一百八十四時限目 僕らのバレンは最高にタインっている ⑨
「どうしてノックを?」
どうして? と問われても理由は多々あるのだが、その全てを語る必要は無いだろう。
「まあ、一応」
月ノ宮さんはさっきと同じ場所に座ったまま、顔だけを僕に向ける。長机の上には学習ノートが一冊開いて置かれていて、ホワイトボードに記載された相関図が 中心に描かれていた。それに『補足』という形で、ボードには書いてない要点が記入してある。
「休憩中に、何かいい案は浮かびましたか?」
「月ノ宮さん。休憩というのは〝休息〟という意味だよ」
「なるほど。では私から話しますね」
──なるほど!?
まさか僕の皮肉に対して、『なるほど』で返されるとは思わなかった。これでは皮肉狩りだ。皮肉スレイヤーさんだ。爆破物で一掃されそう。それか、ネズミ駆除の喩えを混じえながら水責めするまである。……本当にしそうで怖いな。
「私が考えた案はこうです」
月ノ宮さんは立ち上がると、ノートとマッキーを片手に、ホワイトボードに記入した『第三勢力』を指す。
「第三勢力とは、私、天野さん、そして優志さん……この場合は優梨さんとしますが、今回のバレンタイン企画を担う私達を指します」
「連合軍、的な?」
そうです、と月ノ宮さんは頷いた。
「それで、〝佐竹、かっこ悪い〟のスローガンを掲げるの?」
「それを言うなら〝いじめ、かっこ悪い〟です──そうではなくて、私達がこの状況に異議を唱えるのです」
──成歩堂。
月ノ宮さんは学級裁判でも始めるつもりだろうか? 白黒付けるという意味では一番手っ取り早いやり方だろう。然し、白黒付けるという事は正義と悪を明白にして、敗訴になった側に罰を与える、という事だ。この〈罰〉というのは今後の学校生活にも支障が出る可能性が高い──と言うのも、裁判においての敗訴というのは実刑判決が言い渡されるものであり、その罪を背負って残りの学校生活を送るというのはかなりの厳罰だ。とどのつまり、敗訴した者には〈犯罪歴〉が追加されて、肩身の狭い学校生活を送らなければならなくなる──その十字架を背負う覚悟が、果たして僕にはあるのだろうか。
「異議を唱えるだけじゃ、この騒動の沈静化は見込めないんじゃないかな」
「そうですね。それだけでは国会の野次とそう変わりません」
このハゲー! と罵声を轟かせても、それは単なる誹謗中傷だ。実力行使のデモ行進だって見た目だけのパフォーマンス、遊園地のパレードと変わらない。ならばスローガンを書いたプラカードを持って、教室の後ろで彼らに訴えるか? それで世界は変わるだろうか。いいや、何も変わらない。
「どうするの?」
「そもそも今回の件は〝佐竹さんの一人勝ちが妬ましい〟という不満から生じた亀裂ですよね? ならばその根本、いいえ。根本の根本、種から摘めばいいのです」
「種から……」
──どういう事だろうか。
月ノ宮さんの抽象的な意見を、頭の中で反芻するように噛み砕いてみる。
今回の騒動は佐竹に嫉妬した宇治原君が反旗を翻した──から始まった。そのせいで佐竹は現在、教室での行動を制限されてしまっている。佐竹だけを救うのならば、宇治原君を『罪人』にして、正義の名において粛清すればいい。そのやり方は非常にえげつない方法になると予想できるが。
然し──。
月ノ宮さんは『根本の根本』を強調した。
そこに月ノ宮さんがやろうと考えた〈意味〉があるのだろう。
要するに──
「バレンタイン、か」
「さすがは優志さん。私が初めて好敵手と認めた方ですね」
相関図を視れば『バレンタイン』が全ての事象に絡みついている。そこから『バレンタイン』を取り除けば、絡み合う糸が全て断ち切れて、再びいつも通りの生活が始まる……のだろうか?
