一百六〇時限目 マーフィーの法則
時折頬を撫でる冬の風が、ざわざわと木々を揺らす。その風に流れて、わたあめや、お好み焼きの香ばしい香りが鼻を擽った。
社殿の前には既に人集りが出来ていて、その中に和服に身を包んだ女性も多くはないが、あちらこちらに見受けられる。友人、家族と談笑したりしながら参拝を待っている長蛇の列を視て、思わずうんざり気味の溜め息が零れてしまった。
「下手したら二時間コースだろうな……どうする?」
「どうするも何も、並ぶしかないでしょ。待っていたら参拝客が減るような事はないんだから」
来る途中に視た渋滞の列が、まだまだ人が集まる事を物語っているし、何より、初詣に来たのだから、参拝しなければ意味が無い。おみくじだけで済ませるのなら、それこそ雑誌の最後のページに書いてある『星座占い』で事足りる。
僕らは列の最後尾に並んだ。
参拝は五人一組で行われるので、僕と佐竹は右端に、その横には三人連れの大学生風男子が二人、その男子の間に女子が一人。佐竹の隣に並んでいる大学生風の男は上下共に黒のスウェットで、金色のロゴがあしらわている。そして、黒いサングラスにオシャレ坊主という姿から、どことなく某有名アーティスト軍団を彷彿とさせていた。一つ飛ばして左端にいる男は、テカテカの薄手のダウンジャケットにダメージジーンズ、そして、髪は金髪のツーブロック。片耳にはピアスが三つ程付いていて、整えた顎髭を生やしている。こちらの男性はワイルドな印象を受けるが、お近づきにはなりたくないタイプだ。男性二人がイケイケな格好なら、オセロ的に紅一点の女性もそうなのではないか? と、ちら見してみると、女性の格好はベージュのコートに白いマフラー。そして、黒のパンツといったとても無難な服装で、どうしてこの男二人に連れ添っているのだろう? なんて疑問が浮かぶ程だ。
「なあケンジ、こういう列に並んでると人混みを弾き飛ばしてみたくならね?」
そう言ったのは、両腕をスウェットのポケットに突っ込んでいるサングラスの男。
「タクヤ、ガキじゃねぇんだからキモいこと言うな。まあ、気持ちはわからないでもねぇけど」
反応したのは『ケンジ』と呼ばれた男。つまり、サングラスの男が『タクヤ』で間違いない。
「でも、そういうのって誰もが一度は考えるわよね。私も渋谷に行った時は思うもの」
「マジかミユキ、両想いじゃん。結婚しようぜ」
「タクヤと結婚なんて絶対にしなくないわ。……アンタ、今、何股してんのよ」
「あ? 数えてねぇからわかんねぇけど、多分、三人くらいじゃね?」
「お前、そのうち刺されるぞ。夜道は気をつけろよ?」
あまり品のいい会話ではない。佐竹もそう思っているようで、眉を顰めている。だが、このイケイケな男、特にタクヤという男と関わるのは絶対に嫌なので、僕ら二人は嫌な気持ちを引き摺り続けながら、最低な気分で参拝を待ち続けた。
ようやっと僕らに参拝の順番が回ってきた。
眼前には祈祷を捧げる神社の宮司が、これから祈祷を捧げる合図として、左端に置かれた太鼓を二回叩いた。その音は神妙に室内を反響して、僕らの体にまで響く。このタイミングで参拝できるのは有り難い限りだ。僕らは予め用意していた五円玉を賽銭箱に投げて両手を合わせた──だが、隣にいるタクヤは参拝方法を知らないらしい。
「どうせ願いなんて叶わねぇんだから、一円でいいよな?」
げらげら笑いながら一円玉を賽銭箱に叩きつけるようにして投げつけると、これでもかと言わんばかりに大袈裟に手を二回叩いた。
そして──
「金持ちになれますように! なんつってな!」
これに対して、ケンジと呼ばれた男は苦笑いを浮かべながら、「そりゃテメェの努力次第だろうが。神に頼むのはお門違いだろ」と、適切なツッコミを入れたが、この場でするようなやり取りではない事は確かだ。
「もう。そういうのいいから、普通に参拝してよ」
ミユキと呼ばれた女性だけは、ちゃんと作法を守って参拝している。
「うるせぇなぁ。……よし、初詣も終わったし、酒でも飲もうぜぇ!」
僕と佐竹は彼らがいなくなるまでその場で待ち、お互いに眼を合わせてから、財布をポケットから取り出して、五円玉を賽銭箱に投げた。
* * *
