一百七十五時限目 男装の麗人が婀娜めくまで 番外編
東梅ノ原駅から東京方面へ進む電車に乗り、がたんごとんと揺られて二〇数分。一つ乗り換えて到着した駅は、流星、いや、エリスのバイト先、メイド喫茶〈らぶらどぉる〉がある町。
さすがは東京、人で溢れている。
東京と言っても首都圏から離れた場所にあるのだが、それを考慮しても梅ノ原とは比較にすらならないであろう、息を呑む程の人の数。それが集合体であるかのように規則正しく整列して、規則正しく行進している。その様子は日体大の『集団行動』を彷彿とさせた。パフォーマンスとするならば、須藤元気率いる『WORLD ORDER』に近しいものを感じる。
ホームから階段を上り東改札口を抜けると、左右に広がる縦長の構造をした駅の内部。正面には駅と合体しているデパートの入口。それを正面に左が南口、右が北口だ。
「えっと、店の場所は……」
財布のカード入れの奥の方にしまい込んでいたメンバーズカードを取り出して、裏面にある地図を確認。どうやら北口に進むのが正解らしい。北口のゲートを出ると目の前に現れたのは、十字にクロスしてアーチを描く赤いオブジェクト。何だこれ、アートなのか? おそらくそういう意味合いの代物だ、と珍しい物を視るように傍観していた僕は、まるで東京の高層ビルを初めて視た田舎者丸出し。然し、実際に視るのは初めてだ。
アニメの舞台としても有名な町なので、このアーチ状のオブジェクトは度々舞台に描かれている。だから僕は思わずして聖地巡礼もしているのだ。ブッダとかイエスとか歩いてないかな。ないか。それともリメイクされた科学忍者隊でもいいが、そんなのが町を闊歩ていたらそれはそれで物騒である。
そんなくだらない事を考えながら、少し離れた場所にあるエスカレーターへ向かい、北口の広場から町へと下りる。
そのまま道なりに進んで行くと大きな交差点へと出た。
宝くじ売り場が近くにある交差点なんて、もし事故が起きたら大惨事だろう。運が尽きるのがこの場所ではない事を祈る。
その十字路を真っ直ぐ進むと……ああ、何だかきな臭い雰囲気が漂ってくる場所に出た。あまり子供が立ち寄るべきではない場所、ラブホテル街だ。
どことなくアウトローな空気を肌に感じながら更に奥へと進んで行くと、ようやく〈らぶらどぉる〉の看板を発見。
「到着、してしまった……」
もうここまで来たんだ、覚悟を決めろ。
自分を鼓舞しながら一歩ずつゆっくりと足を進めると、その外観が姿を現した。
ピンク色の看板に白文字、黒枠で『メイド喫茶らぶらどぉる』と、アニメチックなフォントで表記されている。入口の横にあるガラスには、このメイド喫茶のイメージキャラクターらしきメイドの姿をした女の子が、「おかえりなさいませ! ご主人様♪」という吹き出しと一緒に、笑顔を通行人達に向けていた。外から中の様子を覗いてみようとしたけれど、黒のスモークが貼ってあるのでそれは阻まれた。
「いやー、本当にマジか。普通にガチだよね……」
人間、テンパると佐竹るらしい。
あと一歩前へ進めば自動ドアが開く距離で棒立ちしていると、前へ進んでないにも関わらず自動ドアが勝手に開いた。
え、心霊現象!? もしかしてこのメイド喫茶は呪われていたりする!? 実はメイド喫茶ではなくて〈冥土喫茶〉なのか!? あと数秒遅れたら心の中で『はんにゃーはーらーみたーぎゃーてーぎゃーてー』と唱える所だったが、自動ドアを挟んで奥にいたのは、今日、僕をこの店に招待したエリス本人だった。
「何してるんだ」
「あ、あ……、あ」
「お前はカオナシか」
的確なツッコミに我を取り戻した僕は、改めて眼の前でふんぞり返っている人物を観察した。
金色の髪を肩まで下ろして、頭部にはヘッドドレス、衣装は割とオーソドックスな白と黒のメイド服、そしてニーソ。誰しもが『メイド』と言われて思い浮かぶのは、おそらくこの衣装だろう。
「そんな所で突っ立ってないで入ればどうだ」
「あ、うん」
踵を返したエリスはそのまま店内へ……とは進まず、その場で立ち止まった。
「何で入らないの?」
「ここから先は〝悪ノリ空間〟だ。いいか、この店で起きた事は全て忘れろ。それがお前のためでもある」
