一百八十九時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ②
「いやぁ、いつ視ても奇抜というか、……変なデザインの建物ですなぁ」
梅ノ原市民会館入口の前で腕を組み、大袈裟に鼻を鳴らして頷いている関根さんは、毎年ここで開催される〈ちびっ子わんぱく夏祭り〉の常連だと豪語していた。
毎年このイベントに参加するという事は、献身的で生粋の梅ノ原市民なのだろう。
梅ノ原市は駅付近が栄えているだけで、特にこれと言った娯楽施設も無ければ、利点という利点も無く、乗り換え無しで東京方面へ行く電車が走っている程度の中継ぎのような片田舎。車を所持していなければ不便というのが田舎の常識であり、夏場は田園風景に蝉時雨、夕方になると大繁殖した蛙の大合唱。『住めば都』という言葉があるけど好き好んで住もうなんて思う物好きは稀で、東京と較べれば家賃は安いというだけ。その意味での中継ぎである。
「家は近いの?」
自慢げにしている関根さんに訊ねると、
「近いって程じゃないよ? ……自転車で二〇分くらい」
「そこそこいい距離じゃないか」
「どうせ夏祭りくらいしかここに来ないから」
自転車で二〇分、ママチャリだと凡そ五キロくらいか。〈ちびっ子わんぱく夏祭り〉に胸をときめかせながら五キロの道程をひた走る関根さん……想像に容易いので何とも言えず、名状し難いものを感じる。
そのモチベーションがあるならば梅高まで自転車で来れるだろうけど、梅高があるのは梅ノ原市の端にある山の中。街灯もほぼ無い道を女の子が一人で通学するのは危険極まりない。
入学当初こそ自転車通学も視野に入れていた関根さんだが、ご両親の反対もあって、現在は新・梅ノ原駅近くにある自転車置き場に自転車を置き、そこからバスで梅高へと通学している──らしい。
ぱっと視だと小学生にしか視えないもんなぁ、心配するご両親も頷ける。
僕は中学生に視られるから僕の勝ちだ。
……なんで張り合ってるんだろう、虚しくなってきた。
僕らは口数少なくして館内へと進む。
ついこの間に来たばかりので、多少なりとも勝手がわかっている僕と違い、佐竹と天野さん、そして流星は初めての市民会館。名前くらいは訊いた事がある、でも、足を運ぶのは初めて──という場所は結構あったりするけど、三人にとってはこの場所が正しくそうなのだろう。
市民会館を使うのは女性陣のみであり、佐竹と流星が来る必要は無かったのだが、『打ち合わせを兼ねて』という月ノ宮さんの意向があり、こうして僕の後ろできょろきょろと館内を眺めては「結構広いな」とか、「どっかで視た事がある作りだぞ、マジで」と、僕と似たような感想をぶつぶつ呟いていた。
程なくして、月ノ宮さんが受付けを済ませ、「行きましょう」と先導する。進路は受付けを正面にして右の通路、しばらく進んだ場所にある〈調理室〉だ。
受付けで借りたドアの鍵を差し込みドアを開くと、明日の会場となる調理室がその姿を現した。
「ここが会場か。……普通だな」
流星は調理器具のある棚の前へと進み、どんな調理道具があるのかを隈無く観察し始めた。それは職業病かな? 『ホールに回される前は調理場での仕事が多かった』と言っていただけに、どんな器具を揃えているのか気になったんだろう。
「この広さなら充分足りるわね」
天野さんは室内を軽く一周してから、調理器具の場所、窓、証明のスイッチ等を順々に確認して、黒板の前にいる月ノ宮さんと軽い打ち合わせを始めていた。議題は言うまでもなく、明日に控えている〈手作りチョコレート教室〉。
打ち合わせ前の打ち合わせ。
