一十四時限目 迷探偵とワトソン君の真実[後]
私が恋愛に憧れを抱いたように、泉も恋愛に憧れていたのかな。
そんな素振りを少しも感じなかったのは、いつも変なテンションだから? もし、あのテンションが『本来の自分を隠す為』だとしたら、私は泉のなにを知ってるんだろう──でも、人間の本質なんてそう易々わかるはずがない。
他者を理解するには他者の心に踏み込むことになり、それが『いいこと』とは一概に言えない。だれにだって隠したい秘密の一つや二つある……私だってそうだから。
自分が『同性を恋愛対象にしている』なんてだれにでも気軽に打ち明けられることじゃないし、それを他者に気づかれたくない気持ちは大きい。そう考えると、鶴賀君が心を開かないのは秘密主義だから? なんて、少し大袈裟かもしれないけど、きっと私のように知られたくない秘密があるのかなって思った。
あの二人が難攻不落だと思われていた鶴賀君の城壁を陥落できたのは、鶴賀君の本質に触れたから──。
怖くなかったのかな……。
私は、ちょっと怖い。
秘密を知られてしまったら、正気を保てるか不安だ。なんだか嫌な気持ち。ユウちゃんに会えたらこの鬱屈も晴れるかな──そう思って鞄から取り出した携帯端末にはアプリの通知が何件か入っていたけど、画面を開くことなく鞄に戻した。
ユウちゃんを心の支えにしちゃ駄目だと自分を戒める。
これは現実逃避に他ならない。
大人しく参考書でも読みながら泉を待とう。
結果がどうであれ、泉が振り絞った勇気を讃えてあげたいから。そして、彼女がどういう気持ちで大岩先輩と向き合ったのかを訊いてみたい。そのときは、私も包み隠さずに伝えてみよう。例えそれで泉との関係が壊れてしまったとしても、私が一歩だけ泉に近づけたという事実には違いないのだから。
* * *
夕暮れ色に染まる教室。
黒板の白く滲む拭き跡がノスタルジックに感じる。片付けを始めている運動部員の笑い声が開け放たれた窓から漏れて、感傷的な気分になった。茜色の空を眺めて、こういう時間も悪くないかも──なんて思っていると、ガラガラと音を立てて上座のドアが開いた。
「泉……」
目が合うと、彼女はにへらと笑った。
そして、演技っぽく大袈裟に振る舞う。
「おお、本当に残ってた。先に帰ってもよかったのだぜ?」
それは、真実を隠したいという感情から生まれた自己防衛の壁。その壁を乗り越えなければ、いつまでも真実には辿り着けない。
なんとなく、なんて曖昧ではいけないんだ。泉がいつも確信に迫るように、はっきりと断言するべきと、足を一歩前に踏み込む。
「大岩先輩に告白したのね」
「ははは。なにをいきなり言い出すのかと思えば、これは傑作。小説家にでもなってみてはどうかね?」
冗談めかして浮かべる笑顔も、わざとらしい口調も、今の泉には私を心配させまいという精一杯の誠意だったのかもしれない。だけど、私が知りたかったのは本当の泉だから、敢えてその誠意を無視した。
「告白、したんでしょう」
「いやあ……その、振られてしまいましたー」
「そっか」
「そんな顔しないでよ。別に気にしてないからさ? ダメで元々、当たって砕けろ! だったし」
泉の笑顔が徐々に崩れていく──。
「最初からわかってた結果だからダメージも軽いというか、えっと……」
取り繕った言葉も、掻き消えてしまいそうな程に小さかった。
「もう、そうやって誤魔化さなくてもいいのよ」
私は泉の身体を引き寄せて、力一杯抱き締めた。そうしたい、そう思った。多分、泉の泣き顔を真正面から受け止める勇気がなくて、大胆な行動に出たのかも知れない。
「優しくされたら泣くよ……?」
「泣けばいいいじゃん。泉はいつも無理して笑ってるんだから、今日くらい泣きなよ」
「恋ちゃんイケメンかよ。……あたし、振られちゃった」
「うん、苦しいよね」
