二百三十四時限目 鶴賀優志は帰り際に何とも言えない気持ちになった
宿が決まると、そこからはトントン拍子に話が進んでいく。
宿泊予約はネットで楽々♪ 某旅行アプリの宣伝みたいな売り文句だが、今の時代は電話予約よりもネット予約のほうがいい。なぜなら特典の恩恵を受けられるからだ。〈またたび屋〉はネット値引き的な割引きシステムこそ無いが、食後に『和菓子』のサービスをしてくれるとある。和風旅館に和菓子、なかなか風情があるじゃないか。外の風景を眺めながらお茶を飲みつつ、読書を堪能する……これはいい。ただ問題なのが、佐竹も同じ部屋だということ。佐竹はきっと花より団子で、風情もへったくれもありゃしないのでは? と、先が思いやられる。
「日光にいくとなると、新幹線だよな?」
新幹線なんて何年振りだ? と、佐竹は期待と不安が合わさったような微苦笑を浮かべる。
「いえ。車でいきます。その手配も済ませていますのでご安心を」
「え? 高津さんは大丈夫なの?」
高津さんは月ノ宮家の執事であり、言わば、らぶらどぉるのローレンスさんの立ち位置にあたる人だ。そして、月ノ宮家の当主である『お父様』のドライバーを務めていたりするので、長時間拘束するのは迷惑なんじゃないだろうか? という旨を月ノ宮さんに訊ねたら、月ノ宮さんは小さく頷いた。
「当日は違う方にドライバーをお任せしましたので、ご心配無く」
「大丈夫ならいいんだけど、待ち合わせはどこへ? さすがに〝ダンデライオン待ち合わせ〟だと、優志君が大変じゃないかしら……」
そうそう。
例えば、朝の七時にダンデライオン待ち合わせにしたとする。そうなると六時の電車に乗らなければならないので、朝五時には起きなければならない。まあ、旅行なのでそれくらい早く起きるのは当然と言えばそれまでだが、ダンデライオンまでの道のりと、車で移動する道のりを考えると、僕は来た道を引き返すようになるので、あまり効率的とは言えない。
「では、私たちは東梅ノ原駅に集合して、優志さんを川越辺りで拾うのはどうでしょう? それなら問題ありませんよね?」
「うん。そのほうが助かる」
「では、優志さんは九時までに川越にいて下さい。私たちは八時半に東梅ノ原駅集合でお願いします」
* * *
それから暫くの間、珈琲を飲みながら気儘な時間を過ごしていたけど、さすがに話題も無くなって、月ノ宮さんの「今日は解散にしましょう」という一声で、本日の作戦会議はこれにて終了となった。
月ノ宮さんをダンデライオンに残して、僕ら三人は駅へと向かう。
朝は柴犬と春原さんが一緒だったんだよな──なんて思いながら歩いていると、それが妙に遠い記憶のような気がした。現実味がなかったんだ、と僕は思う。春原さんと柴犬は毎日顔を合わせる者同士だから、そこに『些細な異物』が混じったところで気にも留めないなだろう……でも、僕は違う。春原さんとは友人関係だけど、柴犬とは『知人』というのもどうだろう? と、小首を傾げてしまうような関係だ。『そこまで仲がいいってわけじゃない』と、柴犬は僕との関係をそう語っていたけれど正しくその通りであり、僕は、言ってみれば金魚のフンみたいなもので、柴犬からすると、『クソが勝手に離れた』──みたいな感じなのだろう。『クソみたいな関係だ』って言い回しは、こういうことなんだなと改めて実感する。でも、それも終わった話だ。
太陽は僕らの進行方向とは逆の位置に落ちて、影が前へ伸びている。気温も低くなり、夜の訪れが見え隠れする時間。空は水色と茜色が合わさり、ぼやけた黄土色の光が町を包んでいた。僕の地元ではこの時間になると、町の各所に配置されたスピーカーから『あかとんぼ』のメロディに合わせて、『よい子はお家に帰りましょう』の防災無線が流れる。子供の頃は『僕は悪い子だからいいんだ』と、特に悪いこともしていないのに反発していた。それが格好いいとも思っていた。でも、日曜日の朝には『戦隊ヒーローがんばれー! 仮面ライダーがんばれー!』と応援している当時の僕は『いい子のみんな』だった。反抗するのは格好いい。でも、正義のヒーローはもっと格好いい。なりきりごっこは総じて正義側で、見えない悪者たちと死闘を繰り広げるのだ。それこそ、見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる──だったのかもしれない。
数十年後、そんなジャリボーイはマサラタウンにさよならバイバイして、ある程度の自由と、ある程度の不自由を得て、ある程度の正義のヒーローであり、ある程度の悪者だった。柴犬を散々『小者』と心の中で蔑んでいたが、それじゃあ自分はどうなんだ? 今更になって、自分を棚に上げていたんだと自己嫌悪。然も、その棚にはぼた餅すらない。あるのは自尊心がたっぷり盛られた大皿と、それを彩る後悔のソース。今晩の夕飯には、それらを美味しく頂こうと僕は思いました。チャンチャン。
東梅ノ原駅のロータリーまであと少しというところで、天野さんが足を止めた。
「そういえば、佐竹はどうして遅刻したの?」
そう言えば、その理由は明かされていなかったな。むしろ、佐竹が遅刻したのもすっかり忘れていたんだけどね。ところで、佐竹って誰だっけ?
