二百一時限目 鶴賀優志は度肝を抜かす
ローレンスさんの表情を窺い知る限り、状況が悪化したと言うよりも、『新たに問題が発生した』という表現が正しいかもしれない。
「それで、……どんな問題が発生したんですか?」
僕のような部外者に、店の内部事情を事細かく洩らしていいのだろうか? と質問するのを躊躇ったけれど、答えるのは僕ではなくて、この店の責任者であるローレンスさんだ。器量が下がるような問題であれば、そもそも僕を呼んだりしないだろう。つまり、この質問だけを言うのなら、『店に取って損失となる』程でもないはずだ──僕がこれを口外しなければ、だけど。
「そう、ですね。──鶴賀様。いや、今日は〝鶴賀君〟と呼ばせて頂きますね」
はい、とだけ返した。
「以前、当店の人気ナンバーワンだったメイドが一身上の都合で辞めました。それが売り上げに多大な影響を与える事態になりまして、エリスをホールに回したのです」
ここまではご存知ですよね? と、ローレンスさんは僕に訊ねる。
「はい。それで問題は解決した──と、思ってましたけど」
それに対し、ローレンスさんは満足そうに頷いてから、一呼吸置いて話を続けた。
「エリスをホールに回してから、エリスの働きも相俟って、売り上げも徐々にですが回復してきました。エリスをここまで仕上げたのは、鶴賀君在ってと言っても過言ではありません。当時は大変お世話になりました」
改めてお礼を言われるのも気恥かしいが、今でも僕は、流星にした事が正しかったのかわからない。
いい傾向にあると、言えるには言えるんだ。
……けれど、それが流星の望む姿なのか? と問われたら、曰く言い難しである。
「エリスの功績はある種の才能とでも言いましょうか……あの子はまだメイドとしての接客に慣れておらず、言葉遣いも荒くなる事もしばしば。それがお客様の興味を引いたというのもあるのですが──私の予想に反してお客様の反応もさることながら、彼女は私の予想を凌駕しましてね」
この職場に置いての流星の立場は『彼女』と呼ばれる存在なんだ。
流星だってそれを甘んじて受け入れているのだし、今更ローレンスさんに噛み付いても無意味だろう。でも、何だかもやもやしてしまって落ち着かないな。
「うちのスタッフも心構えが浅かった──としか言えないのですが」
ちょっとずつではあるけれど、話が概要が視えてきた。
スポーツ漫画で喩えると、今まで活躍していた主人公が不調になり、試合も由々しき事態に陥って絶体絶命のピンチを迎えた。そんな時、今まで大した活躍もしていなかった友人が、努力に努力を重ねてきた成果を発揮して一発逆転を迎える、的な流れなのだろう。この喩えで言う所の主人公は、らぶらどぉるの人気ナンバーワンの人。そして、友人ポジションは流星になる。
自分で妄想しておいてアレだけど、めちゃくちゃ熱い展開だなぁ、尊い。
いかんいかん、ローレンスさんの話に集中しなければ……。
「新たに増えたお客様に対して充分なサービスを提供する事が難しくなってきたのです。これはとても……ええ、もう既にお察しかとは思いますが、人員補充を余儀なくされました」
嬉しい話ではあるのですがね、と苦笑いを浮かべながらも、節々に疲労の色が窺えるのは、ローレンスさんが休み無く働いている証拠だ。『嬉しい悲鳴』になるのだろうけどそれはそれで、疑問は幾つかある。
「ざっくりとは理解したんですけど、……こう言っては難ですが、それと僕に何の関係があるんですか? 人員補充をするなら、募集をかければ……」
「ごもっともです。もちろん募集はしています──が、なかなか条件に見合う人が見つからず……、そこで思い出したのが鶴賀君、アナタなんですよ」
えぇ……、思い出さなくていいよ……エリスの友人くらいに留めておいて欲しかったものだ。
次第に熱を上げるローレンスさんを視ていると、この仕事に情熱を持っているのは伝わってきた。でも、それだけで『この店で働きます』とはならない。やってみたら案外面白いのかもしれないけど、僕は流星のように切羽詰まるような状態ではない。お金に困っていたら『お願いします』と頭を下げるのも吝かではないんだけどなぁ……、期待には答えられそうにない。
