二時限目 大学生の佐竹姉は腐っている 1/2
佐竹宅は二階建ての一軒家で、大豪邸みたいな豪華絢爛さは無い。極めて一般的な普通の家──僕の家も似たようなものだ──それ以上でも以下でもなく、同じような家がずらりと並ぶ静かな市街地に、当然かってくらい溶け込んでいた。
しっかしなあ。
他人の家にお邪魔するのは何年振りだろうか。小学校までは友人の家にも招かれていたけれど、中学生にもなるとそういうこともなくなったので三、四年振りくらい? 妙に緊張して足が進まない。
玄関先で中に入るのを躊躇していたら焦れったいと言いたげな様子で、「入れよ」と急かされた。ちょっと待って、まだ心の準備が──なんてたじろぐ暇さえ与えて貰えず、ずいずいっと背中を押されて半強制的に佐竹宅へ。
他人の家は独特な匂いがする。
僕の家は靴箱の上にラベンダーのフレグランスを置いているけれど、佐竹宅の玄関は石鹸の匂いがほんのり。それに混じって、なんだろう……油絵の具のような匂い? も混じっていた。佐竹君に絵心は無さそうだし、家族のだれかがそういった趣味を持っているのだろう。
絵描きの才能を引き継げなかったのは痛手だぞ、佐竹君。まあ、イケメンだから欠点さえも魅力になるんでしょうね。ふーん、ムカつくじゃん。
住み慣れた我が家の廊下を迷いなく歩く彼の後ろを若干の気まずさを覚えながら、のっそりのっそり着いていった。
短い廊下を進んだ突き当たり。迷いなく扉を開けた部屋は家族水入らずのリビングになっているようで、ほろ苦い珈琲の香りが漂ってる。
「あ、おかえり義信」
リビングにある楕円の木製テーブルで作業をしていた女性は僕たちの気配を感じて手を止めると、すっと顔を上げた。右手に持っているのはボールペン。テーブルにはこれでもかと言わんばかりに白い長方形の紙が散りばめられている。
佐竹君はその光景を見て、迷惑そうに眉を顰めた。
「またかよ……」
殊更に嫌そうな声音で、舌打ちをしながらぼやく。
これが佐竹家の日常らしい。
「姉貴、またリビングで原稿描いてんのかよ。それ、自分の部屋でやってくれって何度も言っただろ。マジで」
なにを描いているんだろう? 遠目に覗き込んでみた。
どうもそれは『漫画』のようだ。
佐竹君のお姉さんは〈ネーム〉と呼ばれる作業をしていた。多分、知らないけど。似たような光景を、アニメや漫画で見たことがある気がする。
描いているのは……ここからでもわかる腐臭。男と男がくんずほぐれつしているシーンを辺り構わず堂々とリビングのテーブルで描いているとなると、佐竹姉のメンタルは鋼以上。いや、漫画家は図太い精神じゃなきゃ成り立たないとも訊く。滝行でもしていたり……するはずないか。
姉弟というのは似たり似なかったりするものだが、こういう謎メンタルは姉弟共通らしい。だが、共通しているのはそこだけではない。
弟がイケメンなら姉も姉で、荒々しくボサボサに乱れた髪も、シャツの襟からはみ出した肩も、そういう〈隙〉でさえ佐竹姉には『魅力』の一つになっていると頷ける。ちゃんと居住まいを正していたら思っている感想よりも遥かに違う印象を受けるはずだ。
「後ろにいる子は?」
「クラスメイトの鶴賀だよ」
自己紹介をする雰囲気だよね、と前に出た。
「初めまして。鶴賀優志です」
佐竹姉は僕に興味を示すように目を細めて、下から上に舐めるように視線を送る。暫く吟味してから自分の中で納得したかのように頷いて徐に立ち上がり、僕の目と鼻の先まで近づいてきた。
「もしかして〝オトコノコ〟だったりする?」
「男子ですね」
絶対に『男の娘』って訊かれたよね? 背筋がぞわりと震える。冷たい悪魔の指先が背中を撫でたようだ。弟が弟なら姉も姉ってか? 姉弟揃ってぶっ飛んだ思考を持っているだけに質が悪い。
おかげで僕は完全にアウェー状態だ。味方になってくれる人なんて存在しないが、そもそもそれはいつものことだ。状況は普段と変わらないことに気がついて自分が不便に思えてくる。いたたまれないなあ……気分が沈むのを咳払いで誤魔化した。
佐竹宅に来てしまったことを後悔し始めていた頃、佐竹君は僕なんてお構い無しに「あのさ」と姉に質問している。
そう言えば、と思う。教室で僕に頼み事をする時も開口一番に、『あのさ』と、言っていた。──佐竹君の口癖なのだろうか?