その触れ込みはいくら何でも物騒過ぎやしないかい……? まるで、『お前は何も見なかった、いいな?』と示し合わせるアニメや小説のシーンの一辺が重なる。
「……要するに、〝恥ずかしいから〟ってことでしょ?」
「……」
その問いには答えず、エリスはそのまま店内へと一歩踏み出して、くるりと一回転するように僕の方を振り返った。
「──遅かったじゃないか、ご主人様。待ちくたびれたぞ?」
びしっと右手の人差し指を僕に向けたエリスは、もう先程までの『通常モード』ではなく、『らぶらどぉるのメイド、エリス』を演じている。ふてぶてしい笑顔はいつも通りだけど、それが『エリス』の性格に相俟って、可愛いらしくもあった。
「こら、エリス。いつもいつもそんな態度で……ご主人様がお困りだろう? ──おかえりなさいませ、鶴賀優志様。ご到着、首を長くしてお待ちしておりました」
店の奥から現れたのは、僕と頭二つ分くらいの身長差がある燕尾服を着用した青年。青い髪は染めているのかウィッグなのか。日常生活に支障を来す程に濃い青なので、おそらくはウィッグだろうと推察する。
「あ、あの。どうして僕の名前を?」
「エリスからお話は伺っております。今日、エリスの大切なご主様がお見えになる──と」
「ローレンス様!?」
ろう、れんす……? ──ああ、きっとこの店での源氏名的なやつか。流星もこの店では〈エリス〉という名前を使っているから、それと似たようなものだろう。
「申し遅れました。私はこの店の総括を務めている〝ローレンス〟と申します」
ローレンス、と名乗った男はぴしっと背筋を伸ばして、角度ぴったり四十五度のお辞儀をした。ビジネスマナー的に言えば『敬礼』に値する角度だ。因みに最敬礼だと九〇度である。役職を『総括』と言っていたので、この店の店長という事だろうか?
──こんなに若いのに?
「これでも実年齢は三十路手前なのですが、……あ、今のはオフレコでお願いします」
慣れたように指を唇に、ウインクを僕に送った。
「さて、立ち話もなんですから、……どうぞ中へ。エリス、ご案内を」
「かしこまりました、ローレンス様。さあご主人様、こっちだ」
未だに状況も掴めていない僕を他所に、エリスに案内されるがまま店の奥へ。
縦長のこの店は『お屋敷』をイメージした作りとなっている。床は木目調のフローリング。座席数はダンデライオンの倍以上あり、この店の集客力がそれ程だと頷ける席数だ。どこもかしこも客が座っているが、その中に女性客もちらほら。こういう店は男性客をターゲットにしていると思っていたが、ウェイター役の執事目当てで来店している女性もいるのだろう。椅子とテーブルはクラシカルなデザインで、申し訳程度に各席を隔てる木製の敷居がある。天井には煌びやかなシャンデリアが中央にあり、四隅には六つのライトが連なるお洒落な照明器具が店内を明るく照らしていた。暗過ぎず、明る過ぎず、計算された照明の配置。屋敷をイメージしているだけあり、壁には有名な絵画のレプリカが飾られていたり、甲冑なんかもあったりと西洋的だ。その中でも特に存在感を放つのは、店の中央に置かれた年季の入った蓄音機。音を鳴らすラッパのような部分が少し錆ているのがノスタルジックだ。触れられないようにポールで囲われている。この蓄音機から奏でられる音色はどんな物なのか気になる所だが、生憎、観賞用らしい。
僕はエリスに従って左奥にある二人掛け用のテーブルに座った。ここからだと厨房が視える。その厨房では調理スタッフ達が忙しなく料理を作っていた。もちろん、そのスタッフ達もメイド服や燕尾服を着用している。ただ、メイド服や燕尾服にエプロンという姿は違和感満載だが、制服を汚すわけにはいかないのだろう。
「エリス、あのさ……僕はこういうお店は初めてなんだけど、どうすればいいの?」
「何を言ってる? ……全く、ご主人様は直ぐに忘れるな」
「忘れるも何も、僕は初めてで──」
ぎろり、とエリスに睨まれた。
──ああ、そうか。
仮にも僕は、この屋敷の主、という体なのだから、エリスは僕が『自分の屋敷の仕来りを忘れている』という設定になっているんだと察した。
「私達はご主人様に仕えるメイドであり、執事であり、この屋敷はご主人様の屋敷なんだ。……それから、今日は私がご主人様を饗すから注文はしなくていい。追加したいなら別だけどな」
