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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一〇章 The must effective drug,
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一百七十二時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ⑨


 演技指導を引き受けたのはいいけれど、いざ『指導する』となると何をどうすればいいやら思案に余る。


 演技というのだから、我が校の演劇部が部活の最初にやっている『あえいうえおあお』から始めればいいだろうか? 


 ……いやいや、滑舌をよくしてどうする。


 そりゃまあ、滑舌はよいに越した事はないのだけれど、そうではなくて、もっとこう、実戦的なアドバイスをしなければならないはずだが、『もっとこう』なんて漠然としたイメージで教えられるエリスからすれば、迷惑千万以外の何物でもない。それなら私がこれまで培った経験を生かす事で、曖昧な『もっとこう』の中身を埋められるはず。問題無い。クールに行こうぜ……どの面を下げでそう思うのか、私は私の神経を疑った。


 昨日と同じ店員に、『二人で。飲み放題を付けて下さい』という旨を伝えるのはどうも決まりが悪い。然し贅沢を言っている場合ではないので、胸の中に(うごめ)いている〈もやっとした何か〉を我慢して済ませた。


 通された部屋は昨日と違い、中央にテーブルが配置された四人部屋。そのテーブルを挟み、二つの黒いソファーが置かれている。機材や窓の配置は昨日の部屋とさして変わらないが、今度のお隣さんは『ずん♪ ずんどこきよし♪』が好きなマダム達だ。合いの手まで訊こえてくるので、近所の友人達とカラオケ大会でもしているのだろう。


 この場合の『大会』というのは順位を競うという意味での大会ではなく、『井戸端会議』という意味での大会だ。何でもかんでも『大会』を付けたがるのが中高年の流行りで、私が知る限り一番意味不明だと思ったのが『飲み会大会』という、飲み会という催しを開いているにも関わらず大会と謳う、全くもって意味不明なイベント。直訳すると、『飲み会という大会を開いて優勝者を決める』という意味になるのだけれど、やっている事はただの宴会であり、それならもう『宴会』でいいんじゃないか? とも思う。


 部屋に入って沈黙する事数分、『ずんどこきよし』が『箱根八里の半次郎』になった頃、向かい合って座っていたエリスが気まずそうに口を開いた。


「そろそろ始めないか」


「……そうだね」


 同意したはいいが、どこから指摘すればいいだろうか?


 指摘するべき所は山ほどある。


 その全てを指摘して是正させるべきなのか、それとも『個性として残す』選択をするべきか……やはり最初は一人称からだろう。さすがに『オレっ子』は厳しいものがあるし、『私』で妥協して貰わなければ先に進めない。


「先ずは一人称から変えてみよっか?」


「やはりそこか」


 どの世代にも『ボクっ子』はいるけど、エリスにその一人称は似合わない。それならばいっその事、『あたい』と呼ばせてみようか? ……うん。似合い過ぎてヨーヨーを振り回しそう。スケバン的な意味で。


 やはり、ここは『私』が無難だと提案する。


「私、か。それならまだマシだな」


 私、という呼び方は目上の人に対しても使う一人称なので、これが駄目だったらもうおしまいだ。


「昨日大まかに説明したけど、……後は仕草だね」


 歩き方は昨日練習したのでどうにかなっているけど、座り方に関してはまだまだ。内股が慣れないのは致し方無いが、こればかりは意識してもわらなければならない。


「こ、……こうだよな」


 気恥しそうに両膝を合わせて、太股(ふともも)の上辺りに、ぐーにした両手をちょこんと乗せる。なかなかにあざとい座り方だ。でも、メイド喫茶のメイドならこれくらいあざとい方がいい。


 ここまでがチュートリアル、本題はここからだ。


 いくら仕草を直しても、自分の中にある女性のイメージが出来上がっていないと意味が無い。器ができていても魂が込められていなければ、それはマネキンと同じだ。心持ち一つで世界が変わるのを私は知っているけど、それをエリスに感じてもらう必要はないだろう。


