一百七十六時限目 僕らのバレンは最高にタインっている
高さや角度が変わるだけで、視える風景は変化する。
──それは風景に限った事ではない。
入学当初から地味に変化を遂げているものの、さほど変わらないように思えるクラス連中だって、時が過ぎれば変化が起きるものだ。
何も知らなかったあの頃とは違い、現在は誰がどういう性格で、どういう思考の持ち主なのかある程度理解をしている。
彼ら彼女らは、自分に有意義だと思う相手を選びぬいた。
その結果、大きく分けて五つだったグループも、今では小規模な『同好会程度』のグループ含め七つか八つくらい出来上がっていた。当然、佐竹義信率いるウェーイ軍団もその影響を受けており、佐竹に金魚のフンが如くくっついていた宇治原君も、今では別のグループを作って和気藹々と談笑していた。
ここまでグループが形成されるとなると、佐竹もこれまで通りクラスをまとめる、とはならなそうだ。そう僕は肌で感じていた。
どこか互いに牽制しているような微妙な距離感。
まるで不可侵条約でも結んでいるかのような、ATフィールド全開な壁が展開されているようにも思えてならない。
こんな状況の時、僕は笑えばいいんだろうか? でもここで笑ったら、佐竹を嘲笑しているようできまりが悪い。
いつまでも『爽やか三組』ではいられない。
佐竹だって、そんな事は百も承知なはずだ。
そもそも学校というのは勉強をする場所であって、友達とドラマやゲームの話に花を咲かせたり、恋愛に現を抜かすような場所ではない。
だから僕の言っている事は概ね正しい。
何なら、この場にいる誰よりも健全だと自負している。
……おおっぴらに出来ない事情はあるけど。
人間、生きていれば秘密の一つや二つ、一〇や二〇はあるはずなんだ。
──無い? いや、あるでしょ? あるよね?
このクラスがこんな状態になってしまった理由は、佐竹が機能しなくったわけではない。
これまで培ってきた佐竹への信頼、通称『佐竹システム』は健在であり、表向きは彼を中心にクラスは動いている。
ではなぜこうなってしまったのか?
原因となる理由は数日後に訪れる『バレンタインデー』に他ならなず。
バレンタインデーなんて一過性のチョコレート配布イベントに、どうしてこうも憂き身を窶すほど思い悩むのか理解に苦しむ。ほら、ハッピーバレンタインデーなんだろ? 笑えよ。幸せだろ? こんな台詞、一度でも言ってみたいものだ。
何が原因なのかをもっと掘り下げて考えてると、『ああ、なるほど。そういう事か』と言えなくもないのだ……そう、それは『佐竹が原因』なのである。
佐竹は馬鹿だけど阿呆ではない。
クラス行事に関してはクソ程も役に立たない彼だが、『方向性を示す』という点に置いて佐竹の右に出る者はいないだろう。
それこそが、『佐竹こそこのクラスのリーダー』たらしめる理由だ。
馬鹿なりに考えて、馬鹿なりに行動して、馬鹿なりに努力する。その姿はある種の『憧れ』という感情を生み出し、ある種の『恋心』のようなものを抱く者もいるだろう。
要するに彼は、『昼行灯を演じている』ように思える。
──そんな事は絶対に無いんだけどね。
わざと馬鹿のように立ち振る舞い、ここぞという時に真価を発揮すれば、そのギャップにくらりとする女子もいるんだろう。知らないけど。
詰まる所、このバレンタインデーイベントは『佐竹争奪戦』となっているのだ。
普段から佐竹と接している僕には失笑物だけれど、他の男子からすれば面白くない。『身から出た錆』と言ってしまえばそれまでだけど、日に日に窶れる佐竹を不憫に思う。だから僕は天神を決め込むわけにもいかず、我関せず焉としてソシャゲの周回に勤しむわけにもいかないのだ。
* * *
「はぁ……」
朝っぱらから大きな溜め息を吐く。佐竹の背中はまるで連勤中のサラリーマン。今日も上司に嫌味を言われ、部下は凡ミスを繰り返し、家に帰れば妻が邪魔者扱いをする。旦那元気で外がいいとは言われるけども、嗚呼、誰か世のサラリーマンに救いを。佐竹には安寧を。そして僕にはガチャ石を。
僕は項垂れている佐竹の背中をシャーペンの背で小突いた。
「……なんだよ。今マジでアレなんだから放っておいてくれ。普通に」
机に突っ伏した状態で振り向きもせず、佐竹は気怠そうに反応した。
「普通じゃなさそうだからこうやって声をかけたんじゃないか」
声ではなくてシャーペンの背、だけど。
「お前の普通はシャーペンで背中を小突く事なのか、そりゃヤバいな」
……どうしよう、殴りたい、春〜spring〜。
佐竹に『普通の何たるか』を言われる筋合いは無いのだが、ここはぐっと堪えて、心の中だけで『ふははは! スゴいぞー、カッコいいぞー!』と社長の真似をしながら、滅びのバーストストリームを放っておく。
……冗談はさて置き。
佐竹がここまで滅入っている姿は初めて視るかもしれない。
佐竹の姉である琴美さんとの姉弟喧嘩の時とは状況が違うので、当然と言えば当然だが……いつもクラスの事を考えて行動していた佐竹に対して、反旗を翻すような男子連中を、僕は心底軽蔑する。
特に宇治原、お前は駄目だ。
然し、僕がどうこうできる問題ではないのも事実。
佐竹に対して何かできる事は、こうして慎ましくちょっかいを出して、甲斐甲斐しく毒を吐き出させるくらいなものだ。そう言えば一時期、水を吐くフグの画像が話題になったな。今回の件とは関係無いけど。
「ちょっと、いつまでそうしているつもり?」
いつの間にやら佐竹の席の隣りに立っていたのは、このクラスでも人気の高い天野恋莉、その人である。
彼女からチョコレートを受け取りたいと願う男子諸君の視線が集中している事に、天野さんは気づいているのだろうか? 多分、気づいてないんだろうなぁ……。
「なんだよ恋莉、文句あんのか?」
「文句なんて今に始まったことじゃないわよ。けど、そうやっていつまでも、悲劇のヒーローみたいにされてたら迷惑だわ」
どぎつい一撃が佐竹の心を抉った。
やめて! 佐竹のライフはゼロよ!