「それは極論過ぎない?」
バレンタイン廃止。
それをスローガンとして掲げても、僕らに彼、彼女達を抑制する程の強制力は無い。『戦争を反対するために戦争をする』では本末転倒。血で血を洗う事に他ならないし、新たな火種を作る事にもなる。これ以上の揉め事は、はっきり言って御免蒙りたい。
「優志さんが懸念しているのは、バレンタインを廃止する事で新たな争いが生まれること、ですよね?」
「そうだね。さすがにそれは頂けないかな」
「私が言いたい事はそうではありません。──バレンタインから〝特別〟を抜き取るんです」
月ノ宮さんはホワイトボードにマッキーの赤色を使って、新たに〈バレンタイン〉と〈特別な感情〉を書き足した。特別な感情には〈ハート型〉で囲いがされている。
月ノ宮さんって、実は案外乙女チックな所もあるんだろうか。
現実主義で思い込みが激しい彼女が、実は白馬に乗った王子様が来るのを夢みていたり……その場合、白馬に乗ってるのは天野さんだよね。天野さんが乗馬の趣味を持っているなんて事はないだろうけど。
「特別な感情を抜き取るってどういう意味?」
「日本におけるバレンタインというのは〝女性が意中の相手にチョコレートを渡す〟というのが主なイベントです。つまり、この場合の〝特別な感情〟とは〝恋愛要素〟となります」
まどろっこしいな……。
「つまり?」
「〝クラスの殿方全員が私達の手作りチョコを受け取れる〟ならば、そこに〝特別〟は存在しません。特別が存在しないのなら──」
「佐竹を陥れる必要が無くなる、ってことだね」
「ええ。その通りです」
と月ノ宮さんは頷いてから、手に持っていたノートとマッキーを置いてパイプ椅子を引いた。そして、僕にも座るように促すと、僕が着席したのをしっかりと見届けてから、手元に置いてあった水のペットボトルの蓋を開けて一口。潤いを取り戻した月ノ宮さんの唇は艶やかな光を取り戻し、吸い込まれてしまいそうな程に美しかった。
月ノ宮さんは日本人形のようでありながら、そのパーツは西洋美人でもある。日本と西洋のハーフなんて、とんだチートレベルの美しさだが、長く重たい黒髪がそれを上手く抑えているのだろう。才色兼備でありながら、彼女に奥ゆかしさが皆無なのは残念でならない。それを知っているのは月ノ宮さんが気を許している相手だけであり、『対等な存在』と認めた証でもある。喜ばしい事ではあるのだが、知らない方が幸せだとも言えよう──だから、ファンクラブの面々は幸せ者と言わざるを得ない。
……もしもの話。
月ノ宮さんとの出会いが『恋の好敵手』ではなく、もっと違う理由で出会っていたとしたら、僕は月ノ宮さんに恋心は抱かずとも、それなりに好意は寄せていたかもしれない──それは、もしもの話だから言える。
佐竹に女装を強要されなければ。
そもそも、佐竹と天野さんが付き合っていたら。
僕は今、月ノ宮さんとこうして同じ問題に頭を悩ます事も無かったんだろう。きっと僕はあのままで、教室で座っているだけのオブジェクトに過ぎず、空気は空気足らしめる。僕の内側にある〈もう一つの性〉にも気が付かないまま、平凡な学校生活に『馬鹿野郎!』な音楽を添えてお送りしていたことだろうな。
佐竹の優しさに気づかないで。
天野さんの可愛らしい一面にも気づかないで。
月ノ宮さんの腹黒い部分にも触れないで。
流星の悩みにも無頓智で。
関根さんの暴走にも関心無く、ハラカーさんとも出会わず、琴美さんにも、照史さんにも、奏翔君にも、高津さんにも、海の家の家主である熊田さんにも会わない──そう思うと恐怖さえ感じる。
「優志さん? どうかなさいましたか?」
「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしちゃった」
いけないいけない、今は目の前にある問題に集中しないと。僕は両頬をぱしぱし叩いて気合いを入れ直した。じんじんとした疼痛が頬に残っている間に、月ノ宮さんの提案を思い出す。
月ノ宮さんは『クラスにいる女子全員から手作りチョコを貰える状況を作る』と言っていた……そんな状況、どうやって作り出すのだろうか。
──いや、方法はある。
「月ノ宮さん。もしかして僕らのバレンタイン企画をクラス企画に昇格させるつもり?」
「そこまで察しがいいんですね……まあ、その通りです。クラスにいる女性達の中には、佐竹さんにチョコを渡したくても渡せない子がいます。然し、このイベントをクラス企画に昇格させれば〝全員に配布する〟という大義名分の元、佐竹さんにチョコを渡せるのです。特別感は無くなりますが、今の状況ではこれで妥協して貰えるでしょう」
「……って事は、僕は宇治原君に手作りチョコを渡さなきゃならなくなるって事だよね」
嫌だなぁ、嫌だなぁ……。
稲川淳二ばりの『嫌だなぁ』が頭の中を駆け巡る。
「ここまでの話で、何かご質問は御座いますか?」
「質問、とまではいかないけど……」
不満だけはしこたま拵えております、お嬢様。
「その後に愛の告白をするのかは各自の自由です」
……うん?
「私はその日の終わりに、もう一度、恋莉さんにアタックします」
【備考】
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by 瀬野 或
〔修正報告〕
・現在無し