一百六十三時限目 天地流星の悩み
未だ冬休み気分が抜けない朝。
カーテンを開けっ放しで寝てしまったせいで、太陽光が部屋を照らす。
今日から学校だというのに、それまでの不規則な生活リズムが災いして瞼が重い。
あと五分、あと一〇分……。
体温でいい感じに温もったベッドの中で、もぞもぞと不毛な抵抗をしてみるが、起床時間がオーバーしている事実は変わらない。いい加減起きないと遅刻してしまうという焦りが勝り、ようっやっとベッドから離脱した。
「さむっ……」
これだから冬は嫌いだ。
勉強卓の上に置いてあるエアコンのリモコンに手を伸ばし、〈暖房ボタン〉を押す。
──反応がない。
いつもなら電子音と共に起動するのに、今日に至っては素知らぬ振りとは此れ如何に。
昨日までは稼働してたよね? もしかして故障ですかい?
どうやらリモコンのバッテリーが切れが原因のようだ。寝起きは思考が回らないから、観察力も乏しくなる。
「単四電池の予備なんてあったっけ、……無いな」
引き出しの中に電池の予備を入れているけれど、そこには単三電池しかなかった。
そもそも単四電池を使う事なんて、それこそエアコンのリモコンくらいだ。それならもう単三電池で動くようにしてくれればいいのに。テレビのリモコンだって単三だぞ? 少しはテレビを見習って欲しいものだが、エアコンのリモコンに文句を言っても仕方が無い。帰りがてら百均に寄って、予備を含めて買ってくるかな。
* * *
体育館で行われた始業式は、校長の退屈極まりないロングスピーチで幕を閉じた。
概要だけを端的にまとめるならば、とどのつまり『明けましておめでとう、勉強頑張れ』であり、他は意味の無いループザループ。校長は自分のスピーチから思考を巡らせて各々意味を考えて欲しかったようだが、学生の大半は『早く終われ』としか頭になかっただろう。
今日は始業式とホームルームでおしまいだ。
たったそれだけのためにわざわざ登校させられるのは不満でしかない。
体育館から教室に戻り、担任の三木原商事……ではなく、三木原章治先生が教壇に立つ。
「はーい、皆さん。静粛に」
三木原先生は机を軽くコンコンと叩いて、注目を集めた。
「改めて、明けましておめでとうございます。さぁて、出席を取ろうかな……って、欠席者もいないみたいなので省きますねー」
三木原先生はそう言って名簿を閉じた。
どこか緩いのが三木原先生の特徴だが、この日はどうも様子が違う。
真剣な顔で教室の隅から隅まで視回してから、静かな口調で語り始めた。
「皆さんは四月から二年生になります。これまでは一年生で、社会で言えば新人でしたが、ついに〝後輩〟ができるわけです。その実感は未だ無いでしょう──ですが、その日は必ず来る。〝頼る側〟から〝頼られる側〟になるわけです。部活に入っている人は、今年から部を纏める部長が選出されるでしょう。これは、皆さんが思っている程、簡単な事ではないと自覚して下さい」
そこで一度話を区切り、三木原先生は深呼吸した。
「──というのが、先程の校長先生が言いたかった事です。君達の事だから、どうせ訊いてなかったんでしょう?」
三木原先生が破顔した事で、張り詰めていた教室の空気が緩和され、教室内に笑い声が溢れた。
「いやいや、笑い事じゃないんですけどねぇ……まあ、これ以上言及はしませんけど。ですが──これから考えなければならない事は増えてきます。特に〝進路〟については、皆さんの鬱積となるでしょう。やりたい事が見つからなくて、焦る事もあると思います」
所々から「進路どうする?」とか、「やべー」とか、悲壮感漂う嘆きが訊こえてくる。
進路か……、僕もそろそろ真剣に考えなければならない時期だ。背伸びするか、今の自分に見合った大学を選ぶか、それとも──。
目の前で頭を抱えている佐竹は、自分の進路に迷っている。まあ、佐竹は馬鹿だけど阿呆じゃないし、自分で答えを導くだろう。
天野さんもそうだ。
月ノ宮さんに至っては、既に目標を制定していて、それに向かうプロセスを築き上げている。
クラスの大半が『人生積んだ』みたいな表情をしている最中、流星と関根さんは臆さず、三木原先生へと視線を向けていた。
