一百九〇時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ③
今日は朝から男子も女子もチョコレート作りの話題で持ちきりで、いつもよりスイーツ成分多目。大々的に開催されるのだから嫌でも話題になるのは頷けるけど、僕個人としては憂鬱なイベントに他ならないし、鬱積は溜まる一向だ。
どう考えても油断できない状況に身を置かなければならなくなるので、暢気に構えるわけにはいかないのが一つ。
ミユキさんこと、村田さん対策ができてないのが二つ。
琴美さんの気紛れに振り回されるのではないかというのが三つ。
女子に優梨の正体が僕だとばれないかという心配が四つ。
最後の一つはプライスレス、お金で買えない価値がある──エクスプレスカード。
クレカはどうでもいいとして、他の四つの憂いが僕の首をぐいぐいと締めつける。
そんなおかげで朝食は喉を通らず、弁当は食卓に置き忘れて泣きっ面に蜂状態。ここまで嫌な事が重なれば、後に待っているイベントの先行きが気重になる。
無事にイベントが終わって欲しいのは山々だが、そう上手く行かないのが世の常だ。
少しでも憂苦を払いたいのなら放課後までにこれらの対処を拵えて、準備万端としておくべきなのだろうけれど……さっきからずうっと頭を捻ってはいるものの妙案は浮かばず、都合のいい一発逆転の奇策も無い。おまけに寝不足で脳が働いてくれないという負の三連鎖。それつまり、ふぁいあー、あいすすとーむ、だいあきゅーとであり、ぱよえーんの一歩手前。フィーバー2ならブレインダムド、ヘヴンレイの手前。厨二心を擽るのはフィーバー2だね。ジュゲムはちょっと違和感を感じる。
ぷよぷよの呪文を頭の中で唱えながら、宇治原君の頭上にぷよぷよしないおじゃまぷよをこれでもかと積み上げてみたが、いくら積み上げた所で所詮は〈おじゃまぷよ〉であり、何個連なっても消滅する事はなかった。
「優志、今日はよろしくな」
昨日の夜、電車を待っている間に、佐竹は心に積もったやるせない感情を吐露した。そのせいか今日は昨日よりも幾分元気を取り戻したらしい。それでもまだ本調子とは言えない。眼の下に隈が出来ているので、僕同様にあまり眠れていないようだ。
「今日も、だよ。──僕の本番は明日だからね」
「そうだったな……マジでやる気か?」
「誰かがお灸を据えてやらないと」
それも、触れたら火傷するくらいどぎついやつをね──と付け加えた。
「お前の事だから上手くやるんだろうな」
上手くやらなければ、その後もずるずると引き摺って面倒な事になりかねない。だから上手くやってやるつもりではあるのだが……。
「俺も決めたんだ」
「え? なにを──」
僕が訊ねると同時に、担任である三木原章治先生がタイミングを見計らったように教室へとやってっきた。
「じゃ、また後でな」
佐竹が何を決めたのかあやふやなまま、出席確認が始まった──。
* * *
放課後、予定通りイチバスに乗り込む。
僕らが企画したイベントのせいで、いつもより人口密度が高いバス、その半数以上が女子生徒で埋め付けされていた。
男子諸君の肩身が狭そうな状況に申し訳なく思うが、彼らも悪い気はしないだろう──むさ苦しい男子だけの空間にいるよりはマシなはず。
僕の隣には佐竹が、通路側に座っている。
今日のイベントは男子禁制であり、流星でさえ参加する事ができない。だから、佐竹はこのまま帰宅するのだろうけれど、その前に、朝に訊けなかった事を訊いておこう。このままだと消化不良で気持が悪い。
「ねえ、佐竹」
「おう?」
佐竹は呆然と携帯端末でソシャゲに興じていた──えっとそれ、僕もプレイしていてランカーだったりするんだけど……言わなくてもいいか。
「〝俺も決めたんだ〟って、何を決めたの?」
「ああその話か。──その時になったらな」
答えたくないのではなく、まだ公表するべき時ではない──というようなニュアンスに近い答えだったが、これ以上訊ねても真意は教えてくれなそうだ。
だったら、最初から含みのありそうな事を言わないで欲しい。
「ふーん、そう」
「あ、もしかして怒ったか?」
「べつにー」
何だ急に冷めてしまったというか、佐竹が何を決めようが僕には関係無いし不毛な議論だ。
それよりも大切な事は、これから始まるチョコレート作りについて。
問題は山積みで、どれから手をつければいいのか途方に暮れていたら、結局、何の答えも出なかった。今更になって、あれやこれや、どれやそれやと考えても時間の無駄だろう。だから腹の底に鬱々と沈殿した不安だけがここぞとばかりに蠢いて、焦燥感を掻き立てる。