「鶴賀君は〝オトコノコ〟というものをご存知ですか? 男性の〝男〟に〝娘〟と書いて、〝男の娘〟と呼びます。その素質を、鶴賀君。アナタは充分に満たしている!」
次代のスターはキミだ! のように、声を大にして言われてもなぁ。
「ええっと……、仮にそうだとして、メイド喫茶に〝男の娘〟は需要あるんですか? すみません、僕は人生経験が浅くて、しかもこの業界に関してほぼ無知な状態なので……」
「鶴賀君は礼儀もしっかりしていますね、素晴らしいです」
これはこれは、ローレンス殿にお褒め頂けるとは恐悦至極──と、内心で『貴族に平伏す平民』を演じながら、「ありがとうございます」とだけ返した。
「需要はあります。まあ、〝確証がある〟とは言い難いのですが、近年、〝男の娘メイド喫茶〟の店舗は増加しつつあります。もちろん〝男装喫茶〟も然り」
それなら、この店で執事役をしている彼らをもっとプッシュしてあげればいいのでは? なんて思ったけれど、一般市民の僕が思う事なんて、ローレンスさんが気づかないわけがないか。これは胸に留めておこう。
「うちの店は見ての通り少々特殊でして──と、その前に少し休憩を挟みましょうか。お腹は空いてませんか? ここは私が奢らせて頂きますよ。さあ、御遠慮なく」
ローレンスさんが手を二回叩くと、事務所側のドアが開き、中から眉目麗しい、ショートヘアのキャリアウーマン風の女性が、『私は秘書です』と言わんばかりのオーラを纏い、両手で抱えるようにメニュー表を持って現れた。
黒縁眼鏡をかけていて、左眼に泣黒子とは、なかなかに戦闘力が高そうだ。スカウターがパリンするまである。戦闘力は五十二万だろう──計測できている時点でスカウターはパリンしていない。
「紹介します。妻のカトリーヌです」
「え、外国の方ですか!?」
どう視ても日本人だが、アジア圏内在住の方だと言われたら……それでも『カトリーヌ』はないか。
カトリーヌという名前は、ローレンスさんと同じく源氏名だろう。
そんな僕の反応を視て、カトリーヌと呼ばれた女性は恥ずかしそうに頬を染めるも、コホンと咳払いをしてから直ぐに表情を戻した。
「ローレンス様。勘違いされるような紹介はやめて下さいと、あれ程申し上げたのですが……メイド長の香取陽佳です」
香取陽佳、それ故に〈カトリーヌ〉か──少々安直過ぎやしませんかねぇ? ……それよりも、この店が夫婦経営だったという事の方が驚きが大きい。
香取さんも苦労しているんだなぁ。
名付けたのは絶対にローレンスさんだ。間違いなく、そう断言できる。
「香取って事は、ローレンスさんの本名は……」
「私の名前はローレンス、ですよ? 鶴賀君」
そこは譲らないんですね……。
役を演じきっているというのはさすがだけど、後ろに立っている奥さんは頭が痛そうに眉間に皺を寄せていますけど? ……この夫婦、本当に大丈夫なのかなぁなんて、要らぬ心配までしてしまう。
「鶴賀さん、好きな物を選んで下さい」
カトリーヌさんこと、香取さんはメニュー表を僕の前に寄越した。
メイド喫茶でスーツというのはメイド長としてどうなのかと思う反面、大人の魅力を発揮させるのもまたスーツなのだと改めて感じる。
然し、好きな物を選べと言われても、ねぇ……。
「実はここに来る前にうどんを食べてきたので、そこまでお腹が空いているわけじゃないんです……なので、ホットコーヒーをお願いします。ブラックで」
「そこのマシンではなくて、店で出している珈琲を頼むよ。三杯分ね」
「三杯?」
僕が首を傾げていると、
「一杯は彼女にですよ」
何だかんだ言っても、この二人の仲はいいみたいだ。
奥さんであるカトリーヌさんは公私混同をしないらしく、この場では『ローレンス様』と呼んでいるし、若干砕けてはいるものの、敬語も外さない。
……こういうのでいいんだよ、こういうので。
暴走機関車のようなカップルでもなければ、やる気無さそうな教師でもなく、勤勉で真面目な社会人。
ローレンスさんは兎も角、カトリーヌさんは『子供が描いた理想の大人』に近い人物だ。取っ付き難そうではあるけれど、それもまた大人足らしめている。
よろしく──と、カトリーヌさんを見送ってから小鼻を膨らませて、
「私の奥さんは綺麗でしょう?」
「あ、はい。そうですね、とても綺麗です」
僕の感情はどこにいった──?
