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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十三章 Please find me,
360/677

二百三十七時限目 覚悟はあるかと鶴賀優太郎は問う


 珍しいこともあるものだ。


 いつもなら真っ暗な鶴賀家なのに、今日はリビングの電気が灯っていて、駐車場には父さんの車があった。黒のワゴン車。どうしてワゴン車を選んだのかと父さんに訊ねたとき、父さんは「広いほうが何かと便利だろう? 荷物も沢山運べるしな」と自慢げに話していた。荷物を沢山運んだ記憶は無いんだけどな、と僕はこれまでの記憶を辿る。ああ、そう言えば一度だけ、軽井沢のキャンプ場に連れていってもらった。小学校低学年の頃だ。ジリジリと鳴く蝉の声、さらさらと囁くような木々のざわめきを思い出した。川魚を掴もうと川に入った僕が足を滑らせて全身ずぶ濡れになり、父さんは笑った。母さんには怒られた。「注意しなさいって言ったでしょ」と。蝉を捕まえて父さんに自慢したら「おお、やるじゃないか。母さんにも教えてあげよう」と、僕はその言葉を鵜呑みにして母さんの元へと向かい、きっと褒めてくれるだろうとわくわくしていたら、母さんに怒られた。「虫、苦手なのよー」と。それ以来キャンプに行かなくなったけど、これはどう考えても父さんのせいじゃないか? 川で魚を捕ろうと言い出したのも父さんだし、母さんに蝉を自慢してこいと言ったのも父さんだ。父さんは昔からイタズラが大好きで、そして、いつも笑っていた。父さんから叱られたこともない。あの頃の父さんは僕の特別な遊び相手で、今はちょっと面倒臭い父さん。優しいという印象は、今も昔も変わらない。


「ただいま」


 玄関の扉を開ける。返事は無い。テレビの音が廊下まで漏れていて、僕の声は掻き消されてしまったようだ。父さんは映画を観ているようで、ときどき爆発音が響いていた。ハリウッド映画かな? 特撮物かもしれない。アメリカヒーロー大集結のアレの可能性もある。そう言えば、キャプテン・アメリカは盾で戦うよね。盾の英雄か、成り上がるのかな? キャプテン・アメリカがこれ以上成り上がる要素は無いだろう。彼は既に英雄なんだから。


 薄暗い廊下を歩くと、フローリングの床がミシッと鳴る。築数十年だもんな、所々にガタがきていても不思議ではない。洗面台にあるガラスなんて、下部に石鹸跡が残って白くなっていたりするし、蛇口のステンレス部分もくすみがある。ごしごし擦っても取れないような、年季の入ったやつだ。研磨剤入りのスポンジで試してみようか──そう思って、去年の大掃除のときに磨いてみたところ、見事に落ちなかった。いつか必ず攻略してみせる。そう誓ってはみたが、取り敢えず未定。


 リビングの扉を開けると、父さんはビール片手にスタッフロールをぼんやり眺めていた。キッチンからは醤油が焼けるような匂いが漂ってくる。こういうのでいいんだよ、こういうので。わざわざ僕を驚かせようとしなくていいんだから、いつもこうしていて欲しい。


「ただいま、父さん。今日は早いんだね」


「おお、優志か。おかえり。お前もスタークの活躍を見るか?」


 父さんは右手を開いて僕に向けた。


「いや、僕はスタークさんよりもブルース・ウェイン派なんだ」


「高校生なのに渋いチョイスだ。悪くないぞ」


 ダークヒーローって、やっぱり格好いいもんな──父さんはそう言って、片手に持っているビールをぐぐいっと飲み干した。


「母さんにも挨拶してきなさい。きっと待ち焦がれているぞ?」


「……なにか企んでないよね」


「そんなことないぞ? ほら、早くいった」


 父さんは手元近くに置いていたリモコンを操作してトレーを開き、「よっこいしょういち」と立ち上がった。その言葉を使うような年齢じゃないのにな、どうして父さんは死語を使いたがるんだろう。その感性はよくわからないよ、まったく。


