二百九十四時限目 彼を納得させるには
柊屋珈琲店には六人が座れる席は無かったようで、私たちいつものメンバーが四人席、柴犬とリンちゃんが隣の四人席に座っている。つまり、六人で八席分を占領してしまっているのだ。こうなるならあと一人……今回の件とは全く関係無いけれど、流星も連れてくれば、少しは気まずさも感じずに済んだかもしれない。六人よりは七人のほうがマシ、という境地の話ではあるけれど。
席に通されてから注文を済ませて、珈琲が運ばれてくるまでの間、どうして私がこの姿で平然と過ごしているのか、その理由を話した。無論、佐竹君とレンちゃんと私の関係は伏せて、要所要所辻褄を合わせるために嘘を挟んだけれど、大筋はこれまで通りだ。自分でも驚くくらい、すらりと説明できてしまったのは、もしかしたらペテン師の才能があるからかも知れない。知らないけど。
「だとしても、そう易々と受け入れられるもんか? 特に義信、お前はその……」
おそらく、素直な感想を吐くのが申し訳無くて躊躇っているんだろう。相手の気持ちを察することができるようになったのは大きな進歩と評価して、「言葉を選ぶ必要は無いよ」と伝える。
「そうか。じゃあ、はっきり言わせて貰うぞ」
ふうっと短く息を吐いた。
「義信、お前はコイツのこの姿を見て、気持ち悪いとは思わなかったのか」
ちょっと健! と止めに入ろうとするリンちゃんに、私は視線を送って静止させた。
「シバっちの言いたいことはわかるし、その反応が〝普通〟なんだと思うぜ。でも、だからってソイツの存在をまるまる否定すんのは違うだろ?」
真剣になり過ぎて、恒例の語尾を忘れているけれど、そんなことはお構い無しに言葉を続けた。
「気持ち悪いってのはシバっちが思った感想で、俺はその感想を否定するつもりは全く無い。でもさ、それだけに囚われてたら、その人の本質には気がつけないと俺は思う」
この男は普段こそへなちょこなのに、こういう場では『ど』が付く程の正論を吐く。きっと、主張しなければならない場面を弁えているんだろうな。だから、クラスの皆は彼をリーダーとして認めているに違いない。
「受け入れるか受け入れないかは、その人の判断に委ねるってことね? へえ、佐竹君って案外、色々考えてるじゃん! 見直した! 今日から〝タケシー〟って呼ぶことにするね!」
「え? たけしい……?」
戸惑っている佐竹君に苦笑いを浮かべながら、「凛花は気に入ったヤツにあだ名を付けるんだ。センスは皆無だけどな」と説明する。うんうん。本当にセンスは無い。泉ちゃんといい勝負ができるくらいのセンスの無さ。私なんて『ルガシー』だよ? 頭文字をレに変えたら車の名称だよ? 心の悲鳴はレンちゃんには届かない。
「女子組はどうなんだ?」
私たちの対面側、座り心地のよさそうなソファーに座る彼女たちに問う。
「可愛いからいいんじゃないかしら」
「ええ。不愉快には感じませんので」
視線がレンちゃんに集まる。
「え、私? そうだねえ……最初は驚いたけど、ルガシーだって相当悩んだと思うから、私は応援するよ」
「順応が早過ぎてついていけねえよ……」
いまのいままでは、割とすんなり受け入れてくれる人が多かったし、私と似たような境遇の人にも出会えた。だからと言って、これから先もそうだということはない。柴犬のように受け入れ難いとする人もいる──いや、これが本来の感想なんだ。
だけど、柴犬は理解をしなければならない。
自分も既に当事者である、ということを。
「だからこそ、優志君には〝ユウちゃん〟としてこの場に来てもらったのよ」
げ、と声を漏らして、柴犬は甘柿に混じった渋柿を齧ってしまったような苦悶の表情を露骨に表した。
「まさか俺にもコイツみたいに〝女装しろ〟って言わないよな?」
「違うわよ」
天野さんは頭を振って柴犬の言葉を否定する。
「根津君はきっと〝男子である柴田君が好き〟なんだと思う」
「男子である俺が好き……」
こくり、と首肯く。
「変身願望があるかはわからないですが、根津さんは〝殿方としての柴田さんに恋をしている〟ということですね?」
楓ちゃんが確信を突くと、レンちゃんは殊更満足そうに頷いた。
「同性の恋愛を理解するのは難しいと思うけど、仮に、隣に座ってるユウちゃんに迫られたらどう?」
私と柴犬の間には、人が一人通れるくらいの隙間がある。テーブルが床に固定されている以上は繋げることもできない。
柴犬は私の姿を目に捉えてじいっと見つめる。
まるで奇妙なものを見る目だ。
私はおばけや妖怪の類ではないのだけれど……。