社殿の下にはちょっとした休憩スペースがあり、自販機とベンチ、そして灰皿が用意されている。僕と佐竹はそのベンチに腰を下ろし、無料で配られていた甘酒を飲む。ほんのり匂う日本酒の香りと甘ったるい口当たりは、冷えてきた体の内側に染みた。
折角の初詣なのに、あんな巫山戯た人達と一緒に参拝させられるとは、最悪の事態に『本当に最高だぜ』と皮肉を吐く、洋画の主人公のような気分だ。
「胸糞悪いヤツらだったな。大学生ってあんなのばかりじゃないだろうけど、これから先、大学に進むとなると、あんな連中とも関わらなきゃいけなくなるかもなぁ」
佐竹は紙コップに残った甘酒をぐいっと飲み干す。佐竹は甘酒が好みではないらしい。甘酒を飲んだはずなのに、飲み終えた後は苦虫を噛み潰したような顔をしいる。
「でも、佐竹はコミュ力高いから、取り敢えず〝ウェーイ〟で何とかなるんじゃない?」
冗談だろ? と、佐竹は鼻で笑い飛ばしたけど、そういう未来を想像してみるとしっくりくる。だが、佐竹はあそこまで非常識ではないし、礼儀だって人並みにある。彼らと佐竹の違いはそこだろう。きっと今回の事を誰かに咎められたとしても、彼らは『ネタだ』と言い張る。イキがる輩にとって迷惑行為は須らく『面白いと思われたいからやった』『目立ちたいからやった』『誰でもよかった』『今は反省している』なのだ。最後捕まった後の供述になってるのは、つまり、そういう事で間違いない。まあ、迷惑行為に限っては大学生だけと言うわけじゃないのだけれど。バイトテロは寧ろ、僕と歳が変わらない連中の方が多い印象だが、だからと言って、僕とバイトテロ連中が同じだと言われるのは心外だ。
「このまま帰るのも勿体ねぇからさ、出店でも視て回ろうぜ」
「それもそうだね……、お好み焼き以外なら食べたいな」
「それは同感だ。ガチで」
社殿の前は広場になっていて、社殿を後ろにして左側には小屋があり、そこでは巫女さんが御守り売り場を展開している。社殿へと続く階段を上った先にも御守り売り場はあるだが、そこだけでは客を捌けないのだろう。普段、この小屋は閉まっているのだが、初詣となると客足も多い。だからこの小屋でも御守りやおみくじを販売しているんだろう。その小屋から少し離れた場所に能楽や神楽を披露する舞台がある。現在、舞台の上には何も無い。時間が遅いからだろうか? もう少し早く到着していれば、御神楽や太鼓の演奏を観れたかもしれない。
僕らは先ず、御守りを買おうという話になり、御守り売り場へと足を運んだ。
「佐竹は何にするの?」
「そうだなぁ……、無難に健康御守かな?」
「学業御守にすれば? 少しは語彙力も上がるかもよ?」
「余計なお世話だ! ……まあ、買うけど」
学生として必須アイテムでもある学業御守は、様々な種類が並べらている。昔は青と赤しかなかった色も、ピンクや緑といった物も増えた。これも時代のニーズに合わせた結果なのだろうと思うと世知辛い。
「僕も同じかな。でも、佐竹とお揃いかぁ」
「御守りなんだから普通に仕方ねぇだろ!?」
「ツッコミに普通ってどうなの……」
あまりの語彙力の無さに、全初詣客が泣いた。
……泣いてないけど。
様々な色の御守りが並べられた棚の中から、佐竹は青色の学業御守と緑の健康御守、僕は──
「お前は白とピンクなんてどうだ?」
「え……? まあ、可愛い色だとは思うけど、僕が持ってたらおかしいでしょ?」
「別にいいんじゃねぇの? 鞄のポケットにでも突っ込んでおけば問題ねぇし。それに、お前は優梨でもあるんだし、どっちにもご利益あった方が得じゃね?」
「そこまで言うなら佐竹が僕の分も買ってよ。さすがにこの格好でその色を買うのはキツいもん。僕はさっきの場所で待ってるから」
「は!? ま、マジか。……よし、わかった」
佐竹をその場に残して、僕は先程のベンチで座りながら、佐竹の様子を視ていた。気恥しそうに巫女さんと会話しながら御守りを受け取っているので、おそらく『彼女さんへのプレゼントですか?』とでも訊かれているんだろう。
不意に煙草の煙が眼に染みて、僕は灰皿のある自販機横に眼を向けた。そこにいたのは先程の非常識な男達、ケンジとタクヤ。そして、ミユキと呼ばれた女性。彼らは片手に甘酒の紙コップを持っているので、一服しながら飲もうとここに来たようだ。その場で吸わない辺り、喫煙マナーだけは守っているようだけど、ミユキという女性がそれを制したのかもしれない。彼らのマナーの悪さは酷いものだったし、僕の予想が当たっていても不思議じゃないな。
