一百八〇時限目 僕らのバレンは最高にタインっている ⑤
人生山あり谷あり、なんて言葉がある。順風満帆に物事が進めばそれに越したことはないが、そうもいかないのが世の理。人生という大きな括りの中で、常に上昇するなんてのはそれこそ異常だろう。
イカロスだって落下したし、林檎だって落ちる。
その様は正しく急降下であり、今の俺と相通じる物を感じてならない。
現在、俺は学校生活という小さな社会の荒波に揉まれていた。
不平不満は各々あったんだろう。それでも俺に付き合ってくれていたのだから感謝こそすれど恨むような事はしたくない。だが、心の中で、胸の内で、脳裏に霞む言葉は呪いのように、俺の感情を逆撫でた。
このままでいいはずがない。
──まあ、そうだ。
割とガチで今回の騒動に危機感を覚えるが、それをどうこうするような事は、きっと、今の俺には不可能なのだろう。だから時間が解決してくれるまで、俺は口を塞ぎ、目を閉じて、アイツらから向けられる視線に耐える他にない。
……本当に、それでいいのか?
「わっかんねぇ……」
自問自答を繰り返せど牛歩を辿り、確信的な答えを得ようにも、俺の頭で考えても時間の無駄だ──全く、何がバレンタインだよ。全然ハッピーな気分にならねぇじゃねぇか、クソが。これならマックのハッピーセットの方が、余程ハッピーでヤッピーな気分になれる。けれども俺は今の今まで、ひたすらに『アイッ……ショ! ずこー』の連続。ジャンケンマシーンの『ずこー』を考えたヤツって、マジで煽り上手いだろ。ガチで。
「おはよう、佐竹」
「あぁ……」
俺は挨拶の代わりに片手を上げた。
「……選手宣誓?」
「ちげぇよ、ハイタッチだろ。普通に」
優志は絶対にハイタッチをしようとしない。これまで何度か試してみたが、今回のように上手くはぐらかして逃げられる。然し、今回のボケは『選手宣誓』か、まあ、そういう観点から視れば、そう視えなくもないか──視えねぇよ。
優志は俺に挨拶を終えると、後ろの自分の席に腰を下ろして、いつも通り本を広げた。ページを捲る音が訊こえるので、おそらくそうなんだという予想だが。
優志はいつも読書を決め込んでいる。
毎日毎日、それはもう生活の一部であるかの如く、飽きもしないでページを捲る。なんて作者の本だったかな……、確か〈ハロ何とかかんとかソン〉、そんな名前の作者だった気がする。前後の言葉をくっつけると〈ハロソン〉か、まるでゲームのメーカーのような名前になるな。頗るどうでもいい。
いつもならここで俺が席を立って、宇治原達がいる教室入口付近に向かうのだが、ここ数日は優志のように、自分の席で机に突っ伏しながら窓の外を眺める時間が多い。むしろ、優志達以外と話す機会が無いまである。アイツら、優志達は変な色眼鏡で俺を視たりしないからな。いや、優志はどうかわからん……うん? 割と恋莉や楓も俺に悪態を吐くから然して変わらないのか? 冗談なのか本気なのか、イマイチ反応に困る悪態だが、それを〈悪意〉と感じないのは、これまでの付き合いがそうさせているんだろう。
……それは、宇治原達も同じなんだけどな。
時間で言うなら優志達より、宇治原達と一緒にいる時間は長い。そりゃそうで、コイツらとは入学してからずっとつるんでいる連中だ。〈気心知れた仲〉だと思っていたが、それも俺の勘違い? またアイツらとバカやりたいと思うが、『仲直り』ってのも違う気がする。何だろうな、アレだ、アレ。アレって何だよ、語彙力無さ過ぎて引くわ。
昨日の朝、いつも通りに俺の前へと姿を現した恋莉と楓は今日は来ない。それもそのはずで、あれ程の嫌な視線を向けられたら、二人もさすがに堪えるだろう。それとも俺を気遣って、敢えて近寄らないようにしているのか……どっちでもいいか。
こうして窓の外を眺めていると、目線は空へ、耳は教室へと無意識に向く。女子達はチョコがどうの、友チョコがこうの、義理だ自分だと渡す相手が沢山いて大変そうだな。男子達の会話は俺の脳内がシャットダウンしているのだろう、一言も入ってこなかった。都合のいい話だが、そうでもしないとやってられない。教室にいる男子全員が敵に回ったわけじゃないが、いつもより距離があるのは明白。
世界が変わった、そんな気分だ。
……いや、変わったのは世界じゃなくて、俺自身かもしれない。
弱くなった。
大切なヤツらと接する自分が弱くなったんだ。どうでもいいヤツには好き勝手言えるのにな、あの時の初詣みたいに。
そう言えばあの大学生三人組の内の二人、タクヤとシンジはどうなったんだろうな。一応、姉貴には全て説明しておいたから、姉貴が大学で何かした……はずもないか。俺の尻拭いなんて絶対にしない姉貴だ、放置も放置、そして、大して増えない貯金と違って、姉貴への負債は直ぐに増える。だから、今回の件で俺に貸しを作りたいなら、姉貴は必ず動くはずなんだけどな、そういう話は出てこない。出てくる話は同人誌が云々、恋人である紗子さんがどうのという話。これでも姉貴は美大生のはずだが、学生という本分を全うしているのか怪しいものだ。この前なんて、「私の創作のために脱げ。特に下半身」と、弟のイチモツをデッサンしようとしたからな。何なんだ本当に。割とガチ目にイカれている。
紆余曲折はあったものの、姉弟関係は良好だと言えるだろう──ただ、それを世間一般的な『仲のいい姉弟』という言葉に照らし合わせると、俺は首を傾げざるを得ない。
そんな事を考えている内に、朝のホームルームは終わっていた。
* * *
コンタクトを取るのなら今が最適だ。
放課後にはダンデライオンでバレンタインの作戦会議がある。今日も遅刻したら、月ノ宮さんに何て嫌味を言われるかわからないので、今日こそイチバスに乗る必要があるのだ。そのためには前倒しで問題解決に取り掛かるべきだろう……けど、自分から声をかけるのって本当に気が乗らないんだよなぁ。しかも相手が宇治原君だ。気が乗らないレベルは、雨の日に自転車を漕いで、途中にコンビニに寄らなければならないくらい気が乗らない。とどのつまり、愉快な行動ではないのは確かだ。不愉快ついでに言えば、本日の天気は曇りで、午後には雨が降るという事。しかもコンビニに立ち寄る用事があるのでこれはもう詰みだ。フラグ回収乙!