存在自体も忘れさられた佐竹義信は、「今になって訊くか? 普通」と、倒置法にすらなっていない倒置法で垂れた。文句を。
「別に無罪放免でいいんだけど、理由くらいは話しなさいよ。……寝坊したの?」
佐竹はううんと唸りながら、瞼を閉じて眉を顰める。そして、「まあ、そんなところだ」と言葉を濁した。
「〝そんなところ〟ってどんなところ?」
所ジョージがダーツを投げるように、僕は佐竹に問いかけた。「理由を訊ねているのに、それでは答えになっていないよね?」と、続けて追い打ちをかける。
「圧がすげぇなお前ら……寝坊だよ寝坊! 宿を調べるついでに色々調べてたら、いつの間にか三時になってたんだよ! ──これでいいか?」
「佐竹が調べもの……妙だな」
「勘の鋭いガキは嫌いだよ!?」
天野さんは早々に興味を失ったようで、「はいはい、わかったわかった」と呆れ顔で適当に返事を返す。
「つまり──アンタは優志君と同室だから、気分が舞い上がって眠れなかったんでしょう?」
「ちげーよ! ……おい優志、違うからな!? 普通に、ガチで!」
夜、特に寝る前は気をつけよう──そう思った。
それから僕らは、各々電車に乗って別れた。
後ろに流れていく景色を電車の窓から眺めていたら、パチンコ店の看板に明かりが灯っていて、それでようやく夜になったんだと実感した。
旅行か──。
家族旅行で日光に行った。小学六年生の修学旅行でも日光に行った。
いざ、再びの日光。
友人たちと視る華厳の滝は僕の眼にどう映るんだろうとか、旅館に出る幽霊は異次元に引き込む系なのかとか、卓球台や、いつまでも取られることのない景品が詰まっているクレーンゲームはあるのかとか──そんなことを考えている僕は、この旅行にわくわくしているのかもしれないと気恥ずかしい気持ちになった。……でも、日光へ向かう前に片付けて起きたいことがある。それは、宛名が記されていない手紙と、何やら訳ありのような態度だった流星の動向だ。流星はきっと、あの手紙の差出人を知っているのかもしれないと僕は睨んでいる。だが、あれから連絡が途絶えているので、問い詰めるにも問い詰められない。
ならば、現地に赴くしかない──。
早急に決めなければならないことは決めた。休みはあと二日残っている。休み開けの短縮授業日が三日ほどあって、それが終われば春休みに入って日光へ出発だ。問題を解決するならば、短縮授業が始まる前の残り二日の休みしかない。当然、名無しさん本人の希望である『探さないで欲しい』を尊重するなら、僕はあの手紙を見なかったことにして、春休みまでのんびり過ごせるのだけれど、僕は現在『わたし、気になります!』状態だ。祖父の過去に何が起きたのか気になっている千反田さんよろしくな僕には、あの手紙を無かったことにするなんてできない。
僕はあの手紙を頭の中で再現してみる。
あの文面から受ける印象は、少なからず僕よりも年上だということ。そして、対話が苦手で、趣味はインドア系。僕のように読書が好きなのかもしれない。それも、文豪たちの作品が好き。年上ではあるけれど、多分、まだ高校生だ。大人の女性が恋文を書くというのはどうもしっくりこない。いや、それもなかなか乙であるとも言えるけれど、だったら、学校の下駄箱に投函するという手法を選ぶだろうか?
