二百八十六時限目 ぴいちくぱあちく小鳥は囀る
カーテンの隙間から暖かい春陽が差し込む。
「もう朝か、早いなあ……」
昨夜は夜更けまで頭を捻っていたから、充分な睡眠時間を確保できなかった。貴重な睡眠を犠牲にしてまで取り組んだ成果は如何に──それは柴犬たちがどう動くかに掛かっているのだが、結果がどうであれ、ハラカーさんは無事に生還できるだろう。問題は柴犬だが……まあ、彼はそこまで柔な男じゃない。どう転がろうが上手い具合に収まるんじゃないか? と勝手に決めつけて眠りについたのが数時間前。
カーテンを開くと雲一つない青空が広がっていた。
眼眼下にある庭で小鳥たちが囀る。
田舎の朝が早いのは、野鳥が他人の迷惑を考えずに、朝っぱらからぴいちく鳴くからだ。朝飯の調達が済んだら早いところ巣に戻ってくれよ。
朝のルーティンを済ませてリビングへ。
食卓の上には使い回しの置き手紙と、風呂敷代わりに使っているペイズリー柄の黒のバンダナで包んだ弁当箱が置いてあった。ペイズリー、ペイズリー……悟空に読ませたら大変卑猥な言葉になりそう。
『おはよう。冷蔵庫にサラダが入ってます。弁当のおかずはエビチリです。母より』
この文章を読んで、エビチリが手作りなのか冷凍なのかわかる者は僕だけだろう。ちなみに今日のエビチリは手作りだ。どうしてわかるのかというと、冷凍の場合は『弁当のおかずは』という一節は書かれないのだ。この一節が有る無いで、僕のテンションも大きく揺さぶられる。心の中で『よしっ!』とガッツポーズ。
弁当を手提げ袋に入れてから、トースターでパンを焼きつつ、電気ケトルに水を入れて電源をオン。冷蔵庫からサラダを持ってきて、半分くらい食べ終わる頃にはケトルの口から湯気が昇り、トースターのタイマーも切れる。
食パンの上には予めチーズとケチャップを敷いておいたので、お手頃ピザトーストの完成だ。
先ずはマグカップにインスタントコーヒーの粉を適量入れてお湯を注ぐ。
うーん、いつ嗅いでも絶妙に不味そうな香りだ。
それでも低価格だから致し方無い。
ずずり……やっぱり不味いや。
ピザトーストの真ん中を箸で押させながら、軽く折り目を入れる。その上に半分ほど残したサラダを挟んだら、即席! 生野菜ピザトースト! の完成。こういうのでいい……のかはさて置き時短にもなるので、作りの粗さはご愛嬌。黙々と食事を済ませて、束の間のコーヒータイムと洒落込んだが、自転車で隣町の駅まで移動する時間を考えると、あまり流暢に事を構えていられない。
「原付きの免許を取ろうかなあ……」
隣町までおよそ三〇分の道のり。足が棒になるまで漕ぎ続ければ、五分くらいは短縮できるけれど、朝からそこまでの元気は無い。原付きならば一十五分とかからないだろう。
これは夏に免許を取得するべきか。
一応、視野に入れておくとして──。
「行きますか……」
憂鬱なサイクリンングが僕を待っている。
おはようございます。
そんな朝の挨拶をする相手もいない教室で、僕は自分の席に座り、いつも通り仮眠を──というわけにもいかないのだ。あと数分で彼女がくる──。
それまでに、昨日のおさらいをしなければならない。
月ノ宮楓を駒として使うには、それ相応の代価が必要だ。いくら友人と呼べる相手だとしても、相手は月ノ宮家の跡取り娘──下手な言葉で誘っても、縦しんば尻尾を振ってくれない。
だから先ず、外堀から埋めていく必要があった。
教室のドアが開く。
「おはよう。朝早くに呼び出してごめんね」
「ううん、いいの。〝協力は惜しまない〟と言ったのは私だから」
おはよう、と挨拶を返しながら、天野さんは僕の隣にある椅子を引き寄せて座った。