さて、問題は『なんて言葉をかけるべきか?』だ。郷に入っては郷に従え、なんて言葉があるので、僕も彼らに倣い、「ウェーイ!」と声をかけるべきだろうか?
──そんなの罰ゲームだろ。
ではでは、朝の佐竹みたいに片手を上げて馳せ参じるか?
──横断歩道を渡る子供か。
これは何ともゆゆ式事態……いや、由々しき事態だ。
はてさていっかなこれ如何に、と頭を抱えていても、こればかりはどうしようもない。だって僕はウェーイの者ではないのだから、彼らが納得する挨拶ができるはずがないのである。
心頭滅却、色即是空、五里霧中……。
頭の中で念仏を唱えるようにして精神を曼陀羅へ。
空海が悟りを開いたように。
──駄目だ、そんなのウェーイ勢に通じるはずがない。
「……で、オレの所に来たわけか」
「いやほら、アマっちなら何とかなるかなって」
「そのあだ名で呼ぶな殺すぞ」
ここまではいつもの挨拶みたいなもの。
……本題はここからだ。
「流星はさ、宇治原君達と交流があるでしょ?」
「不本意ながら」
不本意なんだ……宇治原君、可哀想に。
「仲介役を任せたくてさ」
「誰と」
「宇治原君と」
「誰を」
「僕と」
お前、気は確かか? と、流星は嘲笑を浮かべた。
僕だって今からする事は〈狂気の沙汰〉としか言い様がない。自ら火中の栗を拾うようなものだ。それが『佐竹のため』というのだから、本当に気が狂っているとしか思えない。それでもこれまで佐竹には色々と借りがあって、特に僕を気遣ってくれていた面では、残りの学校生活では返せない程の恩義を感じている。まあ、結果として僕は孤立を選んだので、その時点で恩を仇で返しているようなものだけど、それでも声をかけてくれたり、悪い影響を与えるような事態を未然に防いでくれていたりと、他にも色々な恩がある。
だから、この状況は気に食わない。
僕だけでなく、宇治原君やその他のウェーイも、佐竹に何かしら恩情を受けているはずなんだ。
「それで、宇治原を止めようって腹か」
「ううん。違う」
僕は首を振った。
「僕は真実が知りたい、それだけだよ」
「それだけ、か。〝それだけの事〟が〝どれだけ大変なのか〟もわかってるんだろ」
流星は頬杖をついて、退屈極まりないと言いたげな眼を向けた。
「──今日はトッポの気分だ」
「……トッポ?」
「トッポも美味いぞ。ガルボとはまた違ってな」
つまりは仲介手数料って事らしい。
数百円で話が進むのなら喜んで差し出そう……流星はチョコ好きなんだろうか? 流星の描く〈男子のイメージ〉は硬派なもので、甘い物が好きなスイーツ系男子ではないはずだけど。
この前の〈らぶらどぉる事件〉以来、流星の影に女性的な一面を垣間見るようになった。〈ガルボ〉や〈トッポ〉なんかも、おそらくその一面に含まれる。それでも、いつも仏頂面であり、気配を殺して歩くのが癖になっていそうな雰囲気は現在だけどね。毒とか効かなそう。そして千鳥とか使えそうでもあるな。平たく言えば『いい厨二病』だけど、厨二病によいも悪いもあるのでしょうか?
「わかった。帰りにね」
「交渉成立、だな。……けど、今日はバイトがある。明日持ってこい」
はいはい、と僕は頷いた。
帰りに立ち寄るコンビニで買う物が増えたが、これはいよいよ運命さんが、存在〈x〉が、フラグを回収しにきているな……案の定、窓を打ち付ける雨音が教室に響き渡った。
【備考】
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by 瀬野 或
〔修正報告〕
・現在無し