流星は兎も角、関根さんが狼狽えていないのは意外だ。彼女の性格上、こういう場合は「どどどどうしよう ︎」と困惑しながら、周囲にいる誰かに窘められるのがパターンなのに──どうやら、僕が思っている以上に、僕の周囲にいる人達は、自分の進路についてしっかりとビジョンを浮かべているらしい。
「人生の先輩として私が言える事は〝大いに悩んで苦しんで、足掻いて下さい〟という事です」
「ちょっと先生、さすがに酷くね ︎」
立ち上がって抗議したのは、えっと……宇治なんとか君だ。
宇治何某君は大袈裟に椅子を鳴らして立ち上がると、演技がかった手振りで、あーだこーだと文句を垂れる。
「まあまあ、落ち着いて。話は最後まで訊いて下さいねー」
シッダウシッダウ、と抹茶あずき君を座らせた。
「成長に苦難は必要なんですよ。痛みを知っていれば、痛みに苦しむ人の気持ちがわかるように、苦難や困難、そして、挫折を経験した者は、過去の自分よりも成長できます。何より──」
三木原先生はきりっとした表情から一変して、優しい微笑みを浮かべた。
「その経験を下級生に伝える事ができる。……それが〝先輩〟としての役割なんです」
いつの間に喧騒は静まり返り、誰もが静かに、三木原先生の言葉に耳を傾けている。
飄々とした先生の意外過ぎる一面に、僕らは固唾を飲んで、紡がれる言葉を訊き逃さぬようにするしかできなかった。
「……という事で、来週にはテストも待っていますから、勉強を怠らないようにして下さいねー」
テスト、という言葉を訊いて我に返った教室の面々は、再び嘆きと文句で溢れたが、三木原先生はただ黙って、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴るまで見守っていた。
半日授業ダイアなので、バスまでの時間はかなりある。
余り余る時間をどう過ごそうかと、僕は鞄に忍ばせていた小説を手探りで探していた。
「優志、ちょっといいか」
「流星が話かけてくるとは珍しいね、どうしたの?」
「ああ、……場所を変えたい」
ふむ、どうやら訳ありのようだ。
厄介事は御免被りたい所だけれど、流星には借りがありすぎるので断れない。
「──わかった」
僕が返事をすると、流星は『ついて来い』と言わんばかりに踵を返した。
相変わらず強引なのは新年になっても同じで、それが何だか面白くなり、つい吹き出しそうになったが、それをぐっと堪えて流星の背中を追う。
「おーい優志、どっか行くのか?」
後ろから佐竹の呼び声が訊こえたので、後ろ手だけで挨拶をすませ、教室から足早に抜け出す。
流星が向かってるいる先は体育館方面だけど、いざ、体育館前に辿り着いても館内に入る事なく通り過ぎた。てっきり体育館二階へと連れて行かれるものだと思っていたので、足を進める流星に声をかけ、行き先を訊ねてみると、
「なるべく人がいない場所がいい。今日、体育館二階は一階の片付けもあり、運動部が使用しているからな」
「なるほど……つまり現在、僕らは流浪の民ってこと?」
「いい場所が見つかれば、……そう思って歩いていたが、なかなか頃合いの場所が見つからない」
それならそうと先に言ってくれたら、この問題は直ぐにでも解決しただろうに。
僕には一つ、心当たりがあった。
「それなら、土手がいいんじゃない?」
僕がいつも昼食を食べているベンチがある方向とは反対にある急斜面の芝生地帯。梅高は山を切り開いて作られた自然の囲まれている学校であり、こういった〈斜面〉が存在する。その斜面はかなり急だけど、腰を下ろして話すには持ってこいな場所だ。
「土手か、悪くない。……寒いけどな」
そりゃまあ、冬だから仕方無い。冬に温暖な気候だったら、それはそれで大問題だ……地球規模で。
然し、そこまでして人目を憚る理由はなんだろうか?
流星の相談事とあれば、佐竹の『あのさ』の比ではないと予想するけど、流星が解決出来な問題に、僕の付け入る隙があるのだろうか? 一抹の不安を抱えながら、僕は流星の後を歩いた。
【修正報告】
・2021年4月30日……誤字報告による指摘箇所の修正。
報告ありがとうございました!