二百七十三時限目 席替え裁判
体育館で入学式が執り行われ、校長先生の有り難いお言葉が終わると、新入生たちから順々に教室へと戻る。
僕たちはというと、そのまま会場の片付けをさせられた。他のクラスのイケイケな男子たちがぶうぶう文句を垂れながらも指示に従っている様を見て、実に滑稽だと思ってしまった。反抗したいのであれば、もっと反抗的な態度を示すことだ。入学式自体をボイコットするくらいの気概すらない彼らは、『反抗的な態度を取っている俺たちかっけー』と悦に浸っているようにしか見えない。そして、学校が終わるとカラオケかファミレスへ行くのだろう。『俺たちイケイケ高校生』が次に至る行動なんて高が知れている。コンビニ、ファミレス、カラオケ、ラウンドワン。あとは、仲間の家に集まってゲームくらいしかすることがない。音楽を齧っているのならスタジオで練習──も追加されるだろうけれど、演奏するのは既存曲のカバーである。『どれだけ原曲に近づけるか』をテーマに練習を続けるのは大したものだが、そこにオリジナリティは無い。結局のところ、やっていることは入学式の片付けと変わらずであり、自分たちの世界を拡げるでもなく、見知った世界をどれだけぬるま湯にできるか……。その全てが間違いとは言わないが、彼らも、そして僕にしても、選べる選択肢は限られているのだ。
教室に戻ると、担任である三木原先生が帰りのホームルームを始めた。今日は半日授業で、入学式しか予定は無い。
三木原先生はとても眠そうだった。教壇に立つなり欠伸を咬み殺すような表情を見せて、「先生、いつにも増してやる気無いオーラ出てるぞ」と野次が飛ぶ。
「あんなに長いスピーチを訊かされたら、昼寝の一つや二つはしたくなりますよ……おっと、これはオフレコでお願いします」
両手でちょきちょき。どっと笑い声が教室に溢れ、三木原先生はその笑い声が収まるまで待った。
「えー、先ずは皆さん、進級おめでとうございます。今日から二年生ですね。校長先生がお話ししていたことくらいしかお伝えすることも無いので、ちゃちゃっと済ませましょう──先ずは席替えをどうするかですが、皆さん、席替えをしたいですか?」
改めて訊ねられると、僕は気乗りはしなかった。結構気に入っている場所なので、ここ以外に移ると落ち着かない。それを感じているのは僕だけではないようで、誰か君が挙手で『席替え反対』を意見した。一年間を通しても名前を覚えられない誰か君、本当に申し訳ない。
「ふむふむ。では、野口君の意見に反対だと思う方は挙手を」
そうか、誰か君の名前は野口君というのか。多分覚えたぞ。よかったね野口君! 僕に認識されるくらいにはキャラが立ったかも知れないよ!
数秒の沈黙があり、誰も反論が無いと思いきや、教室の遠くで手が上がる。
宇治原君だ──。
「席替えはしたほうがいいと思います。理由は単純に、この席に飽きたから。新学期になったんだから新しい景色を見たいだろ?」
なあ、そう思わねえ? と、宇治原君は近くにいる友だちに同意を求めた。
宇治原君が在籍しているグループは、このクラストップの佐竹組である。一度はその立場を危うくしていたが、佐竹の涙ぐましい努力によって、いくらか自分の立場を回復させていた彼は、ちらりと僕を見る。眼が合うと、嘲るような笑みを零した。
その瞬間、僕は彼の意図を理解した。
宇治原君は僕が席替えを望まないことを理解していたのだ。当て付けにも程がある。
彼は回復した自分の立場を利用して、風向きを操作し始めた。
「席替えをすりゃ、ワンチャン、好きな女子と隣になれるかも知れないんだぜ? こんなビッグチャンスを逃すつもりか? 真の言い分もわかるけど、やっぱ席替えって浪漫だろ? なあ?」
野口君の下の名前は真っていうのか──とか、いまはそんなの重要ではない。これは明らかな宣戦布告だ。宇治原君はバレンタインの第二ラウンドを宣言したと言ってもいいだろう。彼は僕に銃口を向けたのだから、自分が撃たれる覚悟も出来ているのはずだ……ならばと手を挙げようとしたとき、僕より先に野口君が手を挙げた。
「その理屈だと、宇治原は席替えと恋愛を結びつけて考えてるってことだよね。……じゃあ訊こうか。仮に席替えをすることになったとして、女子たちは〝ふしだらな考え〟を持つ宇治原みたいなヤツと隣になることになるんだけど、それでもいいの? 僕はごめんだね。下心丸出しの、下半身でしか判断できないようなヤツの隣になるくらいなら保健室登校を選ぶよ」