ある意味、僕が梅高に入学して以来、初めての危機かもしれない──。
クラスの女子に僕の存在がバレないだろうか。
琴美さんの気まぐれにはどう対処すればいいのか。
琴美さんの彼女である弓野さんはどういう人物なのか。
村田美由紀──ミユキさんとはどう接すればいいのか。
ここまでの不安要素が重なれば、これまでブラフやはったりでその場を凌いできた僕でも、どこかで虚を衝かれてボロを出してしまうかもしれない。そうなったら言葉通り〈終わり〉である。だからと言って優梨がこのイベントに参加しなければ、明日、僕がしようとしている事が成立しない。僕には『優梨も一緒にチョコを作っていた』という証人が必要なんだ。それも内輪ではなく第三者の目撃者が必要であるからして、逃げるわけにもいかない。
危ない橋を渡る事になるだろう。然も、その橋を無事に渡り終えるイメージが湧かない。危険な賭けになる事には変わらないが、オールインしてもオッズは上がらず、運よく勝ったとしても半分以下のチップしか戻らず──そんな勝負に身を投じるなんて正気の沙汰ではないが、リスクを負わねば手に入らないのだ。
……僕が求めているモノは、そうする事でしか手に入らない。
こんな状況でなければ、僕もチョコレート作りにキャッキャウフフとしていただろうに、どうしてこうも毎度の如く問題事に巻き込まれるのか……もう溜め息すら出ない。
だけど、僕にできる事なんて一つしか無いのだ。
──それは〈優梨〉であり続けること。
僕の中にある彼女を、精一杯表現するしかない。
こんな馬鹿げた方法でしか自分を救う術が無いというのも情けない話だけれど──これも僕が選んだ最善だとするなら、その選択が正しいかの判断をするのも僕自身であり、先にある答えを導くのも僕だ。
誰も正しさを判断できない、自分の物差しでしか自分を測れないのなら、0と1の間にある数ミリの線を数えるよりも大切な事がある。それを人間は、〈可能性〉と呼ぶ──なんて、ちょっと大袈裟過ぎるかな。
一か八かの勝負なんて毎度の事じゃないか、今更あたふたしたって仕方が無いのなら、ああだこうだとのたうち回っても意味が無い……それに、時既に遅しである。
バスはもう、東梅ノ原の駅前停留所に停車した──。
「あれからずっと黙りやがって。……おい、優志」
バスから下りたその身で、ダンデライオンへと向かおうとした僕の肩を、佐竹ががしりと掴んで止めた。
「なんだよ竹藪」
「勝手に竹を増やすんじゃねぇよ!? ──いや、そうじゃなくてだな。……頑張れよ」
「頑張れ、ねぇ……」
偉く他人行儀な言葉を言ってくれるじゃないか、感動して涙が零れそうになったよ。
「ま、適当に頑張るよ」
「おう。じゃ、またな」
「うん。また」
その後、佐竹の姿を視た者は誰もいなかった──。
「勝手に殺すな!?」
──チッ、訊こえてたか。
佐竹との感動的な別れをさっさと済ませて、いつもの路地裏へ。
今日も今日とて暇そうなダンデライオンでは、照史さんが数人の客相手に、ご自慢の珈琲を振舞っていた。白いシャツ、その上に濃い茶色のチョッキ、下は黒のスラックス。首元には黒の蝶ネクタイを付けている出で立ちはいつも通りだが、店内にいる女性客の二人には見覚えが無い。常連の顔はすっかり覚えてしまった僕にはわかる。あの二人は初見さんだ……いや、片方、壁極に座っている女性はどこかで視た事があるような気がする。
「やあ、優志君。おかえり」
「ただいまです……」
朝に荷物を置きに来た時も、「いってらっしゃい」と笑顔で見送られたので、『おかえり』と言われるのは当然と言えば当然……なのかな? 何だか気恥ずかしい気持ちになってしまう。
「優志君、こうして顔を合わせるのは二度目ね。──あの節は本当に申し訳なかったわ」
奥に座っていた女性は僕を視認すると、懇切丁寧に頭を下げた。
──ミユキさんだ。
かつて、DQNオブザイヤーに輝いたタクヤとシンジの幼馴染であり、止められないストッパー役を担っていた女性。
もう出会う事も無いだろうと思っていたけれど、こうして再び相見える事になろうとは、人生何が起こるかわからないものだ。
「お久しぶりです……えっと、そちらの方は?」
「ふふ。初めまして、優梨ちゃん。いつも琴美がお世話になってるみたいで──弓野紗子です。今日はよろしくね」
敵意は感じられないけれど、彼女からは何かもっと、……琴美さんとは違う、異質な雰囲気を感じる。それは、弓野さんの着ている真紅のセーターが童貞の息の根を止める系だからではない。何もかも見透かされるような、胸を貫く視線。僕の本能が、『この人と関わってはならない』とメーデーを発信していた。
