一百七十七時限目 僕らのバレンは最高にタインっている ②
担任の三木原先生が眠そうに帰りのホームルームの終わりを告げると、各生徒達は思い思いの場所へと雲散霧消する。部活に行く者もいれば、教室の隅っこで駄弁るヤツもいて、それはいつもと変わらない日常風景。バレンタインデーが近いというだけあり、男子諸君は「チョコがちょこっと貰えればなぁー」と、女子たちをちらり。そんな粗末な駄洒落でチョコが貰えるのなら、それは正しく義理チョコであり、義理の拍手であり、義理の笑いだ。義理義理過ぎて崖の上を歩くような危うさ。まん丸お目目の女の子も魚に戻るレベル。
放課後はダンデライオンに集まる予定なので、僕は足早にこの場所から離れようと立ち上がる。けれど、まるで行く手を阻むように背後から声をかけられた。
「よう、鶴賀」
振り向くとそこには、両手を制服のズボンのポケットに入れて、少し猫背の姿勢で含蓄のある笑みを湛えている金魚のフン君がいた。通称宇治原。下の名前は知らない。というか知りたくもないし興味も無い。
「なに」
彼の含みを善としない僕は、軽蔑するような眼差しで悪態を吐くように答える。
「まあまあ、そう邪見にすんなって。な?」
佐竹は既に教室を出ていたので、佐竹がいない今を狙って僕に話しかけてきたんだろう。顔を合わせづらいのはわかるが姑息なやり方だ。
「僕、忙しいんだけど」
「少しだけでいいから話を訊けって。……なあお前、佐竹をどう思う?」
「どうって?」
そりゃあ、面倒臭いとか、馬鹿だなとか、リア充だなとか、語彙力が小学生だなとか──そんなものだ。
「アイツ、調子に乗ってるって思わねぇ?」
「調子に乗ってる?」
「ああ、そうだ」
何を言っているんだ、宇治原君は。
佐竹が調子に乗るのなんて、今に始まった事じゃないじゃないか。それを今更になって『調子に乗ってる』なんて言われても、マリオに向かって「コイツ、キノコ食べて大きくなったぞ!」って言っているようなものだ。つまり、それは公然に知れ渡っている事実であり、佐竹の常識。そんなものを掘り返した所で、『そんなことよりおうどんたべたい』くらい興味の無い話だ。うどんが好きなのは流星だけどね。
とは言っても、宇治何とか君が僕に接触してきたって事はこれまでに一度も無い。
要件は想像に容易いけれど──
「それで、僕に何か用でも?」
「お前さ、割とアイツと仲いいだろ。席も近いし」
「うん」
「うぜぇって思ったこと、ねぇの?」
僕はその質問を訊いて、思わず吹き出してしまった。
佐竹がうざいと感じた事なんて五万とあるし、何なら今でも面倒だと思う。早い所、いつも通りのウェーイに戻ってくれないと、僕としても調子が狂うんだ。だから現実問題、宇治抹茶君の問いには首肯できるのだけれど、それではこの姑息な男の思う壷に嵌ってしまう。どうせ、僕から情報を訊き出して、佐竹転覆を目論んでいるんだろう。
……それならそれで、宇治金時の策略がわかるかもしれない。
僕はすっとぼけた表情で、
「まあ、多少は……、それが何?」
と、興味有り気に訊ねた。
「そろそろ世代交代もいいだろ? オレらはもうすぐ二年になんだし、いつまでもクラスを佐竹に任せるわけにはいかないと思うんだ」
「はあ……、それで?」
「アイツの人気が低迷すれば、支持率も下がると思わないか?」
