二百九十七時限目 柴田健は間違えた
勉強会から数日が過ぎた。
柴犬から連絡は来ない。
僕が連絡をすればいいいんだろうけど、それもちょっと違う気がして放置状態。
あの作戦は上手くいったんだろうか。
いかなかったら大問題だが、連絡を寄越さないってことは、まあ、悪いほうへ転がってはいないってことだろう。
気怠そうにホームルームを終えた三木原先生は、重い足取りで教室を出ていった。最近、頬が窶れたように感じる。学校の先生というのは楽な仕事じゃないもんなあ。うちのクラスはそこまで問題児はいないけど、他にも色々あるんだろう。テスト作成とか、教員の人間関係とか、PTAのなんたらもあって、新人教師は大変だ。若いから、という理由だけで雑務をやらされるってなかなかパワハラじゃない? ブラックだな、学校の先生は。
教室をぐるっと見渡す。
月ノ宮さんは猫を被ってファンクラブの面々と笑顔で応対しているけれど、本当は今すぐにでも天野さんの元へ向かいたいはずだ。それができないのは、天野さんに行ってきたストーキング行為を自白したからだろう。
天野さんは怒りを通り越して呆れていた。
あの日、解散となってから、二人は別の場所へと消えていった。そこでどんな会合がなされたかはわからない。けれど、予想はできる。おそらく、月ノ宮さんは平謝りするしかない状況に陥っていたはずだ。そりゃあ、昨日の夕飯まで調べられていたら堪ったもんじゃない。愛情が深いのはいいけど、過度な行為は嫌われる要因にもなり得るってわけだ。反面教師にさせて頂こう。月ノ宮先生、あーす。
一方、天野さんはというと、流星となにやら揉めているようだ。
揉めるって程でもないか。
歯に衣着せないのはお互い様だし、二人がバカだのアホだの言い合う光景は珍しくもないけれど、最近は天野さんから絡みに行っているように見受けられる。訊き耳を欹てるのは行儀もよくないしって知らぬ振りをしているけれど、交わす言葉に〈あの店〉って単語が何回か出てきたのはちょっと気になる。もしかして、流星は天野さんに〈らぶらどぉる〉のなにかを頼んだりしたのか……そんなはずないか。
佐竹は……あれ? さっきまで黒板の前で宇治原君たちと談笑していたはずだが、目を離した隙にいなくなった。急な用事でもあったのかな? 僕とおなじくらい暇人なはずだが、それでも一応はクラスのリーダーだ。三木原先生に頼まれごとでもされたんだか知らないけど、いないのであれば別にどうということもない。
あの件以来、すっかり日常だ。
さてさて、僕もバスの時間まで暇を潰そうと席を立った。
教室を出て、放課後の浮き足立った廊下を歩く。井戸端会議している女子が数人と、ふざけあっている男子生徒たちの横を通り過ぎて、昇降口へと足を進めた。中央階段に差し掛かった辺りで、音楽室から吹奏楽部のチューニングする楽器たちの音が訊こえる。それに混じって軽音楽部のエレキギター、ドラム……うん、やっぱり下手くそだ。たまにライブをしているようだけど、全くもって個性を感じない彼らの演奏に、心を惹かれる生徒はいない──と思いきや、ライブ会場となる音楽室は満員になる。どうして? 娯楽の少ない学校だから、力を持て余してるんだ。要は、みんなヒマジン・オール・ザ・ピーポーであり、私以外私じゃないの。当たり前だけどね。だから?
