「どうしてそこまで必死なの?」
極めて冷静に、相手を逆撫でないように訊ねた。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
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「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
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最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
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を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【修正報告】
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