スムーズに事を運ぶための擦り合わせ。
言い方は様々あるけど、全部違って全部いい。
──だって人間だもの。
僕がせんだみつをしながら月ノ宮さん達を眺めていると、
「なあ、優志」
佐竹だけは浮かない顔で僕の肩を叩いた。
こんなに広い室内なら他にも行く宛はあるだろうに、佐竹は市民会館に到着してからずっと僕の後ろに張り付いている。この場にいるメンバーは気心知れた仲なのだからそこまで怯える心配も無いだろうに──いや、これは怯えているのではない。何やら心配事を抱えている時の顔だ。いつもの『あのさ』を言い出しそうな表情と言う方がわかりやすいかもしれない。
「なに?」
「姉貴にイラストを頼んだだろ? ……それはいいんだが、ちょっと多少、アレになっててだな」
ちょっと多少アレ、と申されても、僕にはその内容が何かわからない。そして、『ちょっと』も『多少』も似たようなニュアンスを含む言葉だけに、違和感を感じて背中がむずむず痒くなってくる。
「いや、だから……なに?」
不愉快な気分満載に訊ね返すと、佐竹が口を開く前に月ノ宮さんが手を二回叩いた。空気を上手く叩けたのか、やたら耳に届く軽やかで大きな音に、手を叩いた人である月ノ宮さんも一瞬驚いた表情を視せる。けど、直ぐに切り替えて──
「そろそろ明日と明後日の打ち合わせを開始します」
はぁ……と湿っぽくて憂いを帯びた深い溜め息を吐く佐竹の様子も気になる所だが、琴美さんが関わっているのならご本人登場も充分有り得るし、当日になって「優梨ちゃん、……来ちゃった☆」とテヘペロるのは想定の範囲内だ。『テヘペロる』ってなんだ?
あの人の相手は骨が折れるけど、話が通じない人間ではない。
話が通じても我を通すから厄介と言うだけだ。
そして、相手をし終えた後に来る疲労感ときたらクレーム処理を終えた店員の如く──佐竹が憂慮するような問題じゃないと思うけどな。むしろ僕が避雷針になるのだがら、佐竹はどんと構えていればいい。
そんな事を考えている間にも、月ノ宮さんの話は続く。
「当日はチョコレート作りに慣れていない方もいるので私と恋莉さんが教える側に回るのですが、さすがに私と恋莉さんだけでは心許無いので、佐竹さんのお姉様である琴美さんに講師をお願いしました」
──琴美さん、残念だったけどサプライズは失敗に終わるよ。
内心ざまぁみろと思いながら、月ノ宮さんの話に耳を立てる。
「そしてもう二人。……一人は琴美さんのパートナーである弓野紗子さんと──」
うん? どうしてそこに琴美さんの恋人が登場するんだ?
何だか嫌な予感がして、背後で項垂れている佐竹に頭を回した。
「もう、決定事項なんだ……ガチで」
佐竹と眼が合うなり、そう言って諦観を決め込む。
「琴美さんのご学友である、村田美由紀さんにも来て頂く事になりました」
村田美由紀……。
むらたみゆき……。
みゆき──ミユキ!?
「佐竹、村田美由紀さんってもしかして──」
「初詣の日に胸くそ悪い二人と一緒にいた、姉貴の知り合いだよ。……まさかこんな形で再会するとは思わなかったわ──普通にガチで」
佐竹と一緒に行った初詣で初めて出会ったミユキさんこと、村田美由紀さん。いけ好かないタクヤとシンジの幼なじみであり、ストッパーでもある人だったけど、暴走気味なタクヤとシンジを止められず、結局あの日は佐竹が対応した。そして、再び会ったタクヤとシンジはあの件に懲りず、僕と流星がカラオケの一室で女性の仕草等を教えている時に乱入。だがこれも流星によって軽くあしらわれて退散している。その時ミユキさん……いや、村田さんはいなかったみたいだけど、あれから距離を置くようになったのだろうか?
