一百九十ニ時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ⑤
調理室には楓ちゃん含む参加者が各テーブルに分かれて着席していた。もう班分けは終わったらしい。黒板にはAからEのアルファベットが記載されていて、その横に名前が羅列してある。最初に来る名前が全て見知った名前なのは、その班のリーダーか、講師役を担う者の名前だろう。この場で班を決めたのだろうか? それではいつまでも班が決まらないので、楓ちゃんが事前に決めたに違いない。
こういう場合は合理性を重視するのが楓ちゃんだ。余計な時間を取らないようにしたのだろう。
楓ちゃんはA班、レンちゃんはB班担当、C班の講師は村田美由紀と記されていて、隣に関根泉。C班のリーダーは泉ちゃんとなっているけど、本当にそれで大丈夫かなと心配になってしまう。D班は弓野紗子。弓野さんだけは講師とリーダーを任されているけど……まあ、問題は無いかな。リーダーといっても班に問題が発生した場合の連絡係みたいなものだし、弓野さんならそれくらいお手の物なはず。E班の講師は佐竹琴美、リーダーが私だ。
私なのだけれど──。
「よろしくー。津田優梨ちゃん」
琴美さんが嫌味をしこたま詰め込んで、揶揄うように呼んだ。
「よ、よろしくお願いします……」
私の苗字は楓ちゃんが独断と偏見で勝手に決めたらしく津田姓となっていたが、津田? なんで津田? 津田という苗字に不満があるわけじゃない。然しこれまたどうして津田になったんだろうと一考してみる。
例えば、楓ちゃんの知り合いに『津田』という苗字の知り合い、或いは、会社の取り引き相手が存在して、その苗字を拝借した……いやいや、会社の取り引き相手って。楓ちゃんはまだ高校一年生だから、さすがにそれは無い。
ならば身内はどうだろう?
お世話係に津田という苗字のスタッフがいて、手頃でいいと拝借した? ……これもしっくりこない。お世話係というと、どうしても高津さんのイメージが強いんだよなぁ。
──高津さん、か。
高津、たかつ、つかた、つた、つだ、津田……。
連想ゲームか!? でも有り得ない話じゃない。
楓ちゃんは駅までの道程を高津さんが運転する車で通っている。そんな楓ちゃんが私の苗字をどうするか考えた時、運転している高津さんからヒントを得たとしても不思議じゃない。それに『津』という漢字は高津さんの苗字から来ているのだとすれば合点がいく──あまり深く考えないことにしよう。
まだ始まらないのかと室内が騒然としている最中、楓ちゃんが手を叩いた。
演壇に立っているのは今回のチョコレート作りの発案者である楓ちゃんと、それを支えるレンちゃん。二人は一度互いに目配せをしてから頷き、満を持して口を開いた。
「多少の遅れはありましたが──」
本当にごめんなさい。
でもそれは私のせいじゃなくて、主に琴美さんと弓野さんのせいなんだよ? だから、そんなに私を睨まないで欲しい。
「特別講師の方々との挨拶は済んだと思いますので、そろそろチョコレート作りを始めさせて頂きます。作成途中に何か問題が発生した場合は、即、各班のリーダーは私か恋莉さんの指示を仰いで下さい」
そこまで言うと、バトンを受け取ったかのように頷いたレンちゃんが話を続けた。
「それと、仮にも〝調理〟なので、衛生面は各自徹底してお願いします。──それでは、調理を始めて下さい」
まばらな拍手が起こり、二人が自分の班に移動する。こうして、陰謀渦巻くチョコレート作りが幕を開けた。
* * *
「──ふう、これで後は冷やして固めるだけかな」
私の班は私と琴美さんを含めて四人。他の班は五人なので一人少ない。これも楓ちゃんが私を考慮してくれたのか、その二人も口数が少なく大人しい部類の女子だ──と、最初は思ったのだけれど、時間が経過して、琴美さんとの会話にも慣れてくれば、口数は徐々に増していく。無論、私にも声をかけてくる頻度も多くなってきたけれど、有り体の返事と笑顔で何とか乗り切った……誤魔化したと言うべきかな?