 エリスに必要なのは『自分は女である』という自覚。


 メイド喫茶のメイドは恥ずかしがらずに、「萌え萌え、きゅんきゅん♪」ができなければならない。そこまで世話を焼く必要があるか? と問われれば、そこまでしなくてもいい気がするけれど、『メイド用語』を臆面も無く言える覚悟くらいは、今日、今すぐにでも固めて貰う必要がある。だからそこまで付き合おうと意を決して今日を迎えた。


「エリスはあの漫画を読んで、どういう女の子になりたいと思った?」


「オレは」


 違うでしょ? と、間髪入れずに一人称を指摘すると、エリスはゲフンとわざとらしく咳払いして、


「わ、私は、あの主人公のように健気にはなれない」


 そう言って俯いた。


 だが、直ぐに顔を上げる。


「でも、雰囲気というか、感覚は理解できた。……気がする」


 エリスは両眼で私をしっかりと捉えて、迷いの無い視線を私に向けた。然し、語尾が尻窄まっているので説得力に欠けた。


「オレ……、私は誰かに媚びへつらうような性格ではないし、そういう生き方はしたくない。だから気が強い女でありながらも弱さをみせるような、そういうイメージが当てはまるんだろうと考えた」


「それはつまり、ツンデレって事だよね?」 


「……そうなんだろうな」


 そうなんだ……。


 あの漫画の主人公はツンデレじゃなかったんだけど、どうやってその答えに行き着いたのだろう? でも、進むべき方向性がはっきりとしたので、それに従って指導を進めればいい。問題なのは私が持っているツンデレの知識が浅く、『別にアンタの事なんて好きじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!』的なテンプレだけなのが懸念されるけど、そこはフィーリングで何とかするしかない。


 べ、別にエリスのためなんかじゃないんだからね!


 ──昨今のツンデレを、もう少し学んでおけばよかった。





 * * *





 カラオケルームに缶詰め状態というのも息が詰まる。お腹がぐうっとなる頃には集中力も散漫として、エリスの疲労も顔に表れていた。ここらで休憩を挟むべきだろう。このまま続行してもいい成果は得られそうもない。


「休憩にしよっか。お腹も減ったし」


「それもそうだな」


「エリス、そこは〝だ〟じゃなくて〝ね〟が語尾にくるんだよ」


 わかったわかった、とエリスは空返事。テーブルの上に置いてあるメニューに手を伸ばし、引き摺るようにして手元へと手繰り寄せた。


「どれにするの?」


 私が訊ねるとエリスは明太子パスタを指した。今日はうどんの気分ではないらしい。てっきり私は隣にある〈きつねうどん〉を選ぶと踏んでいたのだけれど。


「どうしてパスタ?」


「どうせこういう時も〝女の子らしいメニューを選べ〟って、指摘するだろ……よ」


 まだ女性的な語尾に慣れていないせいか、語尾が意味不明になってしまっているだろよ。


 ……まあ、それはそれで無きにしも非ずかな?


 ──いやいや、無し寄りの無しだね。


 私もエリスと同じ物を選び、部屋に備え付けられた受話器でそれを注文する。


「飲み物を取ってくる。……何飲む?」


 エリスは片手に持っている、私が使っているコップをひらひらと揺らしながら訊ねた。


「茶葉二倍のロイヤルミルクティーで」


「ねぇよ」


「冗談だよ。アイスティーをお願いします」


 エリスは顎を引く程度に頷いて、部屋を後にした。


 がらりと静かになった部屋は物静かで、私一人だけではこの部屋は広過ぎて余り有る。猿臂(えんび)を伸ばしてぐいっと背伸びをしてから、「はぁ」と疲労混じりの溜め息を零した。


