二百三十九時限目 水瀬文乃は酷く天然である ①
喫茶店のドアを開いたら、かしゃりんとドアベルが鳴った。
ダンデライオンのドアベルと違い、こちらのドアベルの音は軽く、掠れているようにも聴こえる。店の出入り口は中央からやや左側に位置していて、店の作りは左右に広がる長方形。入って正面には木製のバーカウンターが堂々とした外観を誇り、回転式の背凭れの浅いパイプ椅子が一十二個並んでいた。バーカウンターの奥にある棚にはグラスや食器類の他に、色とりどりのカクテルが数種類並んでいる。見たことのある瓶もあれば、どんな味かを想像するのが怖いような色をしたものまで。
この店はどうやら、朝と夜で営業形態が変わるらしい。
朝は喫茶店で夜はBAR。比較的に駅から近いこの場所は、仕事帰りに一杯引っ掛けるのには最適なんだろう。
テーブル席は七席あり、店内入り口側には紫色のカーテンで仕切られた個室のような部屋が七部屋。個室に窓は無く、天井は吹き抜け。
この店で一番眼を引くのは、店内右奥にある螺旋階段。ぐるりぐるりと螺旋を描いて二階へと進むようだけど、昼間のこの時間は解放していないようで、銀色のポール二つに、太い銀色の鎖で塞がれていた。
私たちは入り口すぐにある三段階段を上ったところで、どうすればいいのかときょろきょろしていると、男性従業員が私たちに気がついて声をかけてくれた。喫茶店の従業員というよりも、BARの店員と呼んだほうがしっくりくるようなきっちりとした制服は、首元に黒の蝶ネクタイが結ばれている。赤じゃないのが残念だ。変声器付きの探偵アイテムではないらしい。大学生か、それとも卒業したてのフリーターだろうか? 若いお兄さんは気さくな笑顔を私に向ける。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてでしょうか?」
にこっと微笑む男性従業員さんの笑顔に若干の申し訳無さを覚えながら、「はい」とだけ答えると、男性従業員さんは「ご来店、ありがとうございます」と更に微笑んだ。耳心地のいい声だった。低くもなく、高過ぎるでもない。芯があるという表現が丁度いいかもしれない。声の仕事ができる気がする。声優とか、ラジオのDJとか。でも、声がいいからって歌が上手いわけじゃない。これが本当に不思議で、「そんなにいい声なのにどうして!?」って人をたまに見かける。つまり、音感と声は比例しないのだ。
「現在はカウンター、テーブル席、個室の中からからお選び頂けますが、ご指定はございますでしょうか?」
「個室がいいです!」
やや興奮しながら答えたマリーさんに、「かしこまりました」会釈程度に頭下げて、私たちは爽やかスマイル男性従業員さん先導のもと、一番右側の個室の前へ。従業員さんが紫色のカーテンを開くと、そこには木製の背凭れ一体型の椅子が左右に二つ、部屋の中央には長方形の長机があった。私は右側に、マリーさんは左側へと進み、私たちが座るのを見届けてから、男性従業員さんが店の説明を始める──。
要約すると、オーダーはファミレスなどと同じく、『手元にある呼び出しボタンを押して店員を呼ぶ』とのこと。夜になるとチャージが発生するらしいけど、昼間はお酒を出さないのでそれは無し。一十六時に一度店を締めてから、一十七時半にBARとして再開するらしい。「だからアルコールが載っているメニュー表が無いんですね」とマリーさんは呟いた。
説明を概ね終えた男性従業員さんは、「ごゆっくりどうぞ」とカーテンを締めて下がっていった。
喫茶店で個室か、と私は思う。
それは夜の営業に合わせた店の作りだからという理由もあるんだろうけど、あまりこういった場所に馴染みが無いので居心地が悪い。だってこの部屋、六人が座って丁度いいくらいの広さだ。そこを二人で占領しているので申し訳無さに拍車がかかる。救いがあるとするならカーテンによって外から中を覗かれないことだけど、それが返って閉鎖的で、これなら風通しのいい普通のテーブル席を選んだほうがよかったんじゃないだろうか? と、前に座っているマリーさんを窺うと、マリーさんは縮こまって顔を伏せ、テーブルの中央辺りに眼を落としていた。気まずい──という感情がひしひしと伝わってきて、私まで俯いてしまいたくなる。
私は居心地の悪さを堪えながら、メニュー表を中央に、マリーさん側に向けて開いた。
「ここは珈琲が美味しいんですよね?」
砕いた口調に敬語を混ぜて話していたけど、ようやっと敬語に統一できた。この店に入ったのが切り替えのタイミングになったんだろう。私が敬語を使う度に、マリーさんはちょっとだけ残念そうな表情を見せる。対等に扱って欲しいという気持ちはわからなくもないけど、その境地に辿り着くにはまだまだ時間が必要だ。
SNSではよく、『タメ口でいいよ』という人がいるが、私はそれを見て思うんだ。顔が窺えないネットだからこそ、相手に敬意を払う必要があるんじゃないか? と。そしてごく稀に見かける『敬語が嫌い』という人種は、敬語に親でも殺されたの? って思うくらい刺々しく反応したりするんだよね。
そういう人って、例え相手が天皇陛下でも絶対に敬語使わないでいられるのだろうか? 上司に対しても、教職員に対しても、従業員に対しては高圧的な態度を示すんだろうか? いや、これはさすがに偏見だね。
そこまで徹底して『絶対に敬語使わないマン』でいられるのなら、それを信念として生活しているのであればいい──いや、よくない。今すぐにでも悔い改めてネコと和解せよ。ネコを信じれば救われると、黒看板に黄色文字で書かれているし。
「そ、そうみたいです! 口コミに書いてありました!」
食べログに買いてありました! みたいな口振りだけど、一応、下調べはしてくれていたようで、「あと、パンケーキがふわふわみたいです」と付け加えた。
「らぶらどぉるのパンケーキと、どっちが美味しいんでしょう? あ、私はらぶらどぉるのパンケーキを食べたことないから、比較しようにもできないんですけど」
パンケーキを注文したのはレンちゃんだったからなぁ。一口貰うにしても、それはそれで乞食みたいでやめた。「一口食べる?」と訊ねられたら話は別だけど……。
「美味しいですよ! 今度、食べにきてくださいね?」
でもなぁ、と私は考えてしまう。
甘いものは好き。
然し、生クリームが大好きというわけじゃない。
らぶらどぉるのパンケーキには『これでもか!』と言わんばかりの生クリームが付いてくるのでちょっと遠慮したいなと思いながら、あははと愛想笑いだけで返す。
「半分こして食べませんか? お昼前ですから、一つだと大きいですし……」
「じゃあ、それと珈琲のセットを一つ。単品で珈琲を頼みましょう」
ポチッと呼び出しボタンを押すと、ボタンの横に付いているLEDライトが赤く光り、暫くすると消灯した。
パンケーキに付いていた生クリームは豆乳を使用したものだったようで、甘さは大分控えめだった。ほのかに香る豆の匂いもよくて、私の生クリームに対する考え方を改めるくらいには美味しかった。
ふわとろなパンケーキは口溶けよく、これなら女性でも丸々一つぺろりと平らげてしまえるだろう。
珈琲は苦味よりも酸味のほうが強くて私好みの味とは言えなかったが、パンケーキと一緒にならその酸味も爽やかに感じられた。
私の味の基準は照史さんが淹れた珈琲となっている。水準はなかなかに高いと言えよう。それでも『悪くないかもしれない』と思えるほどには美味しい珈琲だ。
……随分と偉そうだな、私。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか? 皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・現在報告無し