いまにも膝から崩れてしまいそうな泉の身体を必死に抱え込む。抱き締めた彼女の身体は温かくて、それだけに、零れる涙が冷たく感じた。わんわんと嗚咽しながら泣く悲鳴のような声は、私の胸の奥にあるなにかを酷く揺さ振った。苦しいよね、辛いよね……でも、泉なら、その悲しみを乗り越えることができる天性の明るさがあるから大丈夫って、気持ちを込めて背中を撫でると嗚咽する回数が減って、いくらか落ち着きを取り戻したようだ。
──制服、汚してごめん。
──これくらい、なんともないわ。
楓は私の両腕を掴みながら、名残惜しそうに体を引き離す。
「筆箱、本当は忘れてなかったの」
「え?」
「実は、恋ちゃんが佐竹っちに告白してる現場を見ちゃって……」
目撃者、やっぱりいたかあ……。
「あたしのもその勇気が欲しかったから、御守り代わりにシャーペンを借りたんだ」
「ご利益がなくてごめんなさい……」
こんなことになるのなら、お気に入りのシャーペンを貸してあげるべきだったって後悔しても今更だ。
「そんことない。すっごい勇気でた。このシャーペンがなかったらきっと逃げてたもん」
そう言って、ポケットから取り出して返却された私のシャーペンは、ほのかに熱が残っていた。
「わざわざ玉砕した私からシャーペンを借りなくてもいいのに」
「告白する勇気が出たからいいの」
「そっか」
「うん」
泉はにこっと微笑んだ。
その笑顔に偽りはない。
さて、次は私の番だ──。
「佐竹に告白した後日談というか、私に起きたことがあって……訊いてくれる?」
「いまならどんなことでも吃驚しない自信がある。心ゆくまで話したまえ」
「わかった──」
近くにあった椅子を借りて、私たちは黒板の前で向き合って座った。
緊張で喉が苦しい。
両手の指先は、数時間くらい冷水に浸したんじゃないかってくらい冷たくなり、耳の裏辺りから汗が垂れるのを感じる。普段、こんなところから汗が垂れることなんてなかったな。ラケット振っていた頃はあったかもだけど……私は自分に起きた出来事の一部始終を、隠すことなく泉に伝えた。
「ワトソン君。いまの話は本当かね?」
すっかり本調子だ。
「全部事実だよ」
これが嘘だとするなら、私は相当な悪だろう。
「どうしてそんな大事な秘密を私に打ち明けたの?」
「私だけが泉の弱味……じゃないけど、そういうのを知ってるのは狡い気がして」
──引いた?
──引かない!
「やっぱ、ワトソン君は凄いなあ。そんなことを他人に話せる勇気には驚きを禁じ得ませんぞ」
「ちょっと、悪ふざけは禁止よ?」
ごめんごめんと謝意のない謝罪がいまは心地いい。
「素直に恋ちゃんは凄いと思ったんだよ。私はその恋を応援したい……佐竹っちには悪いけどね?」
なんだか肩の荷が下りたように、全身から力が抜けた気がする。泉はこんな私を受け入れてくれた──それがなにより嬉しかった。
「友だちという関係で繋がってるなら、それをどんどん利用しないと!」
つまり、どういうこと?
「例えば、次の日曜日にデートに誘ってみたり?」
「そ、それは佐竹に悪い気がする……」
「なに言ってるんだい? 恋人がいる人を好きになったんだから、その時点でもう修羅の道だよ! 茨の道だよ! それよりも欲しい物をこの手で掴み取るだけさ!」
最後の部分はよくわからなかったけど、歌詞から抜粋したと予想する。
「佐竹っちを蹴落としてでも手に入れないと! 遠慮してたらいつまでも手に入らないんだからね?」
「わかった、誘ってみる」
なにかが動き出した気がした。
遠慮してたらユウちゃんは更に遠くへ行ってしまう──そうなる前に、繋ぎ留めないといけないわね。
泉から逆に勇気を貰うことになるとは思いもしなかったけど、心の中で最大限に感謝しながら、その日の夜、ユウちゃんへメッセージを飛ばした。
『もし予定がなかったら、今週の日曜日にどこか行かない? 予定がなければだけど』
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが、『感想・ブックマーク・評価、等』を、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・2020年1月29日……誤字報告による修正。
報告ありがとうございます!