なんて分析をしていると、知らず知らずトントン拍子に話が進行していることに全く気づけなかった。
「実は、姉貴に頼みがあるんだけ──」
「わかった任せなさい」
双子タレント並の反応速度だ。
僕でなければ見逃していたに違いない。
阿吽の呼吸かの如く返事をした佐竹姉は、弟が言いたいことを心得たような表情で、歓喜と、獲物を見つけた獣のような鋭い目付きで僕を品定めし始めた。嫌らしい目つきだ。内側まで見透かされてしまいそうな眼光に思わず後退り。
「ふむふむなるほど。これは素晴らしい素材ね」
褒められているようだけれど、嬉しさは込み上げてこないのはどうして?
「初めまして。義信の姉、琴美です。えっと……ゆうりちゃん、だっけ?」
この人、絶対にわざと間違えたな。
「優志です。それと〝君〟です。男です」
五七五で訂正。
「あ、そっかそっか」
悪びれる様子もなく、飄々とした態度で話を続ける。
「まだ〝優志君〟だもんね? ごめんごめん」
まだって、どういうことだよ。
「大丈夫! ちゃんと〝優梨ちゃん〟に仕上げてあげるから! お姉さんにお任せあれ♪」
僕の直感が囁いている! このままこの家にいたらヤバい。絶対ヤバい。語彙力が無くなったのはフィールドのデバフ効果のせいだ。
「そ、それじゃこの辺で……」
さっさとこの家から脱出を試みるべく切り出したが、佐竹君が行く手を阻むように後ろに回り込んで退路を断った。ふざけるな、と睨んでみても僕の睨みなんて大した効果もない。
「悪いな鶴賀。犠牲になってくれ」
「犠牲!?」
「ダイジョブダイジョブ! 全然怖くないからねー? 直ぐに可愛い〝男の娘〟にしてあげるからぁ」
腐腐腐♪
「ヒェ……」
そして。
僕は有無を言うことさえ許されずに他人の家でシャワーを浴びせられて、現在、琴美さんの部屋のドレッサーの前に座わらされている。
「さあて、優梨ちゃんに変身させてあげるわね♪」
「もう本当に、勘弁してください……」
「鶴賀。お前が変身してくれないと俺が困るんだ……姉貴、ガチで頼む」
美大生を舐めないでくれる? 琴美さんは腕を捲るような仕草をしながら細くて白い腕に力こぶを作ってみせた。
ないなあ、僕くらい筋肉ないんじゃない? あ、それは僕の筋肉が女性と変わらないってことにも……筋トレしなきゃ! 三日坊主がオチ。
「私にかかれば〝アホ面のオッサン〟も〝普通面のオッサン〟に出来るわよ?」
それ、紛うことなきオッサンですよね。
【備考】
読んで頂きまして誠にありがとうございます。
もし面白いと思って頂けたらブックマーク・感想・評価よろしくお願いします!
また、誤字などを見つけた際は『誤字報告』で報告して頂けると助かります。確認次第、修正すべきと判断した場合、感謝を込めて修正させて頂きます!
これからも【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2019年1月8日……誤字報告にて誤字修正。
「ありがとうございます!」
・2019年1月9日……本文を改稿。加筆。
・2019年2月3日……読みやすいように本文を修正。
・2019年7月19日……本文の微調整。
・2019年11月9日……改稿。
・2021年2月4日……本文の微調整。