「ただいま、かあ──」


 キッチンに馬がいた。いや、正確には馬人間だ。首から下は人間で、首から上が馬。黒い鬣に茶色の肌、紛うこと無き馬人間が僕のほうを振り向いて、ひひんと鼻を鳴らす。眼はまん丸で、その表情が少しイラッとするのだけど、僕は何も見なかったことにしてキッチンを後にした。


「なん、だと……」


 ソファーの上で馬人間が胡座をかいていた。片手に空き缶を、もう片手にはリモコンを持ち、首を傾げてひひんと鳴く。その姿はまるで「お前が探しているのは、この空き缶か? それともリモコンか?」と訊ねているようだ。どっちも要らん、と僕は思う。僕が頭を振ると、馬人間はうんうん頷いて、背に隠していた人参を取り出した。三本入りのスーパーに置いてあるやつだ。それを僕に差し出して「ひひん」と鳴く。よくよく要らん、と僕は思う。だが、キッチンにいた馬人間は、その人参が欲しかったようで、僕に差し出された人参を横から奪うと、ソファーの馬人間の頬にキスをして、再びキッチンへと戻っていった。


 ──僕は、何を思えばいいんだろう。


 ──僕は、何を見せられているんだろう。


 無言で目の前にいる馬人間のマスクを引っぺがすと、父さんはイタズラっぽく笑っていた。


「驚いたか?」


「驚いたよ、あまりの下らなさにね」


 それでいいんだと、父さんはあははと笑った。


「シュール過ぎてついていけないんだけど」


「それが狙いだからなぁ」


 然し、そろそろ被り物で笑いを取るにも限界があるだろう。これまで何度も似たようなものを見せられていたら、嫌でも免疫が付いてしまうものだ。別に新境地を開拓して欲しいわけじゃない、思考を懲らせと言いたいんだ──言わないけど。


「そうだ、母さんから訊いたぞ。父さんに話したいことがあるんだって?」


「え」


 このタイミングで!?


 いや、ちゃんと話そうとは思っていたけど、こんな茶番の後で話すべき内容ではないんだけど……。だが、父さんはもう訊く気満々とした態度で、ずっしりと腰を構えている。「あとででいい?」とは、とても切り出せそうにない。普段はおちゃらけていて、僕を叱りつけるようなことをしない父さんだが、こういう真剣な場だと眼が変わる。僕は思わず生唾を呑んだ。目の前にいるのは父さんじゃなく、一家の大黒柱である父親。母さんのことが超大好きな、いつもの父さんとは別人だった。


 ──言わなきゃ、そう思うと膝が震えた。


 相手は家族だ。何も異端審問会を開いているわけじゃなし、ここまで緊張することもないはずだけど、どうにも上手く口が開かない。掌が汗ばみ、足の指は氷のように冷えている。寒いんだか、暑いんだかわからない感覚。額から流れる汗がシャツの襟に滲むのがわかった。まるで奈落の底に突き落とされたように、ぐらりと視界が歪む。


 ──でも、言わなきゃいけない。


 これまで僕がしてきたこと、それを父さんに自分の口から伝えるのが、母さんとの約束だ。


「父さん、実は──」


 振り絞った声は僕の唇を震わせて、そこから僕は何を話したのか、あまり覚えていない──。





  * * *





「そうか。よく話してくれたと思うよ」


 言ってすっきりした、というような清々しさは無い。まるで自らの罪を供述する罪人になった気分だった。然し、まだ終わっていない。罪を認めたとしても、裁判官の判決が言い渡されるまで、この異端審問は続く。


 さっきまでは夕飯を作っている物音が訊こえていたけれど、いつの間にやらその物音は訊こえなくなり、代わりに時計の秒針が刻む音、そして、エアコンが風を吐き出す音だけが部屋に響く。普段は気にもしない物音が僕を責め立てているような気がして、生きた心地がしなかった。もう、早く終わってくれ。僕は有罪で、死刑判決でも甘んじて受け入れるから──。


「いい報告、ではなかったな」


 まあ、そうだろう。『実は女装が趣味で、性別関係なく生きていきたい』と子供に言われて、喜ぶ親などいやしない。理解のある親でも、こればかりは容認できないとする方が普通だ。