「警戒しているの? 大丈夫よ、琴美のように意地悪しないから」
そう言って優しく微笑む表情の裏には何を隠しているのか、嫌でも裏を勘繰ってしまう。
琴美さんが嘘を操る鼠だとするなら、弓野さんは毒を持つ蛇。
それも、一噛みで相手の体の自由を奪う程の強烈な毒。相手は死ぬ。
「紗子、悪ふざけが過ぎるわよ。優志君、完全に恐がってるじゃない。──ごめんね、普段はもっと……琴美と張り合うくらいの変態なんだけど」
「それは違うわ。私の方がBLを愛している──それだけよ。私、ナマモノもイケる口だから」
ナマモノとは、ある意味で『禁忌に触れる』ような危ういジャンルだ。どうしてかと言うと、『ナマモノ』というだけあり、題材になるのが『実在する人物』だからである。過去に某・大人気アイドルグループを題材にして作られたナマモノ本がアイドルグループが所属している事務所に知られて、本を作成したグループが訴えられたケースがある。その件から『二次創作』というジャンルがバッシングを受けたり、規制が強くなったのは事実。
「それ、公の場で言わないでって、前から言ってるでしょ……」
「自分の趣味を堂々と公言できない世の中が間違っているのよ。──そうは思わないかしら、優梨ちゃん」
「あ、いえ、えっと……」
──内容が内容だけに答えにくいわ!
まあ、話だけを訊く分にはそこまで危険は人ではないのかもしれないけれど、油断したら喉元を喰い千切られそうな雰囲気は健在。それ故に、僕はなるべく弓野さんに懐に入られないように、椅子二つ分程の距離を開けて受け答えをしている。
「楽しそうに話をしているけれど、あまり時間は無いんじゃないかな? 優志君、着替えるんだろう?」
「──そうだった」
ありがとう照史さん! と視線を合わせると、照史さんは二人の眼を盗んでウインクをした。それが許されるのは『イケメンに限る』なのだが、照史さんは爽やかイケメンに属するので問題無い。
「着替える? あ、そうだったわね……だから紗子はさっきから〝優梨ちゃん〟って呼んでたのかぁ」
「……え? ミユキさん、僕の事を知ってるんですか?」
ミユキさんは頷いてから、
「ええ、一応ね? 琴美から話は訊いてるから。ほら、今日の事も含めてね」
それなら僕としてもやり易いけれど、そこまで親交が無い他人に自分の事情を知られるというのは、あまり気持ちがいいものじゃないな。
「それじゃあ、僕は着替えてくるので──」
僕が足早に、荷物の置いてある倉庫へ向かおうとしたら、弓野さんも同じくして席を立った。
「紗子?」
「美由紀、私が彼をその名前で呼ぶのは、琴美みたいに揶揄っているわけじゃないの」
「え? どういうこと?」
弓野さんは僕の進行を止めるように、僕の前へと立ち塞がった。
そして、僕も予想しない言葉を、ミユキさんにではなく、眼前にいる僕に向かって宣言するように言い放つ。
「──この子、本当は女の子だから」
「え、えっと……弓野さん、何を言ってるんですかね?」
そこで僕は、自分が痛恨のミスをしている事に気がついた。
けれど、それに気がついた時には遅い。
僕は許してしまったのだ。
弓野さんが僕の懐に侵入するのを──。
「行きましょうか、優梨ちゃん。アナタが本当の姿になるお手伝いをしてあげるわ」
拒否権は無い。
そもそも僕に弓野さんを止める権限すら与えず、僕の背中をぐいぐいと押して倉庫へと強制的に押し込められた。
暖房の効いた温かい店内とは違い、倉庫の中はひんやりとした空気に包まれていて薄暗く吐く息も白い。仮にも室内で、隣はダンデライオンのホールだというのに、この倉庫は僅かな温もりさえ拒絶するかのようなコンクリートの壁が剥き出しになっている。
「さあ、始めましょう?」
妖艶に響く笑い声と共に、倉庫の照明に光が灯った。
【備考】
この度は『女性男子のインビジブルな恋愛事情。』を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし、当作品を読んで、「続きを読んでみたい」「面白かった」と思って頂けましたら、〈ブックマーク〉をよろしくお願いします。また、〈感想〉はお気軽にご記入下さい。
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これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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