佐竹琴美はずぼら女子だと思っていた。けれど、いざチョコ作りになると手際よく作業をこなしていく。
家にいる時は基本的にジャージ、外出する時も取り分けてお洒落するでもなく、今日だって白のパーカーにジーンズという格好だ。弓野さんがお洒落なだけに、その差は歴然としているのだけれど、琴美さんの場合はラフな格好でも様になってしまうような、お淑やかではなく野性味のある美しさも備えている。だからだろうか? 女子二人の質問内容がチョコではなくて、ヘルスケアについての質問が多いのは。
「琴美さんってどんな化粧品を使ってるんですか?」
「スタイル維持の秘訣はなんですか?」
「ここでは教えられないから、……そうね。今度ホテルで手取り足取り教えてあげるわ。……女同士って気持ちがいいのよ?」
──なんの話をしてるの、この人は。
「琴美さん、あまり〝いつも通り〟を出すと引かれますよ?」
「あら優梨ちゃん、妬いちゃった? もう、わかったわかった。優梨ちゃんにもしてあげるから」
「結構です」
そんな会話を数時間も続ければ疲労も溜まってくる……特にメンタルが。
自分が作ったチョコを冷蔵庫へと移して、いい加減甘ったるい匂いにもうんざりしてきた私は、調理室後方にあるドアからこっそり抜け出した。
フロント横の階段を上り、自販機がある休憩スペースへ。紙パックの緑茶を買い、適当な場所に腰を掛けた。
まだ仄かにチョコの匂いがする。
それが鼻奥に残るものなのか、調理室の隙間から洩れた香りかはわからないけれど、暫くはこの匂いとご一緒する事になるだろう。
チョコは好きだけど、常にチョコの香りに包まれているのは不快だ。だからこその緑茶なのだけれど、この緑茶は頂けない。香りも弱いし味も薄い。まあ、紙パックのお茶に文句を言っても仕方が無いかと、ストローで懸命にチューチューしていたら、レンちゃんが階段を上ってきた。
「どうしたの?」
私が首を傾げながら質問するとレンちゃんは、
「ちょっと疲れちゃって」
そう言いながら紙パックの自販機に小銭を投入、ストレートティーを買って私の隣に座った。
「琴美さんと一緒だったけど大丈夫?」
「うん。私が危惧していた事態にはならなかったよ」
違う意味ではやらかしているのだが、とは言わない。
「……何だか久しぶりね、こうして隣同士で座るの」
「そうだねぇ……」
近頃は忙しかったりで、レンちゃんとゆっくり話す機会も無かったから、レンちゃんに『久しぶりだ』と言われるまで気がつかなかった。
「だから、ユウちゃんが出ていくのが視えて、慌てて出てきたのよ」
「そうだったんだ。……班は大丈夫なの?」
「比較的に慣れてる子が多かったから……あのね」
レンちゃんはそこで言葉を切ると、隠して持っていた赤くて長細い箱を私に差し出した。
「これ、バレンタインのプレゼント」
「私に? ありがと……開けてもいい?」
「うん」
巻き付けてある十字のリボンを解いて、包装紙を丁寧に外すと、透明な蓋から透けて視えるのは高そうなボールペンだった。白いすべすべしたボディに銀色の金具、ノック式ではなくて、ボディを半回転させて芯を出すタイプだ。
「これだったら普段でも使えるかなって。……チョコはほら、今日のこれでうんざりだろうし」
こうして頬に椛を散らしながら微笑むレンちゃんの表情を視ることも無かったなぁ……としみじみ。最近は佐竹やら、流星やら、楓ちゃんとは打ち合わせでちょくちょく顔を合わせていたけど、レンちゃんとの時間は全然無かった。だからバレンタインに贈り物を貰えるとは思っていなくて嬉しい半分、申し訳無い気持ちが心を締めつける。
「ありがとう、大切に使うね」
「気に入って貰えたかしら?」
「気に入るよ! だって、私が普段使ってるボールペンは百均でまとめて買ったやつで、最後まで使い切る前に書けなくなるのが関の山の安物だから」
予備のインクも付いているので、インクが切れた時にどこに買いに行けばいいかの心配も無い。ただ、この高そうなボールペンを普段使うのは勿体無いなぁ、無くしたらもっとショックだし。普段使いではなく、自宅で勉強する時に使わせて貰おう。
──お返しはどうしようか?