惚気なら後でして欲しいものだが、確かにカトリーヌさんは綺麗なので、僕は有り体に答えた。
その答えに満足したのかうんうんと激しく頷く。そして、姿勢を前に倒し、両肘をテーブルに乗せて杖替わりに顎を乗せると静かに微笑みを湛えた。
「実は彼女、男の娘なんです」
「……はい?」
それはあまりに衝撃的で、『事実は小説よりも奇なり』と言うけれど、『これは何の因果だ?』と思わざるを得ない。
これだから本当に、……人生というのは何が起きるかわからないんだ。
嗚呼、素晴らしきかな我が人生。
僕の中で、性別という概念が崩壊しつつあった。
僕の中で『性別革命』が勃発してから数分が経ち、ローレンスさんの性格も掴み始めた頃、湯気が立つ珈琲が三つ乗せられたステンレス製の丸いトレーを右の掌で器用に持ちながらカトリーヌさんが戻ってきた。
「ありがとう、カトリーヌ」
「いえ。鶴賀さんもどうぞ」
ありがとうございますと一礼してから受け取り、二、三口付けてからカップを置いた。
この店のホットコーヒーはダンデライオンと味が違う。
使っている豆が違うと、こうも味が変わるものなんだな。
いやぁ、珈琲って深いなぁ! と関心しながらも、ちょっとこの珈琲は酸味が強くて好みではない。……最後まで飲み終えるかどうか。
ダンデライオンの珈琲は酸味が弱くて苦味が強い。けれど、スッキリとした後味が後を引く。
この店の珈琲は酸味が強くて苦味が薄い。
酸味が強いのは〈キリマンジャロ〉の特徴だけど、キリマンジャロは酸味だけでなく、〈コク〉も深い珈琲だ。然し、この珈琲を『コクが深いか?』と言われると、それもどうなんだろう? と傾げてしまう。
僕の舌は全ての珈琲の味を把握しているわけじゃないので、もしかするとコクがあるのかもしれないが、その境地まで達していないので、美味しさを感じられないのが悲しい。
「素直な感想を言ってくれていいですよ、鶴賀君。この珈琲の味はどうでしょうか?」
「美味しい……と、思います。僕にはまだ早かっただけで」
鶴賀君はオブラートに包むのが上手なようだと笑いながら、隣に座ったカトリーヌさんの肩を叩く。
「もう少し練習が必要のようだね」
「……申し訳御座いません。直ぐに別の物を」
そう言って立ち上がろうとするカトリーヌさんを、ローレンスさんは制止した。
「いやいや、いいんだよ。君はそのままで。誰にでも得手不得手はあるものさ」
僕は何を視せられているのだろう……。
イチャイチャするなら帰っていいかなぁと思い始めた矢先、「では、このまま話を進めようか」と、ローレンスさんは隣にいるカトリーヌさんと僕を交互に見て、無言を同意と受け取り開口する。
「先も言ったけれど、彼女は男の娘なんです」
カトリーヌさんはげほげほと噎せながら、珈琲を零さないように、そっとテーブルに置いた。
「ローレンス様、今、何と仰いましたか……?」
「いや、すまないねカトリーヌ。時間も迫っているから話を潤滑に進めるために、キミの事情を彼に伝えさせて貰ったよ」
「──後で覚えておいて下さい。今日は枕を高くして眠れませんからね」
ギロりと睨むカトリーヌさんを一笑して、ローレンスは話を続ける。
「私はね、鶴賀君。キミの内側に眠るお姫様を垣間見たんですよ。あの日、鶴賀君と出会った時に……」
その言い方は語弊があるのでやめて欲しいのだけれど、カトリーヌさんはさして気にしない様子で、涼しい顔をしながら珈琲を飲んでいる。
「本当は鶴賀君も興味があるのでは? ──と思ったのですが、どうでしょう? ここだけの話に留めますので、本音をお訊かせ願えませんか? この店で働く働かないは別として、です」
本音も何も、僕は既に〈優梨〉としての存在を認識して受け入れているんだけどなぁ──どう答えればいいのだろうか? ローレンスさんは『本音で語れ』と言っているけど、僕の事情を、ほぼ初対面の相手に伝えていいものか……。
ローレンスさんの奥さんであるカトリーヌさんは男の娘だ──この年齢で『こ』っていう表現が正しいのかわからないけれど、まあ、年齢などは差っ引くとして、その容姿は綺麗という他にない。
そのカトリーヌさんを『奥さん』としているだけあり、こういった事情には深く精通しているだろう。偏見も無さそうだが、それとこれとは話が別で、相手が理解を示していても、両手放しで「実は僕、両性なんです」と語るには勇気がいる。
逃げるのも勇気と言うし、ここはのらりくらりと言を左右させながら、端倪すべからざる状況を回避するべく口を開こうとした。
その時──
「ローレンス様。彼はおそらく、既に経験有りのようです」
カトリーヌさんは僕の思考を読んだかのように、ずばりと言い当てた。
【備考】
この度は『女性男子のインビジブルな恋愛事情。』を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし、当作品を読んで、「続きを読んでみたい」「面白かった」と思って頂けましたら、〈ブックマーク〉をよろしくお願いします。また、〈感想〉はお気軽にご記入下さい。
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これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
〔修正報告〕
・2019年6月26日……カトリーヌさんの名前を修正。(春香→陽佳)
・2019年6月27日……誤字報告による修正。
(反映していない部分も数ヶ所ありますが、あえてそういう風に書いている部分もあるので、お気持ちだけ有り難く頂戴します)