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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十二章 Wonder for get,
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二百一十一時限目 危機一髪はオカルト風味


 着替えを済ませてから事務所に来てくれ、とエリスから鍵を渡された。その鍵を失くさないように握り締めて、二階に通じる階段を上る。


 ホールから漏れる音楽が、壁を伝ってずんずんと響く。


 らぶらどぉるの内装は洋館に近いので、店内に流れているBGMはクラシックだけれど、若干ポップにアレンジされている物を使用しているせいか、時折、重低音が天井にある照明や窓を揺らせた。そのせいか、誰もいない二階は、なかなかに不気味で薄気味悪い。肌寒い空気に当てられて腕を摩りながら、二階奥にある衣装部屋を目指した。


 湿気た匂いが鼻を衝く廊下を進み、衣装部屋の鍵穴に鍵を差し込む。がちゃり、という子気味いい音。ドアノブに手をかけてドアを開けると、部屋の隅に私の服が置いてあるのが視えた。その姿はどこか遠慮がちに映る。自分の部屋だったらこうはならない。女性服は皺になると厄介なのでハンガーに掛けるけれど、紳士服、特にパーカー類だったら適当に椅子の背凭れにかけて、思い立ったら片付ける程度。


 女性服の扱いにはかなり慎重になる。だって、両親に見つかってしまったら大惨事だ。『女装する事は罪』とまでは言わないけれど、堂々としていられる趣味ではないもので、厳重に管理する必要があった。なので、この衣装部屋の片隅にぽつんと置かれた服が、どうして居心地悪そうに視えてしまったのだ。


 私が着替えをしている間、エリスはローレンスさんとカトリーヌさんを交えた三人で、どんな話しているのだろうか。ここから耳を澄ませた所で会話が訊こえるはずもない。さっさと着替えを済ませて事務所に戻ろう──そう思った時、私の後方にある衣装部屋のドアを誰かが叩いた。


「失礼しまーす……って、誰もいるはずないかぁ」


 緊張感の無い間延びした声。


 ノックの主は女性。だが然し私は今、ほぼ裸に誓い格好をしている。


 これはまずいぞ、と声を出そうとしたのだが時既に遅し。


 私が「あ」と発声すると同時にドアが開いた。


「あれ? 鍵開いてる? 不用心だ、な──」


「……」


 刹那、私は脳をフル回転させた。


 人間の思考回路は大きく分けて〈理解可能〉か〈理解不可〉の二種。UMA、UFO、宇宙人、怪異、それらは〈理解不能〉という分類にあたる。


 某大学の教授によると、それらは全て科学的に証明できるので、『インチキ』に該当するらしい。……とは言えど、科学で証明できるという事を『理解している』ので、教授は〈理解可能〉の分類になるのだろう。


 一方で、そういう超常的な現象を肯定する者達は、どうして未確認な存在がこの世界に存在しているのかがわからない。……理屈ではない、と彼らは言うだろう。けれどそれは思考を放棄している他になく、彼らの分類は〈理解不能〉にあたる。


 とどのつまり、オカルト否定派はその現象について一定の理解を示している事に対して、オカルト肯定派は『ただただ未知の存在』であると、この世界に存在を信じてはいるが、〈理解不能〉としているのだ。


 こうして考察してみると、よくよく皮肉なもので、年に一度くらいの周期で討論会がテレビで放送されるが、一向に話が纏まらないのはこれが原因なんじゃないの? と、私は常々思うのだが──こんな話、今は(すこぶ)る関係無い。


 これから起こるべき問題に無策で対応しなければならない。私は観念の臍を固める。これこそ、大した装備もせずに戦場に降り立ったイーノックと同義であり、さすがの神も『ここで死ぬ』と諦める案件。


 絶体絶命、黒ひげならぬ、私、危機一髪。


「ごごごごご……」


 地響きか、それともジョジの擬音か、それを口走りながら、あわあわと忙しなく両手を前に振るい、「ごめんなさい!」と大声で謝罪を述べてからドアを力一杯閉めた。


 この部屋に残ったのは、嵐が過ぎ去った後の静けさだけ。失うものなんて何も無いのに、私は何か、大切なものを失ったかのような喪失感に包まれて、虚無の果てに置いてけぼりをくらったような、やり場のない虚しさに打ち拉がれた……。


「惨めだ……」


 鍵を締めていれば、こんな惨事は起きなかっただろう。不幸中の幸いだったのが、後ろ姿しか視認されなかった事だ。彼女はきっと私を女性だと思ったに違いない。……だったらどうして退出したんだろうか? 同じ女性だと思ったならば、あそこまで慌てる事もなかったろうに。まあ、見慣れない後ろ姿だったから気が動転したのかも知れないし、何食わぬ顔で入って来られても、それはそれで彼女の神経を疑ってしまう。(いずれ)にせよ、後で謝っておかなきゃ。