 進捗は、思いの外よくない。


 難航するだろうとは思っていたけれど、エリスがここまで〈女性〉という性別を受け入れられないとは。


『覚悟を決めた』


 とは言っていたけどそれは建て前であり、自分の中にある〈もう一つの性別〉を受け入れられなければこのまま頓挫(とんざ)してしまう。


 それは、エリスだって理解しているはずだ。


 案ずるに、エリスの中で『譲れないモノ』があって、そこをどうにかする他にないのだが、それを私がどうのこうのと論っても、エリス自身が変わらなければ意味が無い。


 だけど、変わる事が全て正しいと私は考えたくない。


 人が変われば人生も変わる、という言葉があるけど、それは変わった先で成果があっただけに過ぎない。変わらなくたって幸せは訪れるし、やりたい事もやれる。自分の価値観を相手に強要するのは愚かな行為だ。だから私はお肉も食べるし野菜も食べる。当たり前だよね。けれど、その〈当たり前〉が変化しつつあるのも、この国が、人が、何かしらの変化を求めた証拠だ、とも言える。どちらも正しくてどちらも間違い。正義は時に悪ともなり得て、無慈悲な弾丸を放つものだ。


 ──ああ、また余計な事を考えてる。


 こういう癖が出るのも、私の中に〈優志〉という性が生きているからだろう。切り離そうにも切り離せない。それが私で全部僕。


「──そっか」


 それなら、そうであるなら、これはエリスにも当てはまる事じゃないだろうか? 強要するではなく、可能性の一つとして教えるだけ。それだけでも幅は広がるはずだ。


「……遅いな」


 エリスもパスタもまだ来ない。


 一体どこで油を売っているのやら……。





 * * *





 アイツはずっとこんなオレに付き合ってくれている。


 さほど厳しい教習ではない。


 アイツはオレが全く進歩しない事に苛立っていないだろうか。そんな顔は臆面も出さずに根気よく粘っているが、さすがにそろそろ限界かも知れない──オレが、限界かも知れない。


 ここまでやって貰った恩を仇で返すような真似はしたくないが、オレは、オレの中にある忌まわしい性を受け入れる事ができずにいる。


 どうしても、駄目なんだ。


 自分が女だ、という事を、どうしても受け入れる事ができない。


 ……それが、生きていく為に必要な事だとしても。


 あの日から、オレがエリスを棄てた日から、オレの中にある女は死んだ。


 いいや、殺したと言った方が正しい。


 自分が女だと知った時の絶望、然し、肉体は女性そのものであり、歳を重ねる事に胸は膨らんでいく。それでも何とか誤魔化して生きていたが、初潮が来て、更に絶望が増した。


 生まれ持った性からは、逃れる事はできないと知った。


 だが、オレの心は、魂は、自分は男だと主張する。


 ──やはり、無理だろう。


 最初からわかっていた事だ。


 アイツには悪いが、ここまでにしよう。


 バイト先も変えて、また一から始めればいい。


「……なんて、諦められたら苦労は無いんだがな」


 目の前にあるのは断崖絶壁、振り向けば行き止まり。


 前にも後ろにも進めないこの状況で、オレは何をすればいいだろうか。


 ──わかってる、オレはいつだってそうしてきたんだ。


『答えは風に吹かれている』


 ボブ・ディランの『|Blowin' in The wind《風に吹かれて》』が、哀愁漂うハーモニカと共に頭の中で流れた。



 

【備考】


 この度は『女性男子のインビジブルな恋愛事情。』を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし、当作品を読んで、「続きを読んでみたい」「面白かった」と思って頂けましたら、〈ブックマーク〉をよろしくお願いします。また、〈感想〉はお気軽にご記入下さい。


もし〈誤字など〉を見つけて頂いら、大変恐縮ではございますが、〈誤字報告〉にてご報告頂けると幸いです。少し特殊な漢字を使用しているので、それらに関しての変更はできませんが(見→視など)、その他、〈脱字〉なども御座いましたらお知らせ下さると有り難い限りです。(変更した場合は下記に〝修正報告〟として記入致します)


そして、ここからは私のお願いです。


当作品を応援して下さるのであれば、〈評価〉をして頂けるとモチベーションの向上に繋がりますので、差し出がましいようですが、こちらも合わせてよろしくお願いします。


これからも『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をよろしくお願いします。


by 瀬野 或


〔修正報告〕

・現在無し

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