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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二章 It'e a lie, 〜 OLD MAN,
36/677

一十六時限目 少しは人間らしく[前]


 百貨店の裏手でひっそりと営業している喫茶店、ダンデライオン。


 二棟の雑居ビルに挟まれた外観は、捕獲された宇宙人の絵のようで窮屈そうな印象を受ける。日当たりも悪く、こんな場所で洗濯物を乾かそうものなら、僕の家の倍近く時間が掛かるんじゃないか?


 エプロンや布巾はどこで乾かしてるんだろって頭上に視線を向けると、手摺りのような銀色の柵が見えた。店の壁色と合わせれば、柵と言うよりも檻みたいだ──なんて思いながらドアに手を掛けた。


 閑散とした店内に、からりんころりんと子気味よいドアベルの音が響く。


 足を踏み入れれば、珈琲と、仄かに香る甘いパンの匂い。ズンチャ、ズチャ、と裏拍を奏でるアコースティックギターが、カウンター上の天井二隅にあるBoseのスピーカーから流れている。


 陽気な音楽が耳に留まり足を止めた。


 このリズムはなんというジャンルだったかな。


 思い出せそうで出てこない。


 音楽はそれなりに自信があったんだけど……考え倦んでいると、照史さんがキッチンから、やあと軽い声で小さく手を振る。


「いらっしゃい」


「どうも……」


 気さくな笑顔が眩しくて、ついつい目を逸らしてしまった。


 商売上、笑顔は必須スキルと言える。


 笑顔と言っても種類があり、一()咲き、三分咲き、五分咲き、十分咲きを使い分けるのが基礎だって、なにかの番組にゲスト出演していたマナー講師が、どうでもいいマナーと一緒に熱弁を繰り広げていたのを覚えている。


 目上の人に日本酒を注ぐ際は、徳利(とっくり)の尖っているほうを上にして雫の形を作るとか。


 このマナー講師はマナーを弁説する前に、物の使い方を学ぶべきじゃないか? って、隣で見ていた父さんが、ビールを片手に爆笑していた。


 店内をちらりと見渡す。


 物静かな店で居心地はよし、でも、他にお客さんはやってくるのだろうか? 隠れ家としては申し分無いけど、隠れ過ぎていたら意味が無い。ダンデライオンは初見さんお断りの会員制小料理屋ではないが、まあ、うん……個人経営喫茶店の独特な近寄り難い雰囲気はある。


 マスターである月ノ宮さんのお兄さん……照史さんは、とても優しい印象を受けるので──無害そうな笑顔はある意味猛毒と言っても差し支え無い──女性人気も高そうだ。


 でもなあ……、夕方のこの時間に僕しかいないってどうなの? お世辞にも、カフェ経営が順調だとは言えない。


「好きな席へどうぞ」


 言われて、店内の奥にある四人掛けのテーブル席に座った。背後にある微妙な絵画が、なんとも言い難いオーラを放っている。


 絶妙に下手なんだよなあ……。


 漫画にはヘタウマってジャンルもあるし、お笑いだってシュール漫才が確立している。だから、この絵も角度を変えれば芸術と言えなくも……なかった。


「ご注文は?」


 ウサギ、と答えそうになるのを飲み込んだ。


「ブレンドをお願いします」


 危うく『S』を付けそうになる。


「はい。ちょっと待っててね」


 カウンター裏の棚上にある電動コーヒーミルに、珈琲豆を一匙入れてスイッチ押す。ガリガリっと豆が砕ける音が楽しい。粉状になった珈琲豆をコーヒードリッパーに移し、軽く湿らせる程度にお湯をかけて蒸らす。


 少し時間を置いたら、先端がS字にカーブしている黒色のドリップポットで、慎重に『の』を描くようにしてお湯を注いでいく。このとき、外側のフィルターにお湯が当たらないように注ぐと雑味を抑えられるんだとか。


 自宅で粉から珈琲を作る際、周りの粉にもお湯を掛けてしまいがちだが、そうすると頗るレトルトコーヒー感満載な味になるので、自宅で可能な限り美味しく珈琲を淹れたいなら、見様見真似でもいいからやってみるといい。


 注意しなければならないのは、最初にコーヒーポットを温めておくことと、淹れた珈琲を注ぐ前にカップをお湯で濯いで温めるのもお忘れなく──以上、照史さんの珈琲の淹れ方講座でした。