元々、僕の隣の席に座っているのは女子だけど、名前はたしか佐藤だったか鈴木だったか……田中だったかも知れない。もう二年生になったと言うのに、隣の席を自分の机とする、クラスメイトの名前すら覚えてないと佐竹に知れたら大目玉をくらいそうだ。
佐竹はそういうところだけは、一丁前に厳しいんだよなあ……。
「私に頼みたいことって、なにをすればいいの?」
「天野さんに頼みたいことは他でも無く、柴犬と春原さんのサポートなんだけど、あと一人、聡明な頭脳を持つ人物の力を借りたくてね。どうせ、僕がああだこうだと屁理屈を並べても〝私になんの利益があるのでしょうか?〟って返されて終了だから、天野さんには月ノ宮さんの説得をお願いしたい」
──いまのって楓の真似? 驚くほど似てないわね……。
──うん。僕もやって後悔しているところだよ。
「やり方はどうであれ、それくらいなら大丈夫よ。でも、それで楓が納得するかしら……」
「一〇〇パーセント納得すると思う」
成功率が高い順に並べると、天野さん、関根さん、僕、流星、佐竹だ。
今回の件で流星と関根さんの力を借りる必要は無いし、いま述べた全員に声をかけるとなると、余計に時間がかかってしまうので省く。
佐竹はどうせ暇だろう。それに、ああいう性格だから、困っている友人を放っておくなんて選択肢は無いはず……であるならば、残すは月ノ宮嬢ただ一人。
「ねえ優志君、楓を説得するのはわけないけど、私にはなにをしてくれるのかしら?」
「え? あ、ええ? だって協力は惜しまないって……」
「それはそれ、これはこれよ。労働には対価が伴わなきゃ」
天野さんが月ノ宮さんに似てきた気がするのは僕だけだろうか……。
暫く考えて──。
「この件が落ち着いたら、えっと……どこか一緒に行きます……か?」
「いいけど、今度はユウちゃんとデートがしたいわね」
ぐぬぬ……背に腹はかえられぬ。
「わかった。池袋におすすめのカフェがあるからそこに行こう」
「交渉成立ね♪」
にこにこと微笑む天野さんの表情を見て、僕はそれ以上なにも言うまいと決めた。普段からこういう表情をしていたら、絶対にモテるんだよなあ……あ、これは心の声。
「説得すのはよしとして、楓にどう協力を取り付ければいいかしら?」
月ノ宮さんのことだ。天野さんが『手伝って』と言えば、嬉々として協力してくれるとは思うけれど、念には念を……と、天野さんに説明する。
「優志君って、どうしてそんな方法を思いつくの? ううん。どうすればそういう考えに至るのかしら……」
僕の説明を一通り訊き終えた天野さんは、頭痛が痛いとばかりに目頭を抑えた。
「たしかにその案なら楓も納得するだろうけど、本当にそれをやらなきゃだめ? あまり気乗りはしないわ……」
「そうかもしれないけど、これが一番効率がいいんだよ」
「やっぱり、優志君と楓だけは敵に回したくないわね」
面倒臭いもんなあ。
僕も、月ノ宮さんも。
ヨシノブ・サタケくらい単純な思考回路だったら楽だけど、僕か月ノ宮さんとじゃんけん勝負をしても、勝った負けたは問題じゃない。『オレの勝ち』とする理由が無い限り、グーはチョキに負けうるのだ。
「いつ説得すればいい?」
「お昼休みに仕掛けよう──それまでは内密に」
毒を食らわばなんとやらだ。
彼女のご期待通り、最高に最低なプレゼントを──とか厨二病チックに託けてみたけれど、これはどっきりレベルの粗末なイベントに過ぎず、月ノ宮さんなら一瞬にして察するだろう。
つまり、昨夜のお礼に過ぎないのだ。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し