三百一十四時限目 八戸望は渋り続ける[前]
梅高には音楽室が四つある。
その内の二つは、一般教室のような作りの特殊教室だ。
梅高の音楽授業は、例外を除けば合唱のみで、楽器を扱う必要がないから一般教室と同等の広さでも充分やっていける。
次に〈小ホール〉がある。
一般教室のような作りではなく、雛壇のような作りの段が設けられていて、各パートに分かれた練習や音楽祭などの本番に向けて使用される。だが、広さで言うなら一般教室タイプの音楽室のほうが広いかも知れない。
そして最後に、学年合同で授業が可能な〈大ホール〉だ。
他の音楽室と異なってやたら広々しているし、床が灰色の絨毯で覆われているから、上履きやスリッパを脱がなければならない。
無論、飲食も禁止だ。
絨毯のようなマットが汚れたら掃除も一苦労だ。特に、珈琲などの液体の染み抜きなんて骨が折れる。
雛壇もあるが、小ホールのそれと比較にならないくらい段数も多く、広さは一般教室の三倍くらいだろうか? 正確な数値が無い以上は『コレ』と喩えられないけれど、ぱっと見ではそれくらいの広さを感じる。
梅高の音楽の授業は『合唱がメイン』と言ったものの、楽器が無いわけじゃない。
木琴や鉄琴、ドラムやティンパニなど、オーケストラで使用される楽器も揃っていて、これらの楽器は全てこの大ホールの倉庫で保管されている。
楽器の管理は主に吹奏楽部だけれど、大型のギターアンプ類は軽音楽部の管理だ。貸し出しの際に、どちらの部活に申請するかちょっと複雑で面倒だけど、基本的に『電気を通すか否か』で判断すればほぼほぼ間違いはない。
それらの音楽教室は二階の離れにあり、大ホールの真下にあるのが多目的ホールとなっている。
多目的ホールは大ホールと似たような作りになっているけれど、こちらは絨毯張りの床ではないので上履きやスリッパを脱ぐ必要はない。
どこが違うかというと、多目的ホールは段を下るような作りとなっているところだ。
わかり易く説明すると、幅広くて浅い穴を作り底を平地に整え、壁伝いに雛壇を置いたような感じ。
多目的ホールは名前の通り、様々な用途で使用される。
例えば選択科目や部活動の説明など、わざわざ体育館を使用しない程度の用事が多目的ホールで催される。軽音楽部のライブや、演劇部の公演も多目的ホールが活用されたりするが、僕はそれらのイベントに顔を出したことはない。見る価値無しとまでは言わないけど、役者ぶった演劇部員、アーティストぶった軽音部の連中がどうも苦手で、特に軽音部に関しては理解できない。
どうして既存のアーティストの曲を我が物顔で演奏できるんだろうか? それは他人の褌ですもうを取るのと同じだ。せっかく楽器が弾けるのに、オリジナルを作らないでどうする? と、僕は彼らに問いたい。その一方で、演劇部はオリジナルの演目で勝負してるから、そこだけは評価できる。
と、偉そうに語ったところで、僕には楽器を演奏するスキルも無ければ、長丁場の台詞を噛まずに言うほど滑舌もよくない。
だから、これは単なるやっかみだ。
多目的ホールは普段から解放されてて、立ち入りが許されていないわけではないけれど、用が無いなら立ち入る必要も無い場所ではある。
そんな場所に、八戸先輩は僕を連れてきた。
「あの、生徒会室にいくのでは?」
雛壇の一番下にある舞台のような場所の中央で、八戸先輩は静かに立ち尽くしていた。
静寂極まる多目的ホールの天井から、ゴトゴトとなにかを運ぶ物音が多目的ホールに響く。吹奏楽部か軽音楽部が、倉庫から楽器類を出しているんだろう。たまに、シンバルの甲高い音がしてるので、あと数分もすれば、サックスやギターの慣らし音が鳴るはずだ。
「よく響くだろう?」
八戸先輩は自分にスポットライトが当たっていると意識しているのか、演技を始めるようにふっと天井を見上げた。
「自分はね、鶴賀君。この〝いまから始まる〟ような物音が好きなんだ」
「そうですか」
と、僕は所在無く呟いた。
「ライブや演劇でも、開始直前の緊張感と興奮は刺激的だって思わないかい?」
始まるのは益体も無い練習であって、緊張感なんてないだろうに、それを有り難く思うなんてド変態もド変態だが、思い返すと八戸先輩はド変態だから、ド変態な言動の数々にも『らしさ』があった。
「わからなくはないですけど、それと〝生徒会の問題〟は関係あるんですか」
「大ありだよ」
八戸先輩は舞台からひょいっと下りて、踏鞴を踏むように着地の勢いを殺した。転けてくれたら面白かったのに、ちょっと残念だ。
「まだ、生徒会室が開いてない」
「理由が物理的過ぎませんか?」
「生徒会室は関係者以外の立ち入りは禁止だからね。鍵を借りに職員室へ赴いても、気軽に貸してはくれないんだ」
自分はもう、生徒会役員じゃないからね、と八戸先輩は寂しそうに笑った。
「そろそろ、龍之介から連絡がくると思うんだが……」
龍之介……ああ、経理担当の先輩か。
名前はたしか、神奈川だったっけ?
すると、八戸先輩の制服のズボンから口笛のような音が鳴った。
「噂をした甲斐があったね」
ポケットから携帯端末を取り出して、さくっと返信を済ませる。
「さあ、お待ち兼ねの生徒会室へいこうか」
いくにはいくけれど、その前に一つだけ訊かなきゃならないことがある。
「八戸先輩」
先を進もうと足を踏み出した八戸先輩を、呼び止めるように声をかけた。
「なにかな?」
「どうして僕の質問に答えてくれないんですか」
「やっぱり、誤魔化されてはくれないか」
やれやれ、と肩を竦める。
「生徒会室に着いてからじゃ駄目かな?」
「なら、僕はこのまま自分の教室に向かいます」
「そう言われると弱いな……。仕方ない」
八戸先輩は、さっきまでの演技ぶった素振りを止めて僕の前に立った。
「鶴賀君の質問に答えたら、有無を言わさず協力してもらうけど、それでもいいなら答えるよ」
交換条件に交換条件で返されるとは思わなかったけど、それくらいの覚悟が必要とされる事案というのは理解した。
「その交換条件を受けるメリットが、僕には無いんですけど」
「なら、これでどうだい?」
八戸先輩は片手に持っている鞄を開いて、一冊の本を取り出した。暗紫色のフェルト生地に覆われた表紙が怪しげで、それでいてどこか見覚えがある。タイトルの英語は漆黒の糸で〈Liave home quietly〉と縫われていて、和製タイトルは無いがこれまで彼の本を和訳していた人と同じ名前も、著者の隣に記載してあった。
「ハロルド・アンダーソン、唯一のサスペンスホラー作品をあげよう」
「どうして八戸先輩がその本を?」
「この作者の本が好きという情報は、既に仕入れてある」
──お友だちに訊いたら、すんなり答えてくれたよ。
「だれに訊いたんですか……」
「これでも、元・生徒会役員だ。口は硬いよ」
どこが『口が硬い』んだ……、充分なヒントじゃないか。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
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「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
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最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
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を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
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