下駄箱にある靴と履き替えて、グラウンドの隅にあるベンチを目指す。一人で時間を潰すのは最適な場所だ。運動部の掛け声は遠く、BGM代わりとしてはなかなかに丁度いい。青春を絵に描いたような風景の近くで、隠キャ全開に本を読むのも乙だ。斜に構えるぼくかっけー。
ぺらり、ページを捲る。
栞を挟んでから全く進んでなかったこの小説も、中盤まで差し掛かった。それでもまだ中盤、物語が完結を迎えるには、主人公が策を弄して解決に向かわなければならない。
主人公って損だよな、と思う。
ラノベの主人公だったら、トラックに引かれて異世界に飛ばされてハーレム状態になったり、妹がお兄ちゃん大好きだったりして、甘い汁を啜るような生活ができるけれど、ハロルド・アンダーソンの作品に登場する主人公はなにかと不便で居た堪らない。ハッピーなエンドを迎えることだってできるだろうに、そうしないのはどうして? って、毎回疑問に思ってしまう。そこが魅力でもあるけれど、読む人によっては絶対に受け入れられないし、だからこそ、生前、彼の作品は評価されなかった。
死んでから評価されるのって名誉なことではあるけれど、だったら、生きているときにもっと賛辞を送ってあげればいいのに……とも思う。二階級特進したって、生きていなければ恩恵を受けられないのだから。
念のために鞄から出しておいた携帯端末が、鞄の上でぶるぶる震えた。なんとなく、そろそろ連絡が来る頃ではないかと思ってたんだけど、勘が当たったようだ。
画面には柴犬の名前が表示されている。
「やっとか」
零して、画面を開いた。
* * *
「お前だけか」
ダンデライオンのいつもの席。
柴犬とハラカーさんを前に、僕は「いつもの」を飲んでいた。
「一応、声はかけたよ」
メッセージを一斉送信しただけだけどね。
「不満?」
「不満だな」
さいですか。
「健、そういう態度はよくないよ。ルガシーは恩人みたいなものでしょ」
恩人、か。
恩人らしいことをしたつもりはないけど、ハラカーさんは僕に恩義を感じているようだ。鼻が擽ったくなる。
「コイツを恩人なんて思うかよ」
はあ、と溜め息を吐いた。
「それで、ダンデライオンに呼び出した理由は?」
柴犬ではなく、ハラカーさんに訊ねる。
「あ、うん。……ほら、健」
「ああ。──お前、マジでやってくれたな」
「随分な言われようじゃないか」
僕は嘲笑を浮かべた。
こうなるのは明白で、あの日、僕は柴犬を助けるなんて思ってもいなかったんだから当然だ。
「おかげで、えらい目に合ったんだぞ」
「へえ」
柴犬は偉い剣幕で僕を睨みつけたけど、ハラカーさんはいまにも吹き出しそうなのを堪えていた。
「でも、解決はしたんでしょう?」
「した。──けどな、もっと面倒になった」
もう無理、とハラカーさんが大笑い。
「おい」
「ごめん。でもさあ、あれはちょっと無理だよ、本当に……あはは!」
楽しんで貰えてなによりだ。
「お前、こうなることまで読んでたのか?」
「可能性の一つではあったけど、そう転ぶかは柴犬の匙加減だったね」
そして、柴犬は加減を誤ったらしい。
「途中まではね、ルガシー。いい感じにまとまってたんだよ? でも、まさか根津君があんなことを言い出すとは思わなくて……」
「本っ当にな。勉強会なんて開くんじゃなかっった」
どうやら、僕の思惑通りに事が運んだようだ。
「笑顔で終われたんだから御の字でしょ?」
「こうなるくらいなら、バッドエンドのほうがマシだったよ」
やっぱ、お前のことは嫌いだって吐き捨てて、手元にあるカフェラテを啜る。熱かったのか、一瞬だけ肩が跳ねた。
「まあまあ、落ち着いて」
訊かせてよ、事の顛末を……さ?
「そのつもりだ──ったく、どうして俺はお前なんかに相談しちまったんだ」
柴犬は殊更に大きな溜め息を吐く。
「休み明けに、作戦を実行したんだよ──」
柴犬は、徒然と語り始めた。
思い出すのも忌々しい、と言葉を添えて。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し