そんな言葉が僕の脳裏を掠めて、危うくもう一人の僕がデュエリストとして覚醒する所だった。
もう一人の僕って誰? 優梨の事だろうか?
……ないな。然なきだにないな。
「うるせぇな。わかってんだよ」
「佐竹さんの気持ちもわからなくはないですけど」
天野さんの影からひょっこりさんしたのは、このクラスでおそらくダントツ人気を得ている月ノ宮楓。
月ノ宮製薬社長の娘であり、勝利に執着するのは父親譲りなのだろうか? 『勝利のためなら手段を選ばず』というのがモットーのようで、その美貌と回る舌を使って、これまで幾度となく僕に突っかかってきた。助けられた部分も多いけど──気づいて欲しい。今、月ノ宮さんが佐竹と接触する事は、デメリットにしかならない事を。
「考え過ぎは体に悪いですよ」
「わかってる。頼むから一人にしてくれないか? お前ら、もう少し周囲に気を配れよ、ガチで」
佐竹に指摘された二人は、はっと周囲に眼を向ける。
矢を射るような視線の数々に、二人はぞわりと背筋が粟立ったのか、寒気までするように、両腕を摩りながら身を縮めてしまった。
「あまりいい状態とは言えないですね……」
甘いバレンタインデーになるはずが、激辛のバレンタインデーになってしまうであろうこの状況下で策を練るにしても、バレンタインデーが終わるまで待つ他に手段は無い──それで本当に解決するだろうか? これが本当に一過性のイベントだったら、翌日、「普通にチョコレート貰えなかったわ! ガチで」と冗談半分に笑いを取って終わるのだろう。それが理想。
然し現実はどうだ? 一度亀裂が入った状態から元に戻すのは難しい。
『アイツがあの時あんな事やこんな事を言った、やった、あーだこーだ、すったもんだ』
と疑心暗鬼に陥り、そのまま卒業式まで喋らないなんてよくある話。『すったもんだ』はちょっと違うか。吸った揉んだ、だもんね。
佐竹や天野さん達にとって、このバレンタインデーがどいうものになるのか気になる所だけど、僕にこういうイベントは無関係だ。だからこそ、この中で僕だけが冷静でいられるんだろう。
「優志さんはバレンタインデー、どうされるんですか?」
「……僕?」
月ノ宮さんは「はい」と頷いた。
「いや、別にどうもしないけど……」
「そうなんだ……」
え? なにこの天野さんの反応は。
まるで僕も、この浮ついたイベントの当事者であるかのような口振りだ。
「彼女が誰にチョコレートを渡すのか、興味あったのですが……」
「それってもしかして」
考えるまでもない、か。
僕の内側にあるもう一つの性。
彼女がこのイベントに関わらないというのは不自然だろうか? 経験しておいて損は無いけど……然しなぁ。今、このイベントに参加するのは正解とは言い難い。それに、僕、いや、優梨が参加するとなると、今度は内輪で揉める事にもなりかねないだろう。
──だけど、
「……作って、みようかな」
がたり、と佐竹は椅子を揺らして振り返った。
「マジか!?」
「お世話になった人達に、ね」
「そうか、マジか……」
それはどっちの『マジか』なんだ?
「それならみんなで作らない? 一緒に作ったら楽しいわよ?」
「いいですね! では、ホテルの調理場を借りられるか交渉を……」
「いやいや、そこまでしなくていいわよ。誰かの家に集まって、そこで作ればいいじゃない。……そうだ、佐竹の家なんてどう?」
「別にいいけど、姉貴がいるぞ?」
「琴美さんにもお世話になった? ……と思うし」
疑問形なのが正直な感想だ。
琴美さんにはお世話になったというか、お世話をしたというか、厄介事を毎回持ち込まれているイメージしか無い。でもまあ、お世話になったと言えなくもない、か。
「……どうでもいいけど、ここで話すべき内容じゃないよ。放課後に落ち合おう。喫茶店で」
僕の言葉に三人は頷き、一時限目が始まる予鈴と共に各々席へと帰っていった。
【備考】
この度は『女性男子のインビジブルな恋愛事情。』を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし、当作品を読んで、「続きを読んでみたい」「面白かった」と思って頂けましたら、〈ブックマーク〉をよろしくお願いします。また、〈感想〉はお気軽にご記入下さい。
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そして、ここからは私のお願いです。
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これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
〔修正報告〕
・2019年6月6日……私の凡ミスを修正。改稿。
・2019年7月27日……本文を修正。
ご報告ありがとうございました!
・2021年3月29日……誤字報告箇所の修正。
報告ありがとうございます!