「ごめんなさい」


「ふむ。それは何に対しての謝罪だ?」


「だって、〝いい報告〟じゃないから」


 父さんは鼻から大きく息を吐き出した。


「お前をそんな風に育てた覚えはない──とか、言われると思ったか?」


「え?」


「いいか優志。人間ってのは、越えてはいけない絶対的な一線ってものがある。例えば電車の黄色い線だったり、遮断機が下りた踏切だったりな? それと、考え無しに他人を傷つけるのも駄目だ。法律ってのはそれを文章化して、誰でも確認できるようにした物なんだよ。上手い具合に作られてる。問題があるとすれば抜け道があったり、文章が固過ぎて、気軽に読もうって思えないところだな。父さんはもっとフランクに読める法典をつくるべきだと思うよ。そうすれば子供だって読めるだろう? ──つまりな? その一線さえ守ってれば、優志は好きに人生を謳歌していい。女装や同性の恋愛は、万人に受け入れられるものじゃないが、その一線を越えない限り、父さんは何も言わない。そりゃ驚いたけどな? さすがに驚かないほうが無理ってもんだろう? いつか必ず、さっき、父さんが言ったように〝受け入れられない〟と、優志の存在自体を否定する声を嫌でも耳にするだろう。優志はそれでも続ける覚悟があるか?」


 ある──とは、断言できなかった。そう返事ができるほど、僕にはまだ人生経験が無い。これまで女装して、優梨と名乗り、受け入れられていたのは運がよかっただけだ。僕と似たような境遇の人たちと偶然に出会っていただけに過ぎず、批判や誹謗中傷を受けずに済んでいただけのこと。それを極運と言わずに何と呼ぶ? もし、宇治原君に優梨の正体は僕だと伝えたら、彼はきっと僕を白い目で視るだろう。


『女装がバレたら死ぬと思いなさい』


 琴美さんはあの日、玄関で僕にそう伝えてくれた。その意味は理解しているつもりだった。そう、『つもりだった』んだ。わかった振りをして、自分なら上手くやれると過信して、これまで何とかなっていたのは、周りが僕を支えてくれていたからだ。そんなことに今更気がつくなんて、僕はどうしようもなく愚かだ。


「怖くなったか?」


 父さんは僕を横に座らせると、肩に手を回して引き寄せた。久しぶりの温かさだった。ちょっと体温が高く感じるのは、アルコールのせいだろう。ビールの苦い匂いがする。


「いい報告じゃないと言ったのは、優志を脅すためだ」


「──かなり堪えたよ」


 そうだろ? と、父さんはいつも通りに笑った。


「父さんはな、優志が息子だろうが、娘になろうが一向に構わないんだ。ただ、茨の道を進む覚悟が知りたかったんだよ。まだその覚悟は備わっていないようだけど、それは残りの学校生活の中で、思う存分悩んで苦しみながら、それでも足掻いて答えを出しなさい。そして、その覚悟が決まったら、もう一度父さんに話すんだ。いいな?」


「……うん」


 ──やっぱり、父さんは優しかった。


 厳しい言葉の数々は、僕が後悔しないように気遣ってくれていたからだろう。もし、頭ごなしに否定されていたら、僕はどうなっていただろうか? それでも続ける覚悟が僕にはあっただろうか? 多分、無いだろう。父さんの答えは『保留』に近い答えだったけど、その答えを訊けただけでもよかったのかな。


 考えよう。


 もっと、自分について考えよう。


 僕が僕であり続けるために。


 あの二人を納得させられる答えを出すために──。



 

【備考】


 この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。


 今回の物語はどうだったでしょうか? 皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。


【瀬野 或からのお願い】


 この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。


【誤字報告について】


 作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。


「報告したら不快に思われるかも」


 と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。


 報告、非常に助かっております。


【改稿・修正作業について】


 メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。

 改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。



 最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。


 これからも、


【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】


 を、よろしくお願い致します。


 by 瀬野 或


【誤字報告】

・現在報告無し

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