──だから、佐竹を陥れて自分が優位に立つってことか。
それは最高だね、是非とも参加させて欲しい。
佐竹以外にこのクラスをまとめ上げられる人材がいるのなら、僕は両手を上げて支持しよう。でも、それがこの蛆虫君に務まるとは思えない。まあ、僕としては、そうして崩壊していくクラスに絶望する宇治某君を視るのも悪くないと思う──とか、そこまで僕は性格が捻くれてはいない。
人には適材適所という場所がある。
野球でポジションに分かれるのもそうだし、それはサッカーやバスケでもそうだ。ゴールキーパーが突然リベロに転向して、自陣のゴールから前線に上がり、相手のゴールにシュートを決めるなんて戦法が通用するはずもないのだ。超次元サッカーじゃあるまいし。
僕は自分の立ち位置というのを理解している。『僕は影だ』よりも更に影。陰の者。ゲームで喩えるならば〈村人Z〉であり、『なんでこんな所に村人を配置したんだ?』と思うレベルの無駄な存在。これはもうバグと言ってもいいだろう、そこが僕の立ち位置だ。だが、この宇治……もういいか、宇治原君は自分のいるべき場所は日陰ではなく日向、太陽の元だと自惚れた思考を抱いたらしい。何というプラス思考だ。僕もあやかりたいものだね。
「──それで、だ。何かいいネタはないか? と、お前に訊こうと訪ねたってわけだが」
「そうなんだ。頑張ってね」
「……は? いや、だからネタを」
「いやぁ、申し訳ないんだけど、僕はこれから塾があるだ。そこの教師が怖い人なんだけど……あ、そうだ! もし宇治原君が自分の学力を上げたいと思うなら紹介してあげるよ! これも何かの縁だ。今なら入会手数料が無料で、特典が──」
「ああ、ああ……、もういい。わかったわかった。お前に訊いたオレがバカだったよ」
よかった。彼は自分が馬鹿だと気づいたようだ。
僕の嘘すら見抜けない間抜けな宇治原君に、国家転覆なんて無理な話なんだから、大人しくしていればいいんだよ──と、心の中で呟きながら、取り巻き連中の元へと踵を返した宇治原君を他所に、僕は反対側のドアから教室を出た。
* * *
「お前、いつから塾に通うガリ勉になったんだ」
廊下に出ると、壁に寄りかかっていた流星が僕に話しかけてきた。
「盗み訊きとはいい趣味してるね」
「ああ、オレもそう思う」
流星に対して皮肉は効かない。何故なら、流星と僕は一脈相通ずる所があるからだ。気を許して話せる相手、そういう人材か佐竹以外にもできたのは喜ぶべき事だが、流星は流星で、様々な問題を抱えていたりと、両手放しで話ができるわけでもない。
「こんな所で待ってたって事は」
「別にオレは国家転覆を目論んでるわけじゃない。義信はよくやっている。オレはヤツに不満が無いわけじゃないが、アイツを差し置いてこのクラスをどうこう出来るヤツもいないだろう」
「さすがはアマっち」
佐竹との付き合いは僕よりも深いって事か。
「そのあだ名で呼ぶな殺すぞ」
久しぶりに決まり文句が訊けて満足だ。
「お前、これからあの店に行くんだろ」
「まあね」
「オレもいいか。久しぶりにあそこの珈琲が飲みたくなった」
「いいけど、バイトは?」
雨地流星はここから離れた東京の隅っこにある場所で、〈メイド〉の〈エリス〉として働いている。人気のメイドになったらしいけど、こんな所で油を売っていていいのだろうか?