明日がバレンタイン当日で、今日は言わば前夜祭。帰宅前にお返しをどこかで購入して明日渡せばセーフ! ……だよね?
「私、まだ何も用意してなくて……」
「ううん。お返しを期待してたわけじゃない。私がユウちゃんにプレゼントしたかったの。バレンタインはその口実に過ぎないわ」
でも──と、レンちゃんは口籠る。
「お返しなんて要らないから、もう少し私も構って欲しい──あ、別に変な意味じゃなくてね!? えっと、ほら! たまにはどこか一緒に遊びに行きたい……とか、じゃなくて! わー! なに言ってるの私!?」
レンちゃんがここまで焦る姿は初めてだ。
レンちゃんは普段強がっているだけで、本当は寂しがり屋だ。自尊心が邪魔をして本音が言えず、勘違いされている場面も教室で多々見受ける。そんなレンちゃんを私はずうっと放置して、蔑ろにしていたと思うと、これまた一層、申し訳無さ過ぎて顔向けできない。
「……わかった。また一緒にどこか行こ?」
「──ホントに?」
「でも、海以外がいいかなぁ」
「ふふっ。私は海でも構わないわよ? 今度はあんな失態しないわ!」
それはまた夏の話になるのだけれど、それまでに私とレンちゃんの関係はどうなってるんだろう。
──明日、楓ちゃんはレンちゃんに告白する。
その答え次第で、私達の関係は大きく変わるだろう。〈YES〉でも〈NO〉でも、選んだ瞬間に世界線は変わる。楓ちゃんとの関係性も、レンちゃんとの関係性も、明日を境に変わってしまうのは明らかだ──私はそれが怖いけれど、いつまでも子供のままではいられない。
知らぬ存ぜぬが罷り通るのは互いに何も知らなかった時だけで、そこに知らぬが仏もなく、既に問題は提議されてしまっているのだから、残すはその答えを出すのみ。
私を選んでくれた二人のどちらかを、私も選ばなければ──。
「何か考えごと?」
レンちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
キリッとした細い眉、ぱちりとしたまつ毛、茶色が濃い瞳、鼻筋は通っていて、ぷっくらとした唇を触れたら弾力がありそう。重力に逆らうことなく垂れた髪の毛が私の腿に触れてこそばゆい。
「ううん……、何でもない」
「そうには視えないけど、深く追求しないわ」
そして、ゆっくりと体を元の位置に戻してから、
「その緑茶、まだ残ってる? 残ってたら交換しない? これ、ストレートティーなのに甘くて」
「あ、うん。まだ残ってるよ──」
私が答えると、レンちゃんは私の手から緑茶を奪うようにして取った。そして、その勢いで立ち上がり、ぐいっと一飲み。
「私の紅茶はそこにあるから飲んでね」
指差した方を視ると、先程までレンちゃんが座っていた所に赤いパッケージの紅茶が置いてあった。
「……うん、確かにこれは甘過ぎるね」
「でしょ? ストレートティーって書いてあるのにこれでは詐欺よ。今度から〝カーブティー〟って書いて欲しいくらい」
いやいや、それはさすがにないよ──なんて笑っていると、レンちゃんは飲み終えた緑茶の紙パックをゴミ箱に放り投げて、階段へと向かう。
そして──
「ボールペンのお返しは貰ったから、気にしないで」
去り際にそう呟いて、一人、こつこつと足音を鳴らしながら階段を下りた。
「緑茶がお返し? ──あ」
私がその意味を理解するのは、レンちゃんの姿が視えなくなってから。
紅茶の紙パックに刺さっているストローには、レンちゃんがつけていたリップのラメが付着していて、艶やかに輝いていた。
【備考】
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by 瀬野 或
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