僕と佐竹が顔を同じくしていると、異様な雰囲気を察してか流星が僕らの元へやってきて、
「知り合いか」
小さな声で僕に耳打ちした。
「うん。知り合いみたいなもの、なのかな? 琴美さんの恋人はまだ名前くらいしか……」
これまでに『弓野紗子』という名前だけは幾度か訊いた事があり、関節的に関わりは合った一方でその姿を視た事は無い。明日、ようやくにして謎のベールに包まれていた琴美さんの彼女を拝見できるのか。
──会うのが怖いな。
琴美さんが人生のパートナーに選んだ相手なだけに、一癖も二癖もある人なのだろうと想定すれば、明日、琴美さんと一緒に何か企てていないかと心配でならない。……だが、これで講師は五人確保できた。人数だけで言えば充分だろう、いざと言う時も対処できるはず。いざと言う時なんて来ないに越した事はないが、人が増えれば問題も増える。問題児も増えるしなぁ……。
「ゆーくん。なんか私によからぬ事を思ってないかい?」
眼が合っただけなのにこの反応……まさか彼女は、せやかて工藤!? 冗談はさて置き、女性は直感が冴えると訊く。まことしやかに囁かれている『女の勘は当たる』、というやつだ。
「優志さん、訊いてますか?」
「も、もちろん。え、えっと、アポトキシン4869だよね?」
「大人を子供の体にする毒薬をチョコに混ぜる気ですか貴方は……」
しまった、ついせやかて工藤に思考を持っていかれていた。……というか、よくこのネタがわかったなぁ。月ノ宮さんってコナン好きなんだろうか? おっちゃんの声は神谷明さん派か小山力也さん派か、先ずはそこから話し合いたい所ではあるけれど──
「冗談だって。……それで?」
「訊いてなかったんですね。──講師が五人、それぞれ各テーブルに分かれて指導するのですが、班のリーダーは我々が担うべきだと言う話です。異論はありますか?」
異論は特に無い。内情を把握している僕らが班のリーダーを任されるのは当然だと言える。僕と関根さんに務まるのかは別として、だが。
不安要素としては僕の存在、優梨の立ち位置をどうするか、だ。梅高祭では『他クラスの女子』で強引に話を通したけど、それが可能だったのは学園祭という忙しいイベントだったからというのもある。今回のバレンタインチョコ作りはあの日のように忙しい雰囲気ではなく、まったりとした時間の流れになるだろう──誤魔化せるだろうか。
「優志さんが懸念しているのはご自身の事ですね? 心配は要りません。優志さんの席には琴美さんも同席して頂きますので」
「あ、ああ……そうなんだ」
月ノ宮さんの計画だと、琴美さんが注目を浴びるのでスポットライトは僕に当たらない、という考えなのだろう……甘いよ月ノ宮さん。佐竹琴美はそんな気が利くような性格じゃない。むしろ僕を弄ってその反応を楽しむような人だ。
──当日、都合よく風邪でも引かないかなぁ。
「なんか……悪いな」
佐竹は申し訳無さそうに頭を下げた。
「いや、佐竹は悪くないから……」
そうは言っても、対策は練っておく必要があるな。
それは帰りながら考えるとしよう。
「では、次の議題に移ります──」
話し合いはその後も続き、終わりを迎える頃には外もすっかり暗くなった。話し合いが長引いたせいか、定刻になっても出て来ない僕らの様子を高津さんが心配して様子を見に来たくらいだ。それがきっかけとなり今日はお開きとなったのだが──。
電車を待っている間、上り電車を待つ佐竹が自販機で缶コーヒーを購入して僕に差し出した。
「ほら、飲めよ」
「ありがと」
「おう」
手が悴んでプルタブに爪が引っかからずにしている僕を視かねて、佐竹は無言で僕の手から缶コーヒーを奪い取り、容易く封を開けて寄越した。
「……ありがと」
「ああ」
湿舌に尽くし難い重苦しい空気が漂う。
電車はまだ来ない。
「……本当に悪いな」
佐竹は僕の隣で缶のホットココアを飲みながら、はぁ……と白く濁った吐息を宙へ投げる。その息が遥か遠くへ消えていくまで眺めてから言葉を続けた。
「きっとお前はバレンタインで、……明後日、何かしようと思ってんだろ」
「──まあね」
明後日はチョコパーティーの日。
その日、僕は、僕のやり方で宇治原君に引導を渡すつもりでいた。
「いつも問題ばかり持ってきて、申し訳無い気持ちでいっぱいいっぱいなんだわ……ガチで」
「〝いっぱいいっぱい〟って、そうやって使う言葉だっけ……ま、いいけど。今回の件は僕も間接的に関わってるし、佐竹だけの問題じゃない」