テメエッ──と立ち上がる宇治原君の椅子が、後ろにある机とぶつかる。静まり返る教室内で、おそらく、僕だけが笑いを堪えるのに必死だった。野口真、君はとんでもなく煽りが上手い。そして、話題をすり替えることにも長けている。どうしてこれまで息を潜めていたんだろうか……? こんな曲者、目立たないはずがないのに。
「はいはい。喧嘩は他所でやってくださいねー。昨今は暴力事件で教師の首が飛びやすいんですから。あ、いまのもしかして撮影していた人いますか? 私、まだ職を失いたくないので、学校が特定されるような情報が映ってないかチェックしますので、あとで職員室までお願いしますよー」
三木原先生のブラック過ぎるジョークで、殺伐としていた空気が緩和した。でも、火蓋は落とされてしまったのだ。白黒はっきり付けなければ納得しないだろう。
「それと、野口君──キミはちょっと口が過ぎたね。宇治原君も。ホームルームが終わったら、手を繋いで一緒に職員室に来るように」
「はあっ!? なんで手を繋がなきゃいけないんだよ先生!」
「知れたこと──罰ゲームさ」
三木原先生は決め台詞を吐く主人公のようにドヤ顔を決めた。
「では、席替えについては皆さんで話し合って決めてください──今日はここまで」
起立、礼、着席──。
本日の日直である天野さんの掛け声で帰りのホームルームは終わったが、僕らには残された課題がある。問題を起こした二人は睨み合いながら三木原先生の後ろを、啀み合うカップルのように手を繋いで歩いていった。
「この場合、佐竹の出番じゃないの」
僕の前の席に座る佐竹の背中をシャーペンの背で突く。
「──だよな」
その後、佐竹が壇上に上がり、席替えはしないという結論に至った。まあ、答えは既に出ているようなものだったし、再議論を重ねるまでも無い。あの殺伐とした状況で声を荒げた宇治原君の負けだ。席替えに賛同していたヤツらも、人心地無さげに眼を逸らしていた。
「じゃあ解散だな。……二人に悪気はねえと思う。普通に。女子は言いたいこともあるだろうけど、俺からキツく言っておくから、この場は俺に免じて許してやってくれ」
こういうときの佐竹義信という男の役目は偉大だ。あの場で完全に悪者だった宇治原君だけでなく、問題発言をした野口君、その両方に責任があるとして、自分が叱るという名目の下に今回の件を収めた。これは佐竹でしか成し得ない方法だろう。仮に僕がそう発言しても、説得力は皆無である。なんなら、一度閉じた蓋を開くまであるんだよなあ。
教室の隅々で女子たちの溜め息が訊こえる中、佐竹が席に戻ってきた。
「お疲れ様」
「おう、サンキュー。つかよ、どうして真は宇治原に突っかかったと思う? あそこまで言う必要無かっただろ?」
「それは僕じゃなくて野口君に訊くべき問いじゃない?」
まあ、そうだな──。
佐竹は疲労感を背中で語りながら、両手を机に立ち上がった。
「ちょっくら職員室行ってくる。先に帰ってていいぞ」
「言われなくても先に帰るよ」
「いやお前、そこはもっとこう、優しさに包もうぜ?」
「なにそれ。眼に映る全てのことはメッセージとでも言いたいの?」
──あ、ジブリか?
──ユーミンだよ。
ジブリ作品のテーマソングではあるけれど、ジブリと一括りにされるのもどうだろうか。けど、ユーミンと言えばジブリと関連付けてしまう気持ちもわかる。
「それじゃ優志、また明日な」
佐竹はすれ違うクラスメイトに軽く挨拶を交わしながら教室を出ていく。多分それも、さっきの発言の念押しだろう。後腐れ無く──なんてことはできないまでも、アフターケアだけはしておこうという佐竹の計らいに敬礼。
こうして僕の特等席は守られたのだが、それは佐竹が守ったと言っても過言じゃない。
いつまでも佐竹が守ってくれると思うな、か──これでは宇治原君の言っていた通りだ。もしも、本気でこの席を守ろうとするならば、野口君が第一声を発する前に手を挙げるべきだった。宇治原君の言葉に反対意見をぶつけて、手を繋いで職員室へ向かうのも僕じゃなければならなかっただろう。
僕は逃げたんだ。
空気に徹することを意識して過ごしていた一年前とは違う。佐竹が絡んでくれなければ、相変わらずぼっちだけれど、僕に対するクラスメイトの認識は一年前と異なっている。
逃げない自分にならなけば──。
僕はバッグからイヤホンを取り出して耳に突っ込んだ。再生する音楽は無い。周囲の声を遮断したくて付けたカナル型イヤホンは、付け慣れているはずなのに、耳の中で違和感を醸し出していた。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか? 皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し