二百六十四時限目 彼もまた男である
「そう言えばなんだけど、結局、またたび屋に出る幽霊ってなんだったのかしら?」
言わずもがなではあるけれど、幽霊という単語に対して過敏に反応していたのは天野さんだが、昨夜はゆっくり眠れたみたいで、眼の下に隈はできていない。それだけに不思議だ、という顔で僕を見た。
「なんだったんだろうね」
……としか言えない。
一日が経過した今でも、その全貌は明らかになっておらず、あれこれと予測は立ててみたけれど、それも想像の域を出ない。この旅館の謎も相俟って、より複雑になってしまった。暖簾の件もあるしな……誰かこの謎を解いて下さい、それだけが僕の望みです──と、惨劇が繰り返されるあの物語風に締めてみても、手紙を入れた瓶は持ち合わせていなかった。
「優志君がわからないならお手上げよ。あーあ、ビクビクして損した」
ぐいーっと両手を天に向けて伸びをした天野さんは、両手をゆっくりと湯の中に戻した。こんな些細な仕草にも、僕は『もしかすると見えてしまうんじゃないか?』とはらはらして気が気じゃない。そうなれば、ラッキースケベどころの騒ぎじゃないぞ。スペアボディが一つ減るまである。
「──でも、優志君ならきっと、この謎も解決しちゃうんでしょ?」
いやいや、と頭を振る。
「買い被りだよ、僕は探偵じゃないんだから」
邪な考えを振り払うかのように、一掬いのお湯で顔を洗った。ぬるっとしたお湯が頬に膜を張って、頬の張りもよくなった気がする。まあ、一度や二度の入浴で、スキンケア効果を期待しても無意味だと思うけれど、こういうのは気の持ちようである。
「そうかしら? 少なくとも、泉よりは名探偵よ」
まあ、あの子は探偵の真似ごとをしているに過ぎないけどね、と言葉を続けた。
「だけど、恋愛のことになると、優志君はてんで駄目ね──他人のことを言える義理じゃないけど」
それを言われてしまうと耳が痛い。
「二兎を追う者は一兎をも得ず、よ。天秤は絶対にどちらかにしか傾かない。それなら、私という文鎮を軽くするしかないけれど……それもなんだか、佐竹に負けるようで悔しいわ。だから──考えて」
私のこと、私たちのこと、そして、アナタのことを──。
「でも先ずは、この旅館の謎を解き明かして頂戴? 帰りの車での推理ショーを楽しみにしているわ」
そして、天野さんはまた遠くを見つめる。
「まあ、やれるだけはやってみるよ」
あまり期待はしないで、と付け加えた。
実を言うと、おおよその見当は付けてあった。あとは、パズルのピースが上手くハマってくれるかどうか──それだけだ。そのために、天野さんには一つ確認しておかなければならないことがある。
「天野さん。一つ教えて欲しいんだけど、檜風呂の暖簾って女性になってた?」
「暖簾……あ、すっかり忘れてた。それは私の仕業よ」
「え?」
「私は優志君よりも一足早く温泉に来ていたんだけど、後から優志君が来ていることに気がついて、見つからないようにしながら、優志君が到着する前に暖簾を予備の物とすり替えたのよ」
予備の暖簾はこの別館の横に立て掛けてあったわ、と続ける。
「ここの温泉って二週間に一回、男湯と女湯が入れ替わるでしょ? 二パターンの暖簾を用意してたみたいだわ」
「そんな簡単なところにあったの?」
「ええ。隠れる場所を探してるときに見つけたのよ」
それで暖簾を交換して、この状況を作り上げたのか……にしては、交換した形跡がなかったのが腑に落ちない。
「優志君は絶対に怪しむと思ったから細心の注意を払ったわ。だって、こうでもしないと一緒に温泉に入れないじゃない」
「天野さんって、結構大胆なことするんだね……」
「私だって頑是無い子どもじゃないんだから、自分の体が他人にどう見られてるかくらいわかってる」
つまるところ、それは色仕掛けということになるんだが……さすがにこういう方法は許容できない。
「天野さん。もう、こういう方法は取らないでね。答えを待たせてしまっているのは本当に申し訳ないけど、これはさすがにやり過ぎだよ?」
なるべく優しい声音を心掛けたつもりだが、天野さんは不満そうに口を尖らせた。
「ええ、わかってるわ。もう、こんな真似はしない──でも、少しくらい鼻の下を伸ばしてくれてもいいじゃない。女としての自信を無くすわよ?」
「それに関しましては、まあ、僕も男という性別を持っているわけでして……」
──興奮した?
──はい。
「素直でよろしい」
そう言って、満足そうに微笑んだ。
天野さんって、こういう一面も持っているんだなぁと、僕はしみじみ思う。でも、天野さんだって躊躇いが無かったわけじゃないだろう。下手をすれば嫌われる、そういう覚悟もあったはずだ。あまり使って欲しくない手段ではあるけれど、そうせざるを得ない状況にまで追い込んでしまたのは、他でもなく僕の責任だ。最近は月ノ宮さんがべったりくっ付いていて、まともに話す時間も無かったからな……。
「ごめん、僕、そろそろ限界みたいだ……」
「あ、そ、そうよね! わがままに付き合わせてごめんなさい……」
「いやいや、僕のほうこそ……」
五右衛門風呂から出てみると、くらりと足元がふらついた。いけないいけない、これ以上湯に浸かっていたら逆上せるところだった──いや、ちょっと逆上せてる。
僕はふらつく足で、濡れた足場に注意しながら更衣室へと戻った。
誰も来ないうちに着替えを済ませて、出会い頭に見つからないようこそこそしながら外に出た。暖簾は『女湯』に戻してある。誰も来なかったからよいものの、もし誰かが来たら大惨事だった。まるでポッシブルなミッションを終えたような高揚感……そんなものあるものか。女湯に入ってしまった罪悪感しかない。
「牛乳でも飲もうかな……いや、スポドリにしよう」
男湯の暖簾を潜って、中にある自販機に小銭を入れる。ごとん、とペットボトルのスポドリが出てきた。キンッキンに冷えてやがる──と、お決まりのフレーズを思い浮かべながら、ぱりっとキャップを取って、ぐびぐびと喉を鳴らしながら半分ほど飲み干した。
「はああ……水を得た魚の気分だ」
使いかたこそ違えど、見たままの意味ではこの表現が正しい。ぴちぴちと跳ねる元気は無いが、全身に水分が行き届くのを感じる。跳ねるで思い出したけど、五百円で購入したコイキングって、本当にステータスは優秀だったんだろうか? ギャラドスに進化させて四天王戦まで使っていたけれど、これってギャラドスが単純に強いだけだよな……? まあ、例によって、全部攻撃技しか覚えさせていなかったんだが。
ベンチに座って休憩していたら、佐竹が中に入ってきた。そろそろ起きていても不思議じゃない頃だった。佐竹は僕を探しに来た様子で、僕を視認すると「お、いたいた」と笑う。
「朝風呂か?」
「うん。佐竹も?」
そう訊ねたら、「ちげーよ」と返される。
「俺、わかったかもしんねぇ……ガチで」
「わかったって、なにが?」
「──幽霊の正体だよ」
ほう、ならば訊こうじゃないか──と、僕は耳を欹てた。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか? 皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し