「下駄箱に投函……?」
周囲を気にしながら小声で口に出してると、どうにも違和感を感じる。
らぶらどぉるにいる誰か、と目星を付けていた。僕の下駄箱の場所を知る人物だとも思っていた。流星の動向がどうもあやしいと思っている。彼は戸籍上ではまだ女性であり、仕事こそメイドをしているけれど、本来はコミュニケーションが苦手だ。口では僕に興味は無いとしているけれど、僕の悩みを解決しようと動いてくれたり、その逆も然り──なんだこれは。まるで『風吹けば名無し』の正体が流星だと言わんばかりに、ピースがどんどんはまっていく。
いやいやでも、と僕は結論を踏み止まった。
あの文面を流星が書けるとは思えない。さすがに『殺すぞ』なんて書かないだろうけど──それを書いたらラブレターじゃなくて脅迫状だ──お洒落で可愛い和紙を選んで、筆ペンを巧みに扱うのも想像し難い。そこまで彼が乙女チック趣味じゃないことは、クラスの中で僕が一番理解していると言っても過言じゃないくらいには、彼のことを知っている。そうなると、考えられるのはらぶらどぉるに関係している誰かになる。やはり、それは確定だろう。これまで何度か考えたけれど、答えは毎回そこに辿り着く。
らぶらどぉるのメイドと言っても、その人数までは把握していないし、僕の知らないところで僕の噂が飛び回っている可能性も大いにあり得る。それで興味を持ったのだろうか? いや、あの手紙には『あの日、あの時、あの場所で』と書いてあったし、『一目惚れ』ともあった。だから、僕と差出人には少なからず接点がある──どこだ? 僕は名無しさんと出会ったんだろう。
電車を下りて、階段を上る。改札にピッとしてから階段を下る。
上に行ったり下に行ったり忙しいな、と思う。
人生は山あり谷あり、とも思った。
僕の山の斜面はコンクリートの階段で、山を上るという感覚は無い。どちらかと言えば『山を張る人生』と、喩えたほうが適しているかもしない。多分、それはテスト勉強だったり、明日の天気だったりして、おおよその検討を立ててから動く傾向がある。行き当たりばったりのランダム要素も嫌いじゃないが、ソシャゲのガチャは嫌いだ。大好きだけど大嫌いだ。嫌いだ全部好きなのにぃ〜うぅ〜いえへぇ。これはバンプのプレゼント。今回の手紙の件の考察は、僕の生きかたの全てだとも言え……さすがにそれは言い過ぎか。だけど、僕らしさは出ていると思う。悪い意味で。
コンビニ前にあるバス停には、もう十数人が並んでいた。大学生、サラリーマン、おとなのおねえさん、おじさん、おばさん。もう『オバタリアン』という言葉は死語であり、それは『ナウい』『ヤング』『チョベリバ』と並ぶ。僕は毎度、佐竹を視て『ナウいヤングでチョベリバな語彙力だ』と思うけれど、佐竹は『マジMK5だわ』とは言わない。因みに〈MK5〉とは『マジキレる五秒前』の頭文字を組み合わせた言葉らしいんだけど、頭に『マジ』をつけたら『マジマジキレる五秒前』となり、それは子供がつける必殺技代表名の『超スーパーウルトラ』に似たものを感じる。フルネームだと『超スーパーウルトラレジェンドファイナルスーパーアタック』。相手は死ぬ。
どうして超を含む『スーパー』が三回も登場するのか、申し訳程度に添えられた『レジェンド』に、どんな秘密が込められているのかは定かではないけれど、この技はたしか、自分がピンチのときに使える超必殺奥義だった。……子供の頃のピンチなんて高が知れているのに、相手を殺すほどの殺意を飛ばすとはこれ如何に。
ふしゅーっとバスが停まって、『ステップに注意』のアナウンスが流れた。このステップとは階段という意味で、タンゴやラテンの意味じゃないけれど、僕はサンバのリズムでバスの中へと進んでいく、ちょっとセクシーな衣装を身につけたサンバ隊を想像してしまった。これはとてもさなきだにシュールな絵だが、浅草サンバカーニバルの舞台裏は、もしかするとこんな感じかもしれない。
ぴーっという電子音のあとに扉が閉まり、『ご乗車ありがとうございます』のアナウンス。僕は心の中で『どういたしいまして』と返事をして、すっかり暗くなった窓の外を眺めながら、下りるバス停までの時間を潰した。
【備考】
誤字や脱字に気がついた方は、誤字報告で教えて頂けると助かります。お手数ではございますが、宜しくお願い致します。
【誤字報告】
・2021年2月19日……誤字報告による指摘箇所の修正。
報告ありがとうございます!