「わかった。じゃあ、本来ならレストランのように注文をするってことでいい? この呼び鈴だよね?」
「ええ」
テーブルの端に小さな銀色のベルが置かれている。
これを鳴らせば仕えるメイドか執事がやってくるのだろう。
「それで、注文しなくていいってどういうこと?」
「まあいいから。ご主人様は座って待ってろ」
それだけを言い残して、エリスは僕の元から離れて厨房へ消えていった。
ダンデライオンに初めて来店した時にも気遅れしたけど、ここはダンデライオンの比じゃない。『非日常』という言葉がぴったりと当てはまる。それに、所々から訊こえてくる『萌え萌えキュン♪』が僕の背筋を粟立たせるのだが、きっと慣れるんだろう、いずれ、多分。
執事が四人、メイドが六人。合計一〇人のスタッフがホールで〈ご主人様〉或いは〈お嬢様〉に応接している。普通の店と違って、メイド喫茶というのは接客に時間を取られる事が多いので、それなりに人数を用意しているようだ。手が空いているスタッフは調理場や店内のテーブルメイクをしているけれど、壁際に待機しているスタッフもいる。然し、ただ呆然と突っ立っているわけではなく、これも一つの『パフォーマンス』なのかもしれない。『屋敷で給仕が待機している』という具合だろうか。これはこれでキツい役柄だろうなぁ……動いている方が楽だったりするし。
程なくして、エリスは蓋付きの銀のトレーを配給台に乗せて戻ってきた。
「お待たせしてしまったな。ご主人様」
「ねえ、エリス」
「なんだ?」
「エリスは〝敬語〟を使わないキャラなの?」
「ご主人様?」
あ、そうだった──キャラ、ではないのだ。
この店のシステムに慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだなぁ。ごめんごめん、と全く心に無い謝罪をエリスにして、「エリスは元から、敬語は使わなかったっけ?」と言い直した。
「その、ま、まだ慣れてないんだ。ご主人様ならわかるだろ……?」
今まで強気なメイドを演じていたかと思えば、今度は恥ずかしそうに身を捩らせて伏し目がちに上目遣い。
僕はここまでの演技指導をした覚えは無いんだが、ここの店長である『ローレンス』の指導だろうか? そうだとすると、あの店長、いや、総括。なかなかに男心を擽るツボを把握しているようだ。エリスがほんの数日で売り上げに貢献しているのも、ローレンスの手腕だと鑑みれば納得がいく。
「ほら、……私特製のオムライスだ」
テーブルに置いた銀のトレーの蓋を開くと、そこにはふわふわでとろっとろな玉子が覆いかぶさっているオムライスが登場した。
「これ、エリスが作ったの?」
「元は厨房勤務が多かったからな。それでも人手が足りずに……おっと、ここでこれ以上は言えない」
そういう事だったのか。
それならこの出来栄えも合点がいくが、こういうお店のオムライスって、ケチャップで文字を書くのが習わしのはずだ。当然、エリスの手にはケチャップがある。
「なんて書くの?」
「そうだな──」
ぱかりとケチャップの蓋を開けると、エリスは含みのある笑みを浮かべた。
「もし、この場所を誰かに喋ったりしたら……」
『こ ろ す ぞ ♡』
「あ、ああ。うん……えっと、ありがとう、……なのかな」
殺害予告が書かれたオムライスなんて、きっと僕が初めてだろう。別にエリスに何かを期待していたわけじゃないけど、あまりにもメイド喫茶らしからぬ文字列に苦笑い。
「飲み物は紅茶を用意した。……珈琲がよかったか?」
「毒殺されないなら何でもいいよ……」
「そうか、ご主人様はメロンソーダがよかったんだな」
おい、その言い回しだとこの店のメロンソーダには毒が混入しているように訊こえるのだが、本当に大丈夫なんだよな……?
「冗談だ」
「飲食店でシャレにならない冗談はやめてよ……」
殺害予告状オムライスはこれ如何に、死ぬほど美味しかった。
【備考】
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by 瀬野 或
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