「……どういう事だ?」
「宇治原君は、優梨に恋をしてるんだってさ」
僕の言葉を訊いて、佐竹は「そうだったのか」とだけ答えた。
「──どうするんだ?」
「どうするも何も、僕は宇治原君を軽蔑しているからね。相応に、果ては大々的にお断りするつもりだよ」
「それがお前の〝やろうとしている事〟か」
「まあ」
それだけじゃないけど、全てを佐竹に話すつもりは無い。仮にも宇治原君は佐竹と良好な関係を築いていた仲間だ。だから、佐竹に全てを話せば快くは思わないだろう。
佐竹にその心が残っているのなら──の話だけど。
「宇治原はさ、調子に乗るヤツだったけど面白いヤツでもあったんだ」
それはまるで、過去の遠い記憶を遡るかのような、静かで、哀しみを伴う口振りだった。
「楽しかったんだ。──本気でさ」
「うん」
「終わっちまうのかな。それも」
信頼を築き上げるのは困難だが、信頼を崩すのは簡単だ。しかも一度崩れた信頼を取り戻すには、倍以上の努力と年月を要する。
佐竹は葛藤しているんだろう。
彼を許したい反面、裏切られたという悲しみと、到底許せないという気持ちに板挟みされて、どうすればいいのかわからない、そう感じた。
その分僕は宇治原君との接点なんてほぼ皆無で、彼に想い入れも無く、どうでもいい人物の一人。どうでもいいのなら、彼がどうなっても心を痛める事は無い。その逆に、宇治原君が僕を恨もうが僕には関係無い。
そういう関係性であり、そういう関係性だと言い切れる。
「俺は今でもアイツの事を……。なあ、俺はどうすればいい?」
「──佐竹の好きにすればいいんじゃないかな。佐竹が思うように、佐竹のしたいようにすればいい。これは突き放しているんじゃなくて、佐竹自身の問題だから、僕がどう言っても自分で決めた事に従った方が後悔は少ないはずだよ」
後悔か──と、佐竹は呟く。
「あのさ、優志」
「……なに?」
「今だけでいい。少しの間だけでいいから、手を握ってくれないか」
「無理」
「即答かよ!?」
いや、普通に無理でしょ……ガチで。
僕は今優志であって優梨じゃない。
それに、公衆の面前で男同志で手を握るってのもなぁ。
だから──
「……肩を寄せるくらい、なら」
「マジか」
「うるさい早くしろ……これもこれでかなり人心地悪いんだからね」
僕は向かい側のホームだけを眺めた。
そこに知り合いがいないか気になったというのもあるけれど、触れ合っている肩が震えていて、佐竹の方を視る事が出来なかった。
その姿を視てしまえば、僕が明後日にしようとしている計画に支障が出てしまう。
──佐竹に同情してしまえば迷ってしまう。
だから僕は震えている肩を気にせず、夜空に咲いた星々を眺めながら、冬の第三角を探したけれど、シリウスも、プロキオンも、ペテルギウスも視つける事は出来なかった。アルデバランだけは何とか見つける事が出来たけれど、アルデバランさんは黄金十二宮の中でも不遇なんだよなぁ……と思ってみたり──そう誤魔化しているが、やはり気にはなってしまう。
「わかったよ、……ちょっとだけだからね」
震える佐竹の左手に、僕の右手を重ねる。
佐竹の手は冷えきっていたが、一点だけは乾燥していなかった。それが何を意味するのかは知らぬ存ぜぬで、佐竹の表情を視ていないからわからない。ただ、時折鼻を啜るような息遣いが訊こえてきた。
ただ、それだけ──。
【お詫びと訂正】
今回再登場する『ミユキ』ですが、以前、『琴美の先輩』と記載ていた事に気がつきまして、初登場回含めて修正致しました。正しくは『同年代』です。
(修正前は〝梅高を一年前に卒業した〟にも関わらず〝琴美の先輩〟となっていました。どう考えても明らかな矛盾です。申し訳御座いませんでした)
【備考】
この度は『女性男子のインビジブルな恋愛事情。』を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし、当作品を読んで、「続きを読んでみたい」「面白かった」と思って頂けましたら、〈ブックマーク〉をよろしくお願いします。また、〈感想〉はお気軽にご記入下さい。
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これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
〔修正報告〕
・2019年6月13日……村田美由紀〈ミユキ〉の設定を修正。