「まっず。こんな甘ったるいの、よく飲めるよなぁ。こんなの酒じゃねぇよ」
「当然でしょ? お酒じゃないんだから。酒粕を使っているだけで、アルコールは入ってないもの。……もしかして、知らなかったの?」
「っせぇな、知ってるっつの……、ああ、もう無理だわ」
そう言ってタクヤと呼ばれたサングラス男は、カップに残っている甘酒を灰皿の中に流し込んだ。シンジと呼ばれた男も、タクヤに倣うように流し込む。
「ちょっと」
「あ? 別にいいだろ? どうせ捨てるんだし。それに俺は、燃えそうだったシケモクを濡らして燃えなくさせてやったんだから、感謝して欲しいくれぇだよ。なあ? シンジ」
「だな。水を入れなかったのが悪い」
喫煙者のマナーの悪さは問題に上がる事も少なくない。然し、彼らはそれ以前に、一般的な常識が欠如している。こういう連中は、自分が世界の中心だと思っているのだろう。確かに彼らは世界の中心ではあるが、その世界はイキり大学生の世界に限定された小規模な世界だ、とだけ付け加えておこう。
「ちょっと便所行ってくるわ」
そう言ってタクヤとシンジは、奥にある野外トイレへと歩いて行った。取り残されたミユキという女性は、彼らの背中を眼で追いながら、「はぁ……」と、重たい溜め息を吐いて、手元にある甘酒に口をつけた。
「……あら、アナタは参拝の時に同じ列だった子よね?」
じろじろと視ていたせいで、ミユキという女性と眼が合ってしまった。これがポケモンバトルなら、『ユウシには戦わせるポケモンがいない! ユウシの目の前が真っ暗になった』というメッセージと共に、即、ポケモンセンターへと搬送されていただろう。
「あ、はい。どうも」
「……え、男の子だったの? てっきりボーイッシュな格好をした女の子かと」
「よく言われます」
この手の言われ様は、初対面だと頻繁に言われる。学校なら制服で性別を判断できるので、こういった事は起きないけど、私服で初対面ならこうなる場合が多い。
「優志、買ってきた……、あ」
タイミングがいいのか悪いのか、そこに佐竹も合流して、僕らは軽く自己紹介を交わした。
「……そう、アナタ達は梅校生だったのね? 実は私もそうなの。卒業したのは一年前。タクヤとシンジは幼なじみで、大学で偶然一緒になったのよ」
「そうだったんっすか」
佐竹の返事は素っ気ないものだった。まあ、あんな事があった後だ。トイレに行ったきり戻って来ないタクヤとシンジの事を警戒しているのか、キョロキョロと周囲を左見右見している。
「お連れのお二人、遅いですね」
「どうせ私の事なんて忘れて、二人で屋台でも見に行ったんじゃない? ……本当に自己中なんだから」
「自己中というか、世間知らずというか、色々とヤバい二人っすもんね」
僕は隣にいる佐竹の脇腹を肘で突いた。
確かに僕も言いたい事の一つや二つあるけれど、見ず知らずの人にそれを言うのは失礼に値する。
「年下の子に言われるのだから、酷いものねぇ」
そんな話をしていると、屋台が立ち並ぶ方向から、タクヤとシンジが下品な笑い声を上げて戻ってきた。手には焼きそば等が入ったビニール袋を下げている。ミユキさんの言う通り、二人で屋台を堪能したようだ。
「ミユキ、そろそろ帰ろうぜ。……ん? なんだそのガキは」
「おいタクヤ。確か参拝の時に同じ列にいたガキじゃねぇか?」
これはどうも逃げられる雰囲気ではない。
やはり、最悪な事態というのは起こるべくして起きるようだ。
【備考】
読んで頂きまして誠にありがとうございます。
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報告内容を確認次第、修正が必要な場合は感謝を込めて修正させて頂きます。
今後も【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を、よろしくお願いします。
皆様が当作品を楽しんで頂けたらと、願いを込めて。
by 瀬野 或
【お知らせ】
当作品は『毎日投稿』では御座いません。
投稿出来ない日も御座いますので予めご了承下さい。
【修正報告】
・2020年3月10日……誤字報告による誤字修正。
報告ありがとうございます!