 着替えを終えて、メイド服を片腕にかけドアを開けると、正面に、俯きながら両手を前に、壁に背中を預けている女の子がいた。さっきの『ゴゴゴ女子』に違いない。背は私よりあり、ショートボブの影響もあってか、おっとりとした印象を受ける。手綱を握るかのようにして持っているバッグは、若者、特に大学生を中心に流行っているメーカーの物だ。柿色のコートに合わせているのは、膝下丈のボトムスカート。その姿はどこかアーティスティックで、ベレー帽でも被っていれば漫画家、イラストレーターと言われても疑わない。……固定概念が過ぎる。


「お、お着替えを覗くような真似をしてすみませんでした……」


 私が部屋から出てくると、彼女は深々と頭を下げる。それ以上頭を下げたら地面に頭をぶつけてしまうくらいのたたみ具合で、折り畳み式携帯端末を彷彿とさせる。着メロは自作。


「いえ! 私が鍵を掛けなかったのが悪いんです。不用心でした、ごめんなさい!」


 負けずと私も頭を下げると、彼女は「いえいえ、私の方が」と、戻した頭をまた深く下げた。


 ……なんだこの、どれだけ頭を下げられるかを競うような、お辞儀競争のような構図は。


「と、所で……新人さん、ですか?」


「あ、えっと……そういうわけじゃないんですけど、紆余曲折あってメイド服を貸して貰った、とでも言いましょうか……」


「そうなんですか?」


「そうなんです……」


 彼女は私に対して思案投げ首としている。無理もない。新人でもないのにメイド服を着る用事なんて、メイド服を貸し出すサービスでもなければ有り得ないのだから。


「あ! すみません! あまり時間が無いのでそこを通して貰ってもよろしいでしょうか!」


「どうぞ! 邪魔してすみません」


「ありがとうございます! 失礼します!」


 何をそんなに焦っているのだろう? 私は閉まったドアを凝視しながら少し考えてみる。


 この部屋にあるのは予備のメイド服や、テーブルクロスなどの布類だ。自分の制服は更衣室のロッカーで管理しているか、持ち帰って手入れをするかの二つ。


 彼女の服装は柿色のコートにボトムスカート。他にはどうだったかと時間を巻き戻しながら、ニーソックスと革靴を履いていたのを思い出した。


 ああ、なるほど。そういう事だったか。


 恐らく彼女は、何らかの理由によって支給されたメイド服が着られなくなり、この部屋にある予備を借りようとしたのだろう。焦っていた理由は出勤時間が差し迫っていたからに他ならない。だから、私が部屋から出てくるまでの間、この冷たい廊下で待機していたのだ。


 つまり、そろそろ早番と遅番が入れ替わる時間になったという事であり、私がメイド服でホールに出ていた時、それだけの時間が経過していたのだ。一瞬だと錯覚したのは、あの衣装でホールに出る緊張から、時間の感覚が麻痺していたせいだろう。じっちゃんの名にかけて真実はいつもバーロー。あの漫画においての空手は最強。


 納得する答えを導き出せたので、私は事務所に戻るべく方向転換すると、タイミング悪く衣装部屋のドア開いた。


 中から出てきた先程の女性は、新品のメイド服を身に纏っていな。片腕にはさっきまで着ていた服が、力なく項垂れている。……当然、眼が合う。


『どうしてまだここにいるんですか?』


 みたいな眼が私の心を酷く掻き乱して、「あー、あー」と口ごもってしまった。カオナシかよ。


「えっとぉ……、あ! 衣装部屋に忘れ物ですか?」


「え? あ、はい!」


 咄嗟に嘘を()いてしまったけれど、不自然さを隠すには彼女の勘違いに乗っかるしかなかった。


「特にそれらしい物は見当たらなかったですけど、見つかるといいですね! 頑張ってください!」


 謎のエールまで頂いてしまった私は、曰く言い難い感情に囚われる。


「では、失礼します!」


 またまた深々と頭を下げて、彼女は階段を小走りで、どたどた踏み鳴らしながら下りていった。


「……私も行こう」


 無駄に神経をすり減らした気がするが、思い返してみると、この一年、こんな事ばかりだ。


「退屈しなくていいけど、……疲れるなぁ」


 どこかから隙間風が吹き抜けて、私の体を撫でていった──。



 

【備考】

 応援して頂けるのであれば、ブックマークなどをして下さると嬉しいです。


【誤字報告】

・2021年2月19日……誤字報告による指摘箇所の修正。

 報告ありがとうございます!

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