「今日は非番だからな」
「そうなんだ」
「ああ。そういう事だ」
それから一言二言話を交えて、昇降口まで続く廊下を歩く。この廊下を歩くのも残り数ヶ月だ。四月には僕らの教室は真上にある二年三組となり、一年生が入ってくれば、現在の教室は彼らのテリトリーとなる。思い入れは……特に無いな。強いて言うなら〈お好み焼き喫茶〉でえらい目に合ったくらいだろう。あの時はまさか、自分が優梨の姿でクラスに入るとは思いもしなかったもんなぁ。
然し、二年生か──。
二年三組は一年三組の真上であり、一階と二階で構造ががらりと変わるわけでもないが、昇降口へと続く階段を上り下りしなけらばならないのが少々億劫。ただでさえこの学校は標高のある山を切り開いた場所に存在していて、ありとあらゆる所に坂があるのに、校舎の中まで階段を上り下りするのは七面倒臭い。三組の近くにある非常階段から下りるという手段もあるが、昇降口へと続く距離が近くなるかと言えば、そんなの誤差程度だ。規則正しく、正規ルートで向かう方が手っ取り早いのなら、行きも帰りもこの道を選ぶだろう。
宇治原君のせいで大分時間ロスしてしまった。そのせいで乗ろうとしていたイチバスの時間を逃してしまい、昇降口へと来たものの、今、バス停へと足を向けたとして、バスが来るのは三〇分後。
「義信たちは先に向かったんだろ」
靴に履き替えながら、流星は誰に訊ねるでもないように呟いた。
「多分? 時間までは指定してないけど、イチバスで向かったと思うよ」
「そうか。……暇になったな」
「暇になったね」
外はすっかり夕暮れ。雲の隙間から溢れる太陽の光が滲んだ空。放課後の風景。何気ないこの当たり前の景色が、いつか思い出になるのだろうか? きっと、全てを笑い話で片付ける日もやってくるんだろう、そこに差し込む痛みを忘れようとしながら。感傷に浸るのも悪くはないけど、それは今するべき事じゃない。
こういうのはもっと、自分の存在価値とか、存在証明とか、生きる意味とか、死に対する憧れとか、そういう馬鹿馬鹿しい事を考えながらするものだ。
僕と流星は昇降口で靴に履き替えたはいいものの、どこへ向かうべきか思案を巡らせていた……その時、どこからともなく颯爽と姿を現したのは自称名探偵、体は子供、頭脳も子供、それは子供! の、関根泉。
「ゆーくん発見!」
関根さんとは色々とあり、携帯端末でメッセージを頻繁にやり取りする間柄にまでなった。その過程で僕を『ゆーくん』と呼ぶ事に決めたらしい。いつまでも『つるるん』とか『つるとんたん』とか、変なあだ名で呼ばれるよりは数倍マシなので、僕はこの呼び名で手を打った。
「おやおや? そこにいるのは赤い彗星!」
「流星だ。オレはキャスバル・レム・ダイクンじゃない」
「じゃあ、ダイくん!」
「おい優志、このツインテールを黙らせろ」
流星──それは難しい相談だよ、と僕は溜め息を零す。
「お二人さん、こんな所で何してんの?」
関根さんは小首を傾げながら、右手の人差し指を顎辺りに当てて、僕と流星を交互に視ながら訊ねた。
「イチバスを逃して途方に暮れてた所だよ」
「そんな所だと思ったけどね!」
どやぁとキメ顔を僕らに向ける。
「なあ優志。コイツのツインテールを引っこ抜いていいか」
「これは脱着不可能だよ!?」
関根さんはわざとらしく、自身の頭部から生えているツインテールを両手で引っ張って証明するも、流星は「いや、わからないだろ」とやる気満々だ。
「それはどうでもいいんだけど、どうして関根さんはここに?」
「そんなの決まっているではないか!」
いちいち決めポーズをしなければ話せないのだろうか? それともそういう縛りプレイ? ソシャゲでのアピールは、時に煽りになるから止めた方がいいよ?
「二人に構ってもらうため、だよ!」
とどのつまり、関根さんも暇だったらしい。
イチバスを逃すとこういう羽目になるのだから、今度からはもっと時間厳守で動かないとな。流星だけならまだしも、そこに関根さんというカオスが加わったら手がつけられない。流星は無表情で関根さんのツインテールを引っ張っていたが飽きたようで、「助かったぁ……」と関根さんは安堵した。これも青春の一ページだとするのなら、僕の青春は混沌、その言葉以外に上手く当てはまる文字は存在しない。
【備考】
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これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
〔修正報告〕
・2019年7月27日……本文の修正。
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