「悪い、無理だ」
柴犬は悪怯れた様子もない。
わかっていたことではあるけれど、理解されないというのはこういうことか。同性同士の恋愛や、男子が女子の格好をすることを受け入れられない人は、なにがどうであれ許容できないらしい。
柴犬に理解されなくても痛くも痒くもないから別にいいいけど、それではレンちゃんの伝えたいことが理解されないままだ。
「固定観念を覆すのは難しいですね」
「そうじゃないのよ」
楓ちゃんが呟いた言葉を、レンちゃんは否定する。
「覆すんじゃなくて知るのよ」
「知る?」
うん。
「理解しなくていい。ただ、現象として知っておくことが大切なの」
許容できないことを無理に押し付けても反発するだけなら、『そういう現象もある』としておいたほうが容易いということかな。喩えば、青野に咲く一輪の花を見て『綺麗だ』と思うけれど、どうしてそこに花が咲いているのかを考える人は少ない。自然とその場にある、底の浅い認知のようなものって捉えるべきだ、とレンちゃんは言いたいのかも知れない。
「凛花を守りたいんでしょ」
「ああ」
「だったら、知る努力を怠らないことよ」
銅製のカップに入っているアイスコーヒーの氷が、からんと小気味いい音を鳴らした。
「だけど……ああクソ、わかったよ。そういう表現方法もあるって認めればいいんだろ」
認めたくはないけどな、なんて言いながらも彼女のためだと呑み込んで、やっと下地ができ上がったわけだけど、レンちゃんはどうやって話を広げていく気だろうか──。
『勉強会が必要ね』
昨日、楓ちゃんの迎えを待っている間にそう切り出したのは、私じゃなくてレンちゃんだった。私に『ユウちゃんの姿で来て』とメッセージを飛ばしたのもレンちゃんだから、色々考えて来ているんだろうなって思う。だから私は口を挟まないようにしていたんだけど、レンちゃんは口を閉ざしてしまった。そして、この先をどうやって進行すればいいのか考え倦んでいる。
柴犬は口ではああ言っているけど、まだ受け入れるまでの思考に至っていない。それは、柴犬の表情から容易く見て取れる。面白くないときに口を尖らせる癖は抜けていないようだ。こうなると頑固なんだよねえ……なんて思いながらリンちゃんの様子を窺うと、頬を痙攣らせながら笑顔を作っていた。たしかに、リンちゃんの気持ちはわからなくもない。
自分という彼女がいるのに、彼氏に恋心を抱く相手の話をしているのだから不満顔になるのも当然だ。然も、その相手がいじめの主犯格とあらば尚更である。それでも、文句一つ言わずに呑み込んでいるのは、私たちがああだこうだと策を練っているから、不平不満を垂らすのは申し訳ないという気持ちなんだろう。
「相手を説得するのって難しいわね」
レンちゃんはどちらかと言うと、自分の直感で動くタイプだ。いままで自分の閃きを相手に伝えてきたけれど、それがぱったり途切れてしまったって感じかな。
「ここからは私が」
話の流れから、レンちゃんが伝えたいことを察したようで、楓ちゃんは隣に座るレンちゃんの手を両手で握りながら「任せてください」と自信満々に笑ってみせる。多分、レンちゃんの手を握りたかっただけだと思うけど、私は素知らぬ顔で受け流した。
「では」
バトンタッチした楓ちゃんが話を始めようとしたとき、がたりと椅子の動く音が響く。音の正体は、隣で影を薄くしていた佐竹君だった。
「どうしたの?」
リンちゃんが訊ねる。
「思うんだけど、これってそんなに難しい話なのか? 普通に」
普通ではない、マイノリティな話だから慎重に進めているんだけど。
「根津ってヤツがシバっちのことが好きで、シバっちは凛花が好きなんだろ? だったら話は早いんじゃね? 根津を呼び出して理由をぶっちゃけてもらって、それがシバっちに対する愛情の裏返しだったらごめんなさい──それで解決じゃねえの? ガチで」
「極論過ぎます。それでは柴田さんたちに対する当たりが強くなるだけです」
そうかなあ……と、佐竹君は納得できないらしい。でも、佐竹君の言い分は間違いじゃない。早期決着を試みるのなら、その手段が手っ取り早い方法ではあるけれど、楓ちゃんが言うように、それは博打みたいなものだ。事の全てに『イエス・ノー』で片付かないのが人間関係の難しさであり、波風立てずに終幕したいなら、相応の矛と盾は用意するべきだろう。
当たって砕けてしまったら、元も子もないのだ。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し