「お待たせしました、どうぞ」


「ありがとうございます。……いただきます」


 お礼を言って、テーブルに置かれたブレンドコーヒーを一口。苦味の後にフルーティな香りが口の中に広がるのが、ダンデライオンのコーヒーの特徴だ。


 喫茶店で飲む珈琲、というものは乙な味だ。店の雰囲気も相俟って、とても美味しく感じる。


 照明の明るさ、BGM選び、空間演出も怠らない照史さんの真摯な取り組みには感服だけど……引っかかる。


 照史さんはどうして、実家の『月ノ宮グループ』を継がなかったんだろう。


 月ノ宮グループと呼ばれる大企業で働くのは、想像以上にプレッシャーが掛かるけれど、いまにも傾きそうなこの喫茶店を営むよりは現実的だ。……まあ、照史さんには照史さんなりの考えがあってこの道を選んだんだろうし、僕がとやかく言う権利は無い。人には人の人生があるのだから。


「〝It‘e a lie〟──ハロルド・アンダーソンか」


 ずいぶんと渋い趣味だねと、照史さんはテーブルの上に置いていた本を、懐かしむように手に取った。


 読み終わった本なのに、ついついテーブルに置いてしまうのは僕の癖。待ち時間の暇を潰すには最適だろ? 決して『賢い自分』を演出しているわけじゃなくて……言い訳が苦しいな。


「知ってるんですか?」


「有名な本だよ。これは〝ハロルド史上、最も売れた駄作だ〟と言われていた作品だからね」


「駄作……?」


 厳しい評価に驚いて、オウム返ししてしまった。


「テンプレ展開の安っぽいヒューマンドラマでしたけど、そこまで悪評がつく内容じゃない気がしますが……」


「勿論、それはファンも理解してるよ」


 本の表紙を上にして僕の前に置くと、視線を本にしながら言葉を続ける。 


「ボクが言ったのは直訳で、本当の意味は〝彼の作品がもう読めなくて悔しい〟──さ。この作品を出した翌年に、癌で亡くなったからね。闘病しながら書いたこの作品は、間違いなくアンダーソン氏の最高傑作。……いい意味でも、悪い意味でもね」


 ハロルド・アンダーソンという作家は、惜しまれながら見送られたようだ。


 いまとなっては、アンダーソン氏がどんな考え方をしていたか、どんな性格だったのかを知るにはネット記事を漁るか、後世に残した作品を読むしかない。


 少しだけ、寂しい気持ちになった。


「興味があるなら、何冊か貸そうか?」


「いいんですか?」


「明日も来てくれれば……だけどね?」


 ちゃっかりしている。


 さすがは月ノ宮さんのお兄さんだな、血は争えない。


 そんな話をしていると、刻みのいい鐘の音が店内に転がり込んで、佐竹が馴れ馴れしく「どうもー」と豪快に入店した。


 おい、ここはラーメン屋でも居酒屋でもないぞ? お前は新橋のサラリーマンか! なんてツッコミはせず、静かになるのをひたすらに待つ。


「照史さん! 俺にも優志と同じのをオナシャス!」


「はい。ちょっと待っててね」


 まるで「大将! とりあえず生!」みたいだ。


 風情もあったもんじゃない。


 佐竹に掛かればお洒落な喫茶店も、大衆居酒屋と化すのだろう。照史さんの苦笑いがなんとも言えなくて、逆に恥ずかしくなる。お願いだからTPOを弁えて? 冠婚葬祭にジャージとサンダルって出で立ちで来そうだからね? ガチで。


 放課後はこの店に集まる予定だったのに、来なければならないはずの人物が、未だに顔を出していない。


「佐竹、月ノ宮さんは?」


「楓? ……そういや会わなかったな」


 連絡してみるか、とポケットから携帯端末を取り出して、慣れた手つきで電話をかけた。


 凄いな……いきなり相手に電話するとか狂気の沙汰だぞ。相手の迷惑とか御構い無しかよ。これも佐竹だからなせる技なのか、それとも、リアルが充実していれば気軽に電話もできるようになるのか?


 夏休みにはシーサイドビーチで濡れたまんま、美女たちとBBQとかしちゃうんでしょ?


 まったく、どこをステンダップさせてるのかな?


 陽キャは本当に羨まけしからん……。


 いやあ、別に羨ましくはないなあ……。



 

【備考】


 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。


 こちらの物語を読んで、もし、「続きが読みたい!」と思って頂けましたら、『ブックマーク』『感想』『評価』して頂けると、今後の活動の糧となりますので、応援して頂けるようでしたら、何卒、よろしくお願い申し上げます。


 また、誤字などを見つけて頂けた場合は『誤字報告』にて教えて頂けると助かります。確認次第、もし修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。


 今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。



by 瀬野 或



【修正報告】

・2019年1月8日……誤字報告による誤字修正。

 ありがとうございます!

・2019年2月19日……読みやすいように修正。

・2019年7月17日……本文を加筆修正。誤字修正。

・2